「どうしておじさんが……ヒーローに狙われてるの!?」

 プレハブの外部を確認するためにガロウが空けていった直径一センチ大の穴。そこから覗き込み外部の様子を覗いていたタレオが、驚愕と動揺を入り混ぜた声音でそう言う。ガロウはプレハブを出て行く前、外部とヒーロー名鑑とを照らし合わせて何かを確認していた。つまり、今彼が対峙しているのはヒーローということだ。
 タレオのその言葉に、ナマエも慌てて穴から外を覗き込む。するとそこにはデスガトリングを始めとした名高いA級、B級のヒーローがいるではないか!ナマエは嫌な予感がしていた。そしてガロウがヒーローと敵対するほどのことが起きているのだと、そう考える。
 ナマエはヒーローとガロウの戦闘を、固唾を飲んで見守る。そうするしかなかった。今出て行こうにも、彼の迷惑にしかならないだろうし、何より戦闘に巻き込まれてしまうだけだろうからだ。
 彼らの戦いぶりは酷いものだった。一対八の、まさしく多勢に無勢の状況なのだ。加えてガロウは歴戦により弱っているときた。誰が見ようにも、彼が敗北を喫すると思わずにはいられない。
 戦闘を見て、ナマエは心配していた。ガロウの勝利を待ち望んでいるわけでなかった。ただ、彼が傷つくのを見たくなかった。まるで殺さんとばかりに猛攻をしかけるヒーローに、彼が死んでしまうことを恐れていた。

「ガッちゃん……」

 ナマエは震えた声をこぼす。ガロウの右肩には二本の矢が刺さっている。それはシューターの毒矢だ。まさか、まさか死んでしまうだなどということが起こりはしないだろうか?見る見るうちに傷をつけられ、血を流すガロウを目にしたナマエは、えも言われぬ恐怖に襲われる。
 すると、一方的にいたぶられていたガロウが、転機の兆しを見せる。鎖ガマの鎖鎌が右足に巻きつけられるが、それを物ともせずスマイルマンのけん玉を受け止め、鎖ガマに向かって弾き飛ばした。そして流れるような速さでけん玉の糸を切ると、独立した玉をガンガンの方向へと放ち、気絶させた。さらには木々の間を介した玉の跳弾を利用してワイルドホーンを倒してみせたではないか!
 窮地に追いやられていたはずだったが、逆転の気配すら窺える。それにナマエはホッとしていた。勝利できそうなことを安心したのではない。まだガロウは立っていられるのだと、生きていられるのだと、そう思ったから。
 気がつけば、スマイルマンやスティンガー、そしてメガネまでもがガロウにより気絶させられ、残るはデスガトリングのみになっていた。
 プレハブを背に、ガロウは直立している。

「───よく見とけ!怪人が勝つ瞬間を!!!」

 それは大気を震わせる声だった。ガロウはタレオとナマエに言い聞かせるかのように声を張り上げた。
 タレオはへたりと地面に尻餅をつく。そして「おじさん……怪人って……どういうこと?」と、怯えながらそう言った。
 ナマエはといえば、存外冷静にガロウの言葉を受け止めていた。そしてひとり思考する。ガロウはどうやら自身のことを怪人と名乗っていることを今認知したのだ。そして、その所以は幼少のときから抱いていた圧倒的な理不尽を覆すための一手なのであろう、と答えを導き出す。けれどもナマエは、ガロウは怪人になりたがっているというわけではないと確信を得ていた。ガロウは怪人を名乗ることで心の奥底にあるくゆりを自身でも欺こうとしているのだと、そう思ったから。
 間もなく、デスガトリングがプレハブも含めた射程圏内でデスシャワーを繰り出そうと銃器を構える。それを見ていたナマエはひっと息を飲んだ。真正面から銃火器をぶっ放されれば蜂の巣になるのは誰にでも理解できる。
 だが、ガロウは逃げようとはしなかった。それどころか流水岩砕拳を駆使し受け流すかのような動きを見せるではないか!彼はプレハブにデスシャワーを喰らわすわけにはいかなかったのだ。それを目にしたナマエは一刻も早くプレハブを出て彼の元へ行かなければと、そう思った。ガロウは生命の最前線で戦っている。その様相に不安を抱いていた。彼が自分の知らない人間になってしまうような、手の届かない人間になってしまうような、そんな気がしたから。ナマエはどうしようもなく彼を近くに感じていたかった。
 ガロウはただひたすらに弾道の軌道を“ズラす”ようにして鉛玉を弾いていた。無我夢中で何百発という弾丸を回避するべくその両腕を、筋肉を、神経を、精到に働かせていた。
 やがて、銃弾が止む。それがデスガトリングの業前だ。一気に全弾撃ち尽くしても尚佇んでいるガロウを目にしたデスガトリングは呆然と立ち尽くしている。

「……ガッちゃん!」

 我慢ならずにナマエがプレハブを飛び出しガロウの側へと急ぐ。すると、「……ナマエ。いいから引っ込んでろ」と、ガロウは庇うように手で制した。その手はデスシャワーの弾丸を避けるために血だらけで、だらんと脱力している。握り拳をつくることすら困難なように窺えた。それにナマエは泣きそうな表情を浮かべる。

「!お前は……」

 デスガトリングはナマエの姿を見て、合点がいったような面持ちになった。それはまるで彼女の姿を目にしたことがあるかのような風だった。それにガロウは怪訝そうな表情を浮かべる。ナマエは鋭い眼光に気圧され、ガロウに縋り不安そうな瞳で様子を見ている。

「あ?ナマエがどうした」
「……ヒーロー協会が血眼になって探している。まさか怪人と共にいるとはな」
「……」
「ガ、ガッちゃん」
「……お前を連れて行けば、俺の評価も上がるかもしれん」

 ナマエはシッチの手配により、その居場所を特定しヒーロー協会に連れ戻すよう命令を受けていた。それはヒーローの皆に命じられた指図だ。彼女はそれを露ほども理解していなかったが。そうまでもして自身が価値のある人間だという自覚がなかったのだ。
 デスガトリングは、懐からすらりと鈍い光を反射させている刃物を取り出す。デスシャワーを受け流したとて、ガロウが満身創痍な状態であることに変わりはない。いつだって逆転できるという可能性を彼は感じていた。
 「ヒーロー狩りを追いつめているのは、A級ヒーローのデスガトリングだ!!」それは切羽詰まった声だった。デスガトリングが現状に痺れを切らしているかのような、そんな声音。
 事実、彼はS級ヒーローとA級ヒーローの圧倒的な待遇の差異に辟易していたのだ。なぜこうまでもして優劣の差が顕著なのか。A級ヒーローであるデスガトリングも、S級ヒーローに引けを取らないヒーローとしての活動を───世の平和を求め命を賭しての活動を───試みているというのに!心情と比例しない扱いを受けて、彼はもどかしい思いを抱いていた。

「糞ヒーローの事情なんかどうでもいいんだよ」

 くだらねえ!!ガロウはデスガトリングの顔面を思い切り殴りつけた。するとデスガトリングは後方へとひっくり返り、失神する。そしてガロウは彼の武器までも破壊してしまった。

「お……おじさん」

 やがて、タレオもプレハブから出てきた。ガロウの名を呼びながら恐る恐る近づいてくる。けれども、振り返ったガロウが、周囲の様子から悟ったガロウの姿が、彼にとってはあまりにも恐ろしかった。
 “ヒーローを倒した”という事実。タレオにとってそれは“正義”を物ともしない“悪”であると認識せずにはいられない。生憎、ガロウが真の悪ではないと思案していたのはナマエのみだった。
 一見して、ガロウはあくまで“ヒーロー狩り”を通じて正義を淘汰しているのだろう。自ら怪人と名乗っているガロウは、皆にとって恐怖を感じざるを得ない対象となる。そうすることによって、ガロウは自身までをもまやかしていた。
 「おう。生きてたか」ガロウがそう声をかけるが、タレオはぶるぶると震え涙目になる。己を囲うようにして倒れるヒーローを見て、その状況を作り出したガロウを見て、ひどく恐怖したから。そしてタレオは後退りをしたのち、叫び声をあげながらこの場から立ち去ってしまった。それにガロウは、どこかぽっかりと、空虚なものを感じる。

「……」

 だが、そんなことは最早ガロウにとってはどうでもよかった。やはり、自身の側にいてくれるのはナマエだけなのだと、そう思う。例えヒーローと敵対していようが、怪人と謳っていようが、ナマエだけは側にいてくれる。彼にはそれだけで十分だった。

「ガキのことはほっとけ」
「……ガッちゃん」
「……っ!?」

 名を呼ばれガロウがナマエのことを見ると、ギョッとした。なんと、彼女ははらはらと静かに涙を零していたのだ!大粒の涙が痛ましさを際立たせる。
 「な、なんだよ。どうした」ガロウは柄にもなく慌ててそう言う。しかし、ナマエの涙は止まることを知らない。

「……ご、ごめんね」
「……泣いてんじゃねーよ」

 涙は止めどなく涙腺から分泌されている。落ちる涙をいくら拭えど、それはずっとナマエの頬を濡らし続けている。ガロウが頬に手を寄せ母指で涙を拭い去っても、次から次へと涙が溢れてくる。泣くなと言っても余計に涙を流してしまうのだから、彼にはお手上げ状態だった。

「って、てあて、しないと」
「俺よりナマエのがやべえことになってんだけど」
「……」
「……、おい。悪いって」

 ガロウがそう言いナマエを引き寄せると、彼女は彼の背に腕を回した。その体温が、ガロウにとってとても心地の良いものだった。ナマエの前髪をよけ、額にかさついた唇を押し当てる。彼は静かに、ナマエが自身のことで涙を流してくれたことを幸せに感じていたのだ。

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