ナマエがバングの道場を訪ねた数日後、A市が壊滅した。それは、丁度シババワの“地球がヤバい”予言に関してS級ヒーローが協会本部に非常収集されていた時の出来事であった。緊急集会の主催者シッチですら、まさか地球の今後についての話し合いを始めた直後に予言が的中した大規模災害が発生するとは露も思わず、幹部の威厳を微塵も感じさせないほど狼狽し取り乱していた。
 堅固な要塞であるヒーロー協会本部には傷一つつかず、内部には何ら支障はきたされていないが、外は見るに堪えないほど惨たらしい。協会内では緊急時の警報がけたたましく鳴り響いており、職員は慌ただしく動き回っている。その目まぐるしい様子が事の重大さを表していた。各自対応に追われる中、ナマエはシッチのいる緊急集会が開かれていた部屋へと足を動かしている最中である。
 なぜシッチの秘書にあたるナマエが集会に参加していないのかといえば、単にS級ヒーローへ予言の内容を通達し対策を練る以前に、怪人に関する事務処理の仕事が多かったためである。近い将来、それこそ地球の存亡がかかっている規模の災害が発生するとなれば、無論ヒーローたちの協力を仰ぐことは必須。しかし、市民に地球滅亡の危機が知らされてしまえば、混乱を招きかねない。よって教会も、下手に大きく動くことは出来ない状態なのだ。だが時間は止まることなく進んでいく一方であり、決して情報が漏れないように実力のあるヒーローたちに予言の内容を通告することが求められていた。
 そのような中で、増加し続ける怪人による被害や対策についての書類を作成し、まとめる業務も同時進行していく必要があった。近頃の頻発する怪人発生数は無視できたものではない。怪人の発生場所を特定し避難経路を吟味したり、怪人の特徴をまとめ対処策を明示したりと、可能な限り被害を抑えるためには市民への情報をより確かなものにしなければならないのだ。その結果、睡眠時間を削りに削り、否応なしに仕事に身を捧げる職員も少なからず存在している。

「シッチさん!」

 シッチのいる部屋へと飛び込んだナマエが見たのは、頭を抱えて震え上がるシッチの姿と、想像していたよりも密度の小さい室内だった。どうやら収集されたヒーローたちは怪人の元へと向かったらしい。その迅速な行動に感嘆の声を零したナマエだったが、ふと天井に大穴が開いていることに気がつき、首をかしげる。協会本部は鉄壁の要塞である。天井も例外ではない。そんなところに、一体どうやって穴が?頭には疑問符が浮かぶが、それは苦悩するシッチを目にして頭の片隅へと追いやられる。すぐさまシッチの元へ走り寄って口を開いた。「シッチさん、大丈夫ですか?お怪我をなさったのでしたら、すぐに医療班を───」耳にかけていた無線機で連絡を取ろうとしたところ、目の前に手を広げられて制される。「いや、医療班の手配は必要ない」シッチはそう言いながら、もう片方の手で眉間を押さえていた。

「思ったよりも事態は深刻らしい。まさか今日、それも緊急集会を開いている最中にこんなことが起こるとは」
「これがシババワさまの仰っていた?」
「そう思いたいが、しかし……」

 シッチはそれっきり黙りこくってしまった。普段から尊厳な振る舞いを崩すことのなかった上司の、初めて目にした弱々しい姿。ナマエは思わず口をつぐむ。
 どのような言葉を発するべきか思案していると、部屋が大きく揺れ動いた。外でヒーローが奮闘しているのだ。協会本部が外部から攻め落とされることはないと思うが、今二人がいる部屋は天井に大きな穴が開いてしまっているし、安全とは言えない。周囲の環境を細かに観察したナマエは、とりあえずシッチと共に移動をすることにした。

「今はヒーローに任せるしかない。出動してくれているのはS級だ。彼らならば必ず事態を収拾してくれる」

 足の動きを止めることなくシッチは言う。「A市は跡形も無くなってしまった。また一つ、地図から街が消えるんだ。……これから地球は、どうなってしまうのだろうな」今だに協会中に響き渡る警報にかき消されそうな声量だったが、ナマエの耳には確かに届いていた。だが、安易に口を開いてもかける言葉が見つからない。

「いや、まだだ。まだやれる事は沢山あるはずだ。私達ができる事をしていかなければならない」

 シババワが未来を予言してきた今までの内で、地球がヤバいとまで表現することはなかった。よって今後、並大抵ではない災害が降りかかることは確実である。それも、今回のように一つの市を一瞬にして壊滅させるほどの規模でだ。市民に不安を与えないために、このことは一部の人間にしか公開されていない。だが、協会にはたかが予言であると楽観的に捉える者がいた。そんな中で、口にすることはないがシッチは密かに人類の存亡について危惧し、恐怖を覚えている。実際、予言が的中したと言ってもいいほどのレベルで災害が発生したのだ。彼はいよいよ、その危惧していたことが現実となることを確信していた。
 ナマエもまた、A市が壊滅したことに大きな衝撃を受けていた。ナマエの新しい住居はA市にあるのだ。つまり、再び家を喪失したことになる。ヒーロー協会に勤めている以上、自宅はなるべく協会近辺に確保した方が負担は小さい。しかし引越しをしようにも、A市全体が消滅してしまえば話は別だ。

「ナマエくん。恐らく、これからもっと忙しくなる事が予測される。サポートをよろしく頼むよ」

 仕事中にも関わらず、内心を私的なことで埋め尽くされているナマエは、シッチの問いかけに一度で気がつくことができなかった。普段なら直ぐに返ってくるはずの返事が聞こえなかったことに対し、シッチは不思議に思い、再三言葉をかける。「……ナマエくん?どうかしたのか?」それに漸く我に帰ったナマエは、自身の方に顔を振り向かせているシッチを見てハッとする。そして勤務時間であるのにまったく無関係なことに考え惚けていたことを悟り、慌てて頭を下げた。

「す、すみません!少し考えごとを……」
「まあ、無理もない。A市が丸々無くなってしまったのだからな。心配な事があったら相談してくれて構わないよ、私が何とかしよう」
「……いえ、でも、私事なので」
「いいから言ってみなさい。……これは、私が望んでやっていることだ」

 シッチが目を細めながら話す姿を、ナマエは困惑した表情を浮かべながら横目で確認した。
 現在、ヒーロー協会という職場を自身に与えてくれたシッチは、ナマエにとってまさに救いのような存在である。金を稼がなければ生活必需品を揃えることができないし、生きていくこともできない。ナマエはそのことを重々承知しており、シッチに対する感謝の気持ちはしっかりと胸に抱いているつもりである。だが、彼にはどこか違和感を覚えた。思えば秘書に任命されたのもシッチの操作によるものであったし、一職員としてかかわるにはあまりに過剰な執着を肌で感じていた。

「ナマエくん。頼む」

 シッチも緊急集会のリーダー役に選抜されるくらいの身であり、決して馬鹿ではない。このように言えばナマエの性格上、拒否することができないと知っていた。
 やがて、ナマエは折れた。当然と言うべき結果だった。そして重い口をおずおずと開き、話し始める。「……また、家がなくなってしまったなあと思いまして」その言葉を耳にしたシッチは、なんてことない顔で「なら私がどうにかしよう」と言った。ナマエは驚愕した。まさか家を準備するつもりなのだろうかと考えたのだ。さすがにそこまでしてもらう義理はない。慌てて断りの言葉を述べようとしたが、それを遮るようにしてシッチは話し始める。

「A市の壊滅は協会に大きな衝撃を与えた。だから、状況が落ち着けば動きがあるはずだ」
「た、確かに、さらなる対策を練っていくことになるとは思いますが」
「私が言いたいのは、本部そのものの強化や改築についてだ」
「……?」
「元々、増え続けている怪人に早急に対処する方法として、話は出ていたのだ。この事件が良いきっかけとなるだろう。これはヒーローにも職員にも、悪い話ではない」
「!」
「ああ、何となく言いたい事が伝わったかな?……そう、ヒーローと教会職員には、本部への居住権が付与されるという話だよ。勿論、ボーダーラインは引かせてもらうがね」




 その後、ヒーローの活躍によって宇宙人の撃退に成功し、地球の安寧は守られた。さらに、シッチの言った通りにヒーロー協会本部は強化改築を実施することに決定した。より強固な要塞とするための再築、各市へ直通する道路の建設、そしてA級以上の希望したヒーローに本部に移住する権利が与えられる運びとなったのだ。職員も、望む者がいたら住居を借りることが可能ということらしい。
 通達によると、ナマエの居住スペースは既に確保されているとのことだ。想像を絶する手際にナマエは開いた口が塞がらなかった。協会本部の敷地内で生活をするとなると、今まで以上に協会に拘束される日々が続くこととなるだろう。そんな思いに苛まれながら、ナマエはそっとキリキリ痛む胃を手で押さえるのだった。

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