相対する男が驚愕と憤怒を混ぜ合わせた表情でナマエのことを凝視している。かと思いきや、男は彼女の名を呼んでみせたではないか!シッチは状況を即座に把握できず、暫しのあいだ硬直していた。
 なぜ男がナマエのことを知っているのか?果たしてふたりの間柄とは?疑問が目まぐるしく脳内に湧き上がってくる。
 仲睦まじそうな彼らは、切っても切れないような縁で繋がっていると、一目見ただけでもわかる。シッチも馬鹿ではない。それくらい雰囲気で汲み取ることができた。
 にわかには信じ難いことだが、硬い絆で結ばれているふたりのやりとりに、シッチはナマエとガロウを交互に見やる。ふたりはその視線にまったく気づかない。自身の存在を把握していないかのように。それにシッチは苛立ちと形容できる感情が膨れ上がる。
 そんな思考に明け暮れるシッチを気にも溜めず、彼は蚊帳の外。ナマエとガロウはまるでこの世界には彼らしかいないように会話する。

「ガッちゃん!?」
「ガッ……!?その呼び方止めろっつったろうが!」
「あっ、ご、ごめんね、昔のくせで……。ガ、ガロ、ウ?」
「……ぐッ……まあ、さっきよりはマシだが……ナマエなんでこんな所にいる」
「なんで、って……ここ、職場、だから」
「ヒーロー協会が職場だって聞いてねえぞ!」
「だって……言ったら絶対怒ると思ったから……実際怒ってるし……」

 シッチは眼前の光景に目を見張った。秘書として側近に務めさせていたナマエが、手際よい働きぶりを見せていたナマエが、ヒーロー協会の中でも絶大な信頼を抱かれているナマエが、今、誰と話している?
 彼らの様子はそれこそ数日、数ヶ月の関係ではない、もっと奥深さを感ぜられるものだった。仲睦まじい、と表現するにはまだ足りない。それくらいの関係のように窺える。シッチはひとり思考を巡らせる。
 ガロウはナマエがヒーロー協会に勤めていると知り機嫌が急降下するが、しかしおもむろに思案顔になり、良案思いついたかのように口端を吊り上げる。シッチはそれにどうしようもなく焦燥を抱いた。嫌な予感がする。そんな思いが心の奥底から込み上げてくる。
 ガロウはナマエの腰に手を回し引き寄せる。そして「テメェ如きがナマエを隣に置けると思うなよ」と地を這うような声でそう言ったかと思いきや、嬉々として口を開いた。

「っつー訳で!本日を以ってナマエは退職致しまぁーす!……オイ、何突っ立ってんだ。ついて来い」

 大げさなまでに両手を広げ、楽しそうにそう言うと、ガロウは踵を返してこの場を後にしようとする。それにシッチはハッと我に返る。
 シッチはナマエがこの現状を天秤にかけて、どちらに立つのが優位か、分かるはずだと思った。誰もがヒーロー協会の肩を持つだろうと、悪を淘汰する正義を選択すると、そう思った。血みどろで凄惨なこの場を見て、自身の側に立つと信じてやまなかった。けれど、ナマエには───“現在”のナマエには、その常識が通用しないような、そんな気がした。

「でも、わたしにも生活が」
「いいから来い!」

 ナマエはガロウに手を取られる。シッチは彼女がその手を振り払うと予測していた。しかし哀しいかな、それはあくまで“予測”にしか過ぎなかった。
 彼女はそれに反発するかと思いきや、彼の行動を受容しているではないか!抱え上げられるならまだしも、自分の足で歩きこの場を後を去ろうとする様子を見て愕然とする。
 シッチはそのことがどうしても気に喰わなかった。理解に及ばない行動に喉奥で唸る。なぜ“正義”であるヒーロー協会を捨て、身をもって怪人を名乗る人間───いわゆる“悪”であるガロウについていくのかが理解できなかった。

「っナマエくん!!」

 シッチは彼女に嘘だと言ってもらいたかった。ヒーロー協会のことを───もとい自身のことを───捨てないと言ってもらいたかった。
 縋るように彼女の名を口にする。だが、伸ばされた右手は虚空を掴むだけ。
 「……シッチさん。ごめんなさい」これが最後の会話だと言うかのような、そんな一瞬だった。

「このひと、わたしがいなきゃ駄目なんです」

 ナマエはシッチの方を振り返り、ふんわりと美しく一笑してみせる。スロウモーションで流れる時間。その微笑みは嫌でも記憶に色濃く刻まれた。
 そして彼らは去っていった。シッチの眼は茫然自失にこの場を後にしたふたりの姿を捉え、いつまでも入り口を見つめていた。
今すぐにでもナマエが自分の元へと帰ってくると、ありもしない希望に寄り縋っていた。しかしそんなことはなく、いつまで経ってもナマエが戻ってくることはなかった。
 やがて増援と医療班が駆けつけてくる。職員は悍ましい光景に愕然とした面持ちになる。「ひどいな………」図らずも、そんな言葉が溢された。やはり、ガロウは自身を怪人であると名乗るほどの存在であると思わずにはいられない惨憺たる現場。ナマエがガロウへついて行ったことは何かの間違いであると思わずにはいられなかったし、なによりも職員がそう呟いたのが余計にそのように考えさせられた。
 するとヒーロー協会の職員のひとりがナマエがいないことに気がついた。

「あれ?ナマエさんは?」
「……ナマエくんは、……」

 ガロウへついて行った、と言うにはあまりにも抵抗があった。だとすると人質として攫われたと言った方が、のちのち動きやすいと判断する。シッチはナマエのことを諦めたわけではなかった。
 ガロウはいずれヒーローによって粛清されるだろう。寧ろそうなることを望んでいた。悪は正義に屈するものだと信じていた。そうなるものだと惟ていた。それは藁にもすがる思いだった。そのときにでもナマエのことを取り戻せると、そう考えたのだ。
 シッチはナマエが自分の元で働くことが何よりも重要なことだと思議していた。ヒーロー協会に勤めていれば将来は安泰であるし、なによりもガロウの極悪非道な行動に気がつき、己の元へ戻ってくると、無理矢理にでも自身を納得させる。

「ナマエくんは、攫われた」
「えっ!?」
「……彼女を取り戻す策を講じよう」

 苦虫を噛み潰したような表情でシッチは言う。彼の言葉に職員はショックを受けた面持ちになる。そしてシッチの言葉に頷いた。
 ───やはり、ナマエはヒーロー協会には不可欠な存在である。この職員も、彼女を取り戻すという言葉に頷いてみせたではないか!
 そしてシッチは、ナマエがガロウの手を取って去ったのは何かの間違いだと、例えば弱味を握られているだとか、彼女にとって何か不都合なことがあったのだと、そう考えた。そもそも弱味を握られていたら既に彼らは接触済みなわけであり、それこそ何かしらの関係が築かれているはずなのだが、心理的に窮地に追いやられたシッチにとっては、そんな詳細まで考えが及ぶわけもなかったのだ。
 そんな事件から数日後。ヒーロー協会では幹部が収集され会議が開催されていた。内容としては、新たなヒーローの───つまるところ、サイタマとジェノスのヒーローネームの決定や、数日前の“人間怪人”ガロウに関する対処についてである。シッチを除く幹部はガロウについての問題を軽視しているのか、彼への対処法の論議はものの十五分で終わってしまった。それにシッチは憤懣を隠せない。
 ───無能楽観主義者どもめ!心のうちで悪態を吐く。例えS級のヒーロー───シルバーファングがガロウの退治に名乗りを上げたのだとしても、それだけでは決定的な何かが足りないと、そう思わずにはいられなかった。そしてその際にナマエのことも救済すると。しかし新たなヒーローネームが決まったふたりのことについて談笑する幹部らを見て、それを言葉にすることは叶わなかったのだった。




 ナマエはガロウの身を案じていた。彼の生活拠点はおんぼろなプレハブで、こんなところで寝泊まりしていたのかと考えると、信じられないかのような顔つきになる。衛生面でも気にかかるところがあったからだ。
 「ガッちゃん、こんなところで生活してたの?」部屋を見渡しながら、ナマエが言う。それにガロウはなんてことない様相で頷いた。

「なんだよ。悪いか」
「う、ううん。でも、ご飯とかお風呂はどうするの?」
「飯はファミレスで食えばいいし風呂は銭湯に行けばいいだろ」

 たしかに。ナマエはガロウの言葉に頷く。
 ふたりは言葉を交わしたわけではないが、これからの行動を共にすることを承知しているかのようだった。否、承知しているのだ。つまるところ、同棲すると。このふたりを見たシッチはきっと卒倒するだろう。ガロウは人知れずにたりと笑う。
 ───あのクソジジイ、ナマエを側に置きたがっているのは阿呆でも解せることだ。しかしこの俺がそれを許すわけがない。あんな奴にナマエを渡すだなんて、タガが外れるのは避けられないだろう。ガロウは心の奥底で燃え上がる依存心を自身でも感じ取っていた。
 ガロウにとってナマエとはなくてはならない存在だ。幼少期の思い出もさることながら、現在も変わらない彼女のその態度は、ガロウを支えると共に安堵させるものだった。しかしそれはナマエにとってはごく当たり前のことであり、ゆえに彼女は自身の執着を感じ取ってはいないのだろう、と考えを巡らす。無意識下でナマエはガロウのことを“すくい上げて”いた。手を伸ばせばそれを振りほどくことなく握り返してくれるナマエは、やはりガロウにとっては“救い”そのものだった。
 ナマエにとっても、今までの人生のなかで、ガロウに助けられたところは少なくない。ストーカー被害に遭っていたときは犯人を退治してくれたし(見返りというにはあまりにも容赦なかったけれど)、買い物をしたときは荷物持ちとして手伝ってくれた。例え些細なことだったとて、そんな気遣いや手助けが、ナマエはどうしようもなく嬉しかった。ガロウはヒーローを嫌悪しているが、事実、ナマエは自身にとっては彼をヒーローであると、そう思っていた。そんなことは口が腐っても言えなかったが。
 ガロウは自ら自身のことを怪人と名乗っている。ナマエはそのことを知らない。彼が伝えていないからだ。ヒーロー狩りをするなどと言えば心配をかけるに違いない。加えて、ガロウと共に在るとの情報はいずれどこかで漏れてしまうことを危惧していた。その際にナマエを危険な目に晒すわけにはいかなかった。
 ナマエがガロウのことを第一に考えると同様に、ガロウが自身のことよりナマエの身を気にかけるのは、当然のことだった。そしてナマエを守ることも然り。けれども、そうは結論づけるものの、実のところ心の奥底では、否定されるのを恐れているのかもしれないな、とガロウは自嘲気味に笑う。ナマエに否定でもされれば、などと考えただけで頭が狂いそうだった!実際、そんなことは有り得ないのだが、ガロウはナマエのことを想っているからこその惧れだった。ナマエだけは自身の味方でいてくれると、自身のことを受け入れてくれると、そう思っていたから。拒絶された暁には何を仕出かすかわかったものではない。そこには異様なまでの執着があった。異常だと言われても構わない。それくらいガロウにとってナマエとは大切な存在であったし、ただの幼馴染と表するには物足りぬ関係であることを承知していた。

「じゃ、ちょっくら出かけてくるわ」
「出かけるの?どこに?」
「……まあ、暇つぶしだよ」
「それなら、わたしも一緒に」
「いや、それは駄目だ。ナマエはここにいろ」

 ナマエは不思議そうにガロウのことを見つめる。その視線から逃れるように、ガロウは顔を逸らし頭を掻いた。ヒーロー狩りに行くだなんて口が裂けても言えない。それに、ナマエがガロウと共にいるところを見られるのは避けたかった。
 ナマエはナマエで、ガロウが何かを隠していることを察知する。だが、深く追求することはなかった。彼にも彼なりの思考の末に辿り着いた答えであると思ったからだ。

「そっか。気をつけてね」
「……おー」

 そしてナマエは微笑みながら、プレハブを去っていくガロウの後ろ姿を見つめた。
 「わたしはどうしよう」ガロウが去った今、娯楽がなにもないプレハブにいるのはあまりにも暇の一言に尽きる。ソファに横になりただ天井を見つめるも、生産性のない行動であるがゆえにやがては限界が訪れた。そしてナマエも、何か用事があるわけでもなかったが、とりあえずこのプレハブを出ようと思った。どうせガロウにはバレないだろうと思っての行動だった。ヒーロー協会を去った今、自身のことを血眼になって探されていることも知らずに。油断と言うに事足りるものであった。
 当てもなく歩みを進める。何も考えずに闊歩していたら、公園にたどり着いた。するとそこには膝を抱えて泣いている少年がいた。ナマエは慌てて駆け寄る。
 「……ぼく?どうしたのかな?」そう訊ね肩に手を置くと、彼は弾かれたように顔を上げた。その顔は涙に濡れている。

「……ひざが痛くて」
「あ、本当だ。血が出ちゃってるね」

 ナマエはそれを確認すると、腰のバッグから救急箱を取り出した。それを見た少年はぱちくりと目を丸くする。

「絆創膏貼るね」
「うん。お姉さん、準備いいんだね」
「ふふ。わたしもね、よく怪我するから」
「……ほー。それは初耳だな」

 「俺は確かにあの小屋にいろと言ったはずなんだが?」突如として落とされた言葉に、ナマエの身体はピシリと固まった。ギ、ギ、と後ろを振り返れば、そこには案の定ガロウの姿が。
 謝ろうと口を開こうとするが、ナマエは驚いたように立ち上がり、その挙動にガロウは柄にもなくビクッとした。

「ガッちゃん、その傷どうしたの?」
「あ?……あー、ぶつけた」

 ガロウの左頬にはいくつか血の流れた擦過傷があり、右頬には黒々とした打撲痕がある。その様相にナマエは泣きそうな面持ちになる。それを見たガロウは、焦燥感と同時にどこか充足感を得ていた。ナマエが自身のことを気にかけていることが嬉しかった。今ナマエが見ているのは自身のみであるということが、どうしようもなく幸せだった。「座って。手当てするから」近くにあるベンチに座り、隣を叩く。ガロウは「そこまでする傷じゃねーし」と言うが、「お願いだから、座って」と力強く言われ、しぶしぶ隣に腰掛ける。

「消毒するよ?沁みるかも」
「……いてて」

 消毒液を浸した綿球で傷跡をなぞり、血を拭う。すでに止血はされているようだったので、ガーゼで覆うと、テープで固定する。右頬には痕の大きさに合わせて湿布を切り、丁寧に貼付する。
 「おじさん、大丈夫?」ガロウの隣に腰を下ろした少年が言う。それにナマエは首を傾げた。

「ふたりとも、知り合いなの?」
「うん。僕がいじめられてたところを助けてもらったんだ」
「へえ〜そうなんだあ。ガッちゃんやるねえ」
「話を逸らすんじゃねえ」

 ぎくりとナマエは身体を硬直させる。「あの小屋にいろって言ったよなあ?」近距離でそう言われる迫力と言ったら!ナマエはだらだらと冷や汗を流す。

「それによく怪我してたってなんでだよ。よくドジ踏んでたってか?」
「ううん。わたしって何かとヒーローに同行することが多くて、そのときに巻き込まれたっていうのが多いかな」
「……」
「……あっ」

 ナマエは思い切り地雷を踏み爆ぜたことに気がついた。ガロウがいたくヒーローを嫌っていることは重々理解しているがために感じ取った異変。ガロウの機嫌が底辺まで低落する。「ご、ごめんね、ガッちゃん。怒らないで?」ナマエが慌ててそう言えば、「ガッちゃん言うな」と返事が。

「やっぱ連れ出して正解だったな」

 ふと、ガロウがそう呟く。彼はひどくナマエの身を案じていた。それこそ形容できないほどに。それは怪人人間と謳うにはあまりにも人間じみていた想いだった。
 ガロウは自身の行動でナマエが傷つくのを見たくなかった。ヒーロー狩りなんてものを施行すれば、その暁には当然ヒーローたちが阻止しようと腰を上げるだろう。だとすると戦闘は避けられるものではない。だからこそ、近くに在るべきナマエに被害が及ぶ可能性も捨てきれなかったからだ。

「ガッちゃん……?おじさん、そういう風に呼ばれてるんだね」

 少年が何とはなしにそう言う。するとガロウがその言葉にぴくりと反応を示す。それを目にしたナマエは「あっ、ぼ、ぼく?あまりガッちゃんのこと刺激しないでねっ?」と、わたわたしながら言う。

「だからガッちゃん言うなっての」

 ガロウはふう、と呆れたように息を吐き、手当てしてもらった左頬に触れる。そしてまるで大切なものに触れるかのように、ガーゼの縁を優しく指でなぞった。
 「そういえば今日ね、おじさんが好きそうな本持ってるんだ」少年はおもむろにそう言うと、服の中からゴソゴソと本を取り出した。
 ───ヒーロー名鑑。ヒーローの顔写真を始めとして、その戦い方や特徴などの基本情報を把握できる本である。ガロウはそれを興味深そうに覗き込む。

「このA級ヒーローの雷光ゲンジは、僕んちの近所をよくパトロールしてるんだよ」

 ほら、サイン入り!少年は嬉しそうにそのサインを見せてきた。微笑ましい姿に、ナマエは優しそうに笑みをたたえる。
するとガロウが本には怪人のことも記載されていることに気がついた。「なんだオイ、怪人も載ってるじゃねーか。ワクワクするな」楽しそうに発せられた言葉に、少年は「何で怪人のページでワクワクするの……」とどこか呆れを混じらせた声音で呟く。
 少年が軽く引いているのを見たナマエは、笑顔こそ浮かべてはいるものの、無感情に彼のことを見つめる。ガロウが怪人のことを好きなのは昔から知っていることだ。だからこそ怪人に関する記述があることに興味を示したのだと、それくらい容易く想像ができる。

「ぼく。この世にはいろんなひとがいるんだよ」
「?うん、知ってるよ」
「だからね、その分いろんな考えがあるの」

 存在する人間の数に比例して多種多様な意見があるのだとナマエは言う。正義を支持し悪を淘汰するのを歓喜する者もいれば、逆もまた同様であると。しかしそれは“ヒーロー”と“怪人”という括りではなかった。あくまで“正義”と“悪”という集約であり、そしてその思考は子どもじみたものなのだった。
 怪人は人間に害をなす悪しき存在である。ゆえに怪人に憧れを持つのは“異常”であると考えずにはいられない。けれども、ナマエはガロウのことに理解を示す。ガロウは怪人に憧れを抱いているが、事実人間を殺めたことはないではないか!怪人が好きだと言っておきながら、生命を脅かすほどの範疇で人間に手を下すことはない。それはガロウが細やかな理性を持ち合わせているということだ。そもそもガロウが怪人を名乗るのは“弱者”の立場を“強者”に認知させるためである。それが総ての始まりなのだ。ガロウが自身を怪人と名乗っていることはナマエは認識していなかったが、それでも根本にあることを理解しているがゆえの判断だった。
 そう、ナマエは理解していたからこそガロウの肩を持つのである。ただ単に怪人のことを羨望するのとはわけが違うのだ。しかし怪人を好きだというだけで門前払いを喰らうがために、そこに気がつく者はいないのが現実だった。
 例え少数派の意見とて、それは無視できるものではないとナマエは少年に言い聞かせる。多数派が贔屓される世間体にはナマエも辟易していた。なぜもっと大らかに思案することができないのか。かと言って、ナマエはただの悪人を支持するわけではない。ガロウに重点を置いているからこその思考であるが、あまりにも当たり前な思考であるがゆえに、灯台下暗し、ナマエはそれに気づかなかった。
 「うーん、でも、怪人が好きだってやっぱりおかしいよ」しかし、少年はどうにもナマエの言うことを認めようとしなかった。そして、やはりガロウはこの世の中からすると異端な存在なのだということを痛感させられる。何と言おうとも少年は首を縦には振らなかった。それにナマエはどうしようもなくもどかしくなる。
 なぜ誰もガロウのことを分かってくれないのか、なぜもっと物事を柔軟に考えることができないのか、それだけが気がかりだった。
どうしたら理解してもらえるのだろう。どうして少数派は淘汰されてしまうのだろう。ナマエが悩んでいると、ガロウが口を開く。

「ナマエ、もういいって」
「ガッちゃん……」
「いいって。気にすんな」
「……おじさん、友だち少なそうだもんね」
「うっせ。俺にはナマエがいたらそれでいいんだよ」

 ガロウがなんてことない顔でそう口にすると、ナマエはぽかんと口を開けて呆けた。まさかそこまで自身のことを気にかけてもらっているとは知らなかったからだ。改めて言葉として表出されると、嬉しいと共に恥ずかしさを感じる。思わずナマエの口元が緩む。
 するとそれは少年も同じだったようで、「おじさん、お姉さんとどういう関係なの?」と問うてきた。それにガロウはにやりと口端を吊り上げる。

「付き合ってるの?」
「……さあ、どうだろうな」

 うまくはぐらかすガロウに少年は不思議そうな面持ちになる。そしてナマエがハッと正気に戻った頃には、ガロウはベンチから腰を上げていた。
 「おっと、パトロールの時間だ……」時計を見れば十七時だった。ヒーロー名鑑によれば、A級の黄金ボールが居酒屋に顔を出す時間帯であるらしい。ガロウは次のターゲットに彼を選んだのだ。

「じゃあなクソガキ。またその本見に来るぞ」
「え……うん!わかった!!」

 ガロウは少年の頭の上に手を置く。そして「あと俺はおじさんじゃねえ。言葉には気をつけろ」と付け足すように言った。
 けれども肝心の言葉が耳に届かなかったらしい。少年は「え?なに!?聞こえなかった」と言う。その態度にガロウは図らずも額に青筋を浮かべる。そして「なんで俺のことはおじさんなのにナマエのことはお姉さんって呼ぶんだよ」と独り言ちた。それが聞こえたらしいナマエが小さく笑うと、「なんだよ」とガロウに頭を小突かれる。その表情は穏やかなものであり、第三者が介入しようものならガロウが怒り狂うような、そんな空気を纏っていた。その様相を見た少年は、幼いながらにやはりふたりは付き合っているのではなかろうか、或いは将来を共にする間柄ではなかろうか、と思う。
 そしてガロウは軽く伸びをすると、ナマエの方を向いて口を開いた。

「ナマエ、行くぞ」
「えっ、行くってどこに?」
「小屋にだよ。送ってく」
「そんな、ひとりで戻れるのに」
「いいから大人しく送られてろ」
「……う、ん。わかった」

 ふたりがベンチから立ち上がり去るのを、少年は見つめていた。途中で振り返るナマエと手を振りあいながら、その姿が見えなくなるまで少年はふたりのことを見つめていたのだ。

- ナノ -