「で、その子供はどうしたの?」

 タレオは自身を取り囲む怪人たちに心底震え上がっていた。身体が恐怖に支配され、異様な空気に表皮がぴりつく。今すぐにでも絶叫し走り去りたかったが、足は震えてろくに動かず、顔面に貼りつけられたガムテープで発声することも叶わない。
 否が応でも涙が溢れた。口許が覆われているせいで呼吸苦に見舞われていた。しゃくりあげることすらままならなかった。
 現在、キリサキングと蟲神は地上での顛末をギョロギョロに報告しているさなかである。彼らは、ガロウが怪人協会に入会するまでもない存在であったことをギョロギョロに伝えた。子どもひとりすら殺せない、結局は口先だけの、ただの人間であったと。ゆえに入会させれば、いつ裏切られるかもわからない。
 ガロウを処分したのはキリサキングと蟲神の判断によるものだった。キリサキングはあくまで“話し合い”をした結果、強襲してきて反撃せざるを得なかったと言う。だがギョロギョロはその虚言を見抜き、建前は不要であると言い放った。
「俺達の判断で処分したところで何か文句あるか?」蟲神は半ば苛ついた様相でそう吐き捨てる。それを見かねたギョロギョロは受け流して「文句はないよ」と躱した。
 キリサキングはガロウがなかなかの強敵であったと口にする。そして蟲神と組ませて地上へ派遣したのも理解できたと。そこで、彼はガロウと戦闘に至ることを予測していたのかと納得した。
 そしてギョロギョロはタレオの存在に関してキリサキングに言及する。面倒ごとはごめんであると口にするも、キリサキングはタレオを自身の欲望の捌け口にするために同行させたと言った。

「たまに発散しないと、また衝動的にここの誰かを切り裂いちゃうからさ」

 にたりと口角を吊り上げたキリサキングに、ギョロギョロは「遊ぶ時間は残ってないぞ」と返答した。
 どうやら怪人協会の場所を特定するための探査ロボットがアジト周辺で確認されたそうなのだ。ギョロギョロは、ヒーロー協会が自身らの居場所を特定するのにあと一日もかからないであろうと推測している。そうすると、待ち受けているのはS級ヒーローとの戦闘だ。
 先日の宣伝で集結した怪人らは、どこか浮き足立っているとギョロギョロは指摘する。例え怪人協会の方が優れているとて、慢心は許されるものではない。なにかあってからでは遅いのだ。秘められた切り札を憶測したうえで行動するのが望ましいだろう。それこそ、ムカデ長老やゴウケツが倒されたという事実があるのならば。

「各自戦闘準備しておけ」

 ギョロギョロは戦慄を誘う声音でそう口にした。




 やがてタレオは、キリサキング曰く“ゲストルーム”へと───つまるところ、牢屋である───連れていかれた。「ワガンマ君〜お友達を連れてきたよん」上機嫌な声音で背を押され、なかへと入れられる。そこには先客がいた。
───ワガンマ。ヒーロー協会における大口スポンサーのひとり息子である。彼は怪人に誘拐され幽閉されていた。
 ワガンマは、プロヒーローは父を含め自身の指示を遵守すると言う。つまるところ、彼らを使役することができるのである。したがって、現状を楽観視していた。そこには必ず生還できるという確信があったからだ。
 ヒーローに命令を下せば、生存しここから脱出することが可能である。そしてそのついでに、タレオも助けることもまた同様なはずだった。尤も、ワガンマにとっての優先順位は彼自身の方が高いのだが。
 ワガンマはタレオに、助けてやる代わりに今後自身の部下であれと言った。タレオはその言葉に違和感を覚える。けれども今は従順でいた方がことが運びやすそうである。賢明なタレオはおとなしく同意した。そして泣きべそをかきながら「家に帰りたい」と呟いた。
 すると、耳障りの悪い音を立てながらヘドロクラゲが現れた。「何を話してるのかな〜?」タレオはそれに絶叫し、上擦った声を上げながらワガンマと共に牢屋の端へ後退する。

「残念ながら二度と帰れないよ、キミ達は」

 不愉快な呼吸音が牢屋に響き渡る。恐怖のあまり声を出せないでいるタレオを横目に、ワガンマは“自身を牢屋から出さなければ、数多のヒーローが怪人協会に乗り込み救出にやってくる”と声を張り上げて言った。富裕層の力さえ有していれば、怪人など一網打尽にできるはずなのだ。だがヘドロクラゲはそんな虚勢を嘲笑うかのようにして「みんな死ぬよ。ヒーローもパパも」と続けた。
 ワガンマを救うために訪れたヒーローはみな、怪人の手によって殺される。そう断言したヘドロクラゲに、さらにワガンマは“金属バットならば楽勝である”と食ってかかった。だがそれは単なる空威張りだった。ヘドロクラゲは金属バットの行く末を認知していたからである。ワガンマがいくら強気でものを言い放っても、ヘドロクラゲは笑って一蹴するだけだった。
 ヘドロクラゲは怪人協会の理念について述べる。怪人側に位置する者は、例えS級ヒーローが根城へ乗り込んできたとしても、絶対的な力量の差で勝利を収めることができるという確固たる自負がある! そう豪語するヘドロクラゲに、タレオとワガンマは恐怖を抱き、冷や汗が背筋を伝うのを実感した。“ヒーローが怪人を淘汰する”という、世間一般でいう常識が通用しない予感がしたのだ。
「あ、そうそう。忘れてた」ヘドロクラゲは粘着質な音を立てて身体を動かす。そしてすり抜けるようにして牢屋のなかへ入ると、怯え震えていたタレオとワガンマの前に、ぬるついたモノを放り投げた。

「お、お姉さん……!」

 それはぐったりと脱力し気を失っているナマエだった。タレオは泣きべそをかきながら側へと駆け寄る。ヘドロクラゲはタレオのその姿を視認すると、不快感を煽る笑い声を上げながら去って行った。
「お、お姉さん、起きてよ」タレオは両眼から涙が零れそうになるのを堪え、必死にナマエの身体を揺さぶる。ワガンマも恐る恐る歩み寄った。「こいつ……」そしてナマエの顔を見つめると、ぽつりと「ヒーロー協会のやつだ」と言った。

「ワガンマくん、お姉さんのこと知ってるの?」
「うん。パパがよく話すから」

 仕事ができるってさ。ワガンマはとうとう涙を零し始めたタレオを横目に「こいつが来たってことは、やっぱ僕達助かるよ」と続けた。どこか安堵したように胸を撫でおろす様子に、タレオはしゃくり上げながら訊ねた。

「ど、どうしてそんなに自信があるのさ」
「パパもヒーローも怒ってるってことだよ。そしたら普段より力が出せるってことだろ」
「……そうなのかな……」
「そうだって」

 根拠のない自信だった。だが窮地に立たされたタレオとワガンマにとっては、それが一種の拠り所となるに違いなかった。
 すると、途端に元気の湧いてきた面持ちをしたワガンマの横でくぐもった声が聞こえた。その音にタレオがいち早く反応する。「お姉さん!?」涙声でナマエを見つめた。
 ナマエはゆっくりと起き上がると、周囲を見渡す。牢獄にタレオとワガンマの姿。そして濡れた自身の身体。それらから推測するに、恐らく乱暴され、かつ拉致監禁されているという結論を導き出した。
 べっとりと四肢肢体が濡れ、服が肌に密着している嫌悪感が襲いかかる。時折脳内を過ぎるのは、ヘドロクラゲに対する恐怖心だ。怪人相手に凌辱されたことへの恐怖。当時の体感が明瞭に蘇り、ナマエの身体が震える。
「お姉さん……大丈夫?」顔を真っ青にし震え始めたナマエを見かねたタレオが訊ねる。彼女は数秒の時間をおいたのち、ひとつ大きく息を吐くと、ゆっくり彼の方を振り返り「……うん、大丈夫。ありがとうタレオくん」と言った。誰が見ても強張った笑顔だったが、タレオは唾液を飲み込むことしかできなかった。




 体感で数時間ほど経過しただろうか。タレオは船を漕ぎ、ワガンマは横になり睡眠を取っていた。ナマエはぼんやりと膝を抱え、彼らのことを見つめている。
 やがて、なにかが牢獄へ近づいてくる足音が廊下に響いた。ナマエは嫌な汗をかく。可能ならばヘドロクラゲとは顔を合わせたくなかったからだ。彼女は先のことを思い出し、再び身体が震え始める。気味が悪いほどに動悸がひどく、妙な口渇感に襲われる。ナマエはぎゅっと両眼を閉じた。
「おはよう」ゾッとする声だった。ナマエは恐る恐る瞼を上げると、そこにはキリサキングが佇んでいた。
 キリサキングの声でタレオとワガンマも覚醒する。キリサキングはタレオに牢獄から出るよう言った。ワガンマはそれを救済だと思ったのか、自身も出せと抗議するも、キリサキングは“遊び相手になってもらう”のだと返答をし、態度を変える。ワガンマの冷たい豹変にタレオは助けを懇願し泣き始めた。
「待って」ナマエは意を決した表情で立ち上がる。キリサキングは彼女を見遣ると、にたりと笑った。

「ヘドロクラゲに犯された哀れな女がなに?」
「……タレオくんを返して」
「へえ、私に盾突くんだ」

 ナマエは楽しそうにけらけらと笑い始めたキリサキングに近づき、タレオとの間に割り込む。「……」するとキリサキングはなにかを思いついたかのような面持ちになり、愉しそうに「いいよ。じゃあふたりとも私の部屋においで」と口にした。
 タレオのみならまだしも、ワガンマはナマエまでもが牢屋から出されるとは思ってもみなかったのか、焦燥した様相で絶叫した。「僕をひとりにするな!」恐怖心が刺激され、孤独感を恐れたのであろう。だがナマエが口を開く前に、ふたりは引きずられるようにしてキリサキングの部屋へと連れていかれた。
 部屋に到着すると、キリサキングはくつくつと笑いながら片方の腕を伸ばし、タレオの顔に傷をつけ始める。「やめて」ナマエは声を震わせながらもキリサキングを睨めつけ、タレオの前へと移動すると、彼を庇うように両手を広げる。
「その強がり、いつまで続くか見ものだね」卑しく笑んだキリサキングの矛先がナマエの顔へと移る。タレオは再度泣き始めた。
 キリサキングは殺人が生きがいであると言う。今現在勃発している怪人協会とヒーロー協会の対立にもそこまで興味がないと。ただ単に血を見られるだけで満たされるのだと。彼はニンゲン界における恐怖の権化を───ある種の地位や名声を得ることを目標にしているような───求めるような怪人よりも厄介な特徴を有しているのだ。
 キリサキングの刃がナマエの頬に切り込みを入れたのち、眼球に狙いを定める。タレオは助けてと泣き叫んだ。刃先が角膜に接近する。彼女は口を結んだ。
 次の瞬間、轟音とともに土煙を上げながら壁が崩れ落ちた。舞い上がる土埃にナマエとタレオは思わず眼をつむる。そこから“なにか”が現れた。
 キリサキングは素早く反応を示す。“なにか”がなんなのかを瞬時に理解したキリサキングは咄嗟に腕を振りかぶる。だが相手はその攻撃を受け止め、腕を折ってみせた。そしてそのまま左手で頭部を殴りつける。あまりの力強さにキリサキングの頭が身体から引き千切られた。
 キリサキングは言葉を発することも叶わぬまま全身が粉々になり、唯一残った包帯がはらはらと地に落ちた。

「おじさん!」

 タレオは泣きながら歓喜する。“なにか”の正体はガロウだったのだ! ナマエはタレオの言葉にそっと眼を開け、周囲を確認した。すると眼下にキリサキングの残骸と壊れたコンクリートの塊が散らばった光景が広がっていた。
「ナマエ」名を呼ばれたナマエは視線を地面からガロウへと移す。彼女は彼の姿を確認したと同時に床にへたり込み、それから「よかった」と言った。
 屹立しているガロウは誰が見ても満身創痍だった。ナマエは身につまされる思いになる。例え救出され生還したとしても、そこにガロウが含まれていなければ無意味なのだから。ナマエは震えた声で彼の名を呼んだ。

「ガッちゃん……」
「立てるか?」
「う、うん、……あ、あれ、たてない」
「……」
「ど、どうしよう」

 腰が抜け立ち上がることができないナマエは半べそをかいた。今すぐこの場から離れた方が良いのは重々承知していたが、自身がその妨げになっていると思案したからである。「お姉さん、僕の手を掴んで」タレオはそう提案するも、ガロウは抱えた方が早いと言いナマエのことを抱き上げた。
「ガ、ガッちゃん、汚れちゃうよ」どろどろの身体に密着すれば、有無を言わせず彼まで同等になってしまう。それこそヘドロクラゲの体液とまでなれば、より嫌悪感が誘起されるというのに。ガロウは苦虫を噛み潰したような面持ちになり舌打ちをした。まるで尊厳を踏み荒らされたかのようだったのだ。彼にとって最下はまさしくナマエが関与しているに違いなく、そしてそれはヘドロクラゲによって蹂躙されたと言っても過言ではない状況下だったからだ。
 ナマエは沈黙するガロウを見遣ると、続けて重症を負っている身体では負担が大きすぎると口にする。しかし彼はその発言を無視した。彼女を守るためにはなんてことのない行動なのである。
 ガロウは扉を蹴破り、アジトから脱出すると言い歩み始める。道中、怪人に遭遇したが、ものの数秒で再起不能にした。タレオは無遠慮に走り出すガロウに、ワガンマというもうひとりの人質がおり、彼のことも助けてほしいと懇願するが、冷たくあしらわれた。

「ガッちゃん、わたしもワガンマくんのこと───」

 ナマエもタレオに同意し、ワガンマも救助すべきだと言うも「自分のことだけ考えてろ」とだけ返答され、押し黙るしかなかった。
 通路を進んでいくと、やがて大きな犬のような怪物と相対した。それは見た目のかわいらしさとは正反対の脅威だった。敵意を見せないようにして距離を取る。だが十分に離れたところで別の怪人が現れた。
 それらの怪人はガロウにとっては敵にもならなかった───のだが、問題が発生した。その怪人を相手にしたことが刺激となり、犬の機嫌を損ねてしまったのだ。
 さてどうなるかと構えたら、犬は誰が見ても殺傷能力の高い、細い通路では逃げ場のない光線を放ったのだ。ガロウは全力で走り出す。
 すんでのところで通路から脱し、広い場所へ出たガロウは、ナマエを下ろす。自立できるほどに回復していたのを確認し頷く。「ここからは二手に分かれて逃げる」タレオを見つめそう言うも、彼は泣きながらひとりでは無理だと喚く。
 そんなタレオを横目に、ガロウは生存確率の大きい選択肢を取った。「ナマエを頼んだぞ」そう言い残したガロウはふたりに背を向け犬を見つめる。それでも離れようとしないタレオに声を荒げた。

「ナマエを連れて逃げろって言ってんだよ! 男だろうが!!」

 そう言い放ったところで、タレオは泣きながらナマエの手を握り走り出した。

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