ロビーはひとり悩んでいた。
 このところ、彼らが森のなかへと入る頻度が著しく増加しており───“彼ら”とは、もちろん三角頭とロビー、それに加えてヘザーもである───ニンゲンらから奇異の眼を向けられ始めているからだった。いつまで経っても一向に前進せず、そして現状を打開しようとしないニンゲンに、ロビーは辟易していた。彼はアレッサが忌まわしい存在であるとされていることが気に喰わなかった。そして、もしかすると、あの少女のオオカミに関しても、少しばかり。
 ロビーは今日も今日とて森のなかへ足を踏み入れる。今日日の彼は、ひとつ行動に起こす心積りでいた。そのためにはナマエをアレックスとジョシュアから引き剥がす必要がある。だが、アレックスならまだしも、ジョシュアからひっぺがすとなると、なかなか難しくなるのだった。
 ロビーはアレッサの家でのんびりまったりな時間を過ごしているナマエを観察する。今はどうやらヘザーとトランプをしているようだ。眼にすればするほど平和ボケしたオオカミである。見ているこちら側が不安になるほどだった。しかし、それはもしかすると、ナマエの長所なのかもしれない。あくまで“もしかすると”という話なのだが、ロビーはそんな彼女のことだから、なにかしらの“鍵”を持っていると推測していた。
 ロビーは段々イライラしてきた。元より、ナマエを家から連れ出す手筈は整っていなかった。なんとかなるだろう、という甘い考えにロビーは頭を抱えた。だがこのまま手持ち無沙汰に座っているのも、ロビーの柄ではない。彼はやにわに立ち上がると、ナマエの元へ近づき腕をむんずと掴み立ち上がらせる。当然ながら彼女は眼を丸くしており、手から落ちたトランプが床に散らばる。ヘザーがまばたきすると同時に、予想していた通りジョシュアが立ち上がったのを視界の端に捉えた。

「なにも乱暴するわけじゃない。ただ、少しだけ僕に貸してくれる」

 それは相談ではなかった。その様相に、ジョシュアはほんの少し怯む。そんな彼の刹那をロビーは見逃さず、ナマエを家から引き摺り出した───とは言っても、彼女はなんの抵抗も示さなかったのだが。なすがままにされているナマエを見ると、“こいつこんなんで大丈夫なのか?”と不安に思わないこともない。ただ、今に限っては、そんな性格が好都合だった。

「ロビーくん、どうしたの?」

 ロビーはナマエを家から十分に離れた距離まで連れてくると、芝生の上に座った。彼女もそれに倣い、芝生の上に寝っ転がった。「あんまり近いとアレッサが感づくからね」彼はアレッサの聴覚が反応しない範囲外までナマエを連れてきたのだ。
 燦々と降り注ぐ日光は心地よく、適度に風が吹くおかげで過ごしやすい日和だった。昼寝にはうってつけの気候だろう。そしてロビーがそう思ったのも束の間、期待を裏切らず眠りそうになったナマエを頭を小突く。「寝るなあほ」彼女はそれに眼を開いた。
「どうしたの?」ナマエは起き上がり、再び首を傾げロビーに問うた。すると彼は珍しく言葉に詰まる様相を見せる。彼女はそんな彼を見て、眼をまんまるくした。

「……」
「ロビーくん、なんだか見たことない顔してる」
「そりゃそうだろうね。こんなこと言うの初めてだから」
「?」
「……だから、僕が言いたいのは───アレッサのことに関して、だ」
「アレッサちゃんがどうしたの?」

 ロビーは一語一語を、考えながら口にする。「アレッサが、ニンゲン界で暮らせるように、したい」そこまでは行かなくとも、せめて和解できるようにしたい。ロビーはそう言った。
 馬鹿馬鹿しい提案だと一蹴する輩はいるだろう。だが、ロビーは、眼の前のオオカミは、なにを言っても理解し、共感してくれるのをわかっていた。そして彼はそれを求めていた。

「アレッサちゃんが、ニンゲンのみんなと仲良くなれればいいって、そう思ってるの?」

 色素の薄い瞳がジィ、とロビーを見つめる。思わず見つめ返した彼は、まるで吸い込まれそうな眼をしていると思った。何もかも見透かされたような感覚。しかし、それはあくまで“感覚”であり、当然ながらナマエにはそんな能力はなかった。むしろ鈍いくらいだった。
 ロビーは都合が悪くなってきた。穢れのない瞳には、凝視されているとそわそわと落ち着かなくなってくる。
「……」ロビーは押し黙った。ナマエはなにも言わない。なにかを考えているようである。

「……なんか言えよ」
「ん、んー、いいことだと思う! わたし、なんでアレッサちゃんが森に追い出されたのか、よくわからないの。あんなにすてきな子なのに」
「……そっか。よかった」

 溜め息を吐き、力なくそう言ったロビーに、ナマエは尾を振る。「ロビーくん、なんだかロビーくんじゃないみたい」嬉しそうに、そう口にくる彼女に、彼はざわざわと不穏な感情を抱く。しかし、今はそれどころではない。

「アレッサはニンゲンに恐れられているんだ。普通なら持っていない、未知の力のせいでね」
「お皿とか浮かべるような、あの力のこと?」
「そう。……ニンゲンは異質なものを排斥しようとするからね。要は怖いんだ。本当馬鹿らしいよな」

 吐き捨てるようにそう言ったロビーに、ナマエはぴくぴくと耳を動かす。「……僕は提案しに来たんだ。あいつらの中じゃナマエが一番融通利くと思ったからさ」それに、ナマエなら“どうにかできる力”を持っていると、そう口にしようと思ったが、ロビーはすんでのところで飲み込んだ。このことをナマエ本人には伝えたくなかった。ロビーはそのことは自身だけがわかっているだけでよかった。

「最近、僕らがここに来る頻度が高くなってきてる。ナマエもそう思うだろ?……それで、そのことをよく思わない奴がいるんだ」

 ナマエはその感覚がわからず頭の上に疑問符を浮かべるが、ロビーはそんな彼女のことを無視して続ける。「これは復讐だ。あいつらがアレッサにしてきたことを、やり返すんだ」だが、その言葉を耳にしたナマエは、しゅんと耳を垂らす。

「でも、けんかはよくないよ。だって、戦うなんて危ないし、傷つくし、悲しいだけだもん」

 ロビーはナマエのその発言に我に返った。彼はアレッサを想うあまり攻撃的な思考に陥っていたことに気がついた。それは彼の本意ではない。ロビーはアレッサには幸せになってもらいたかった。ただただそれだけだった。アレッサが幸せになれるのなら手段は選ばない。しかし、その強行突破がアレッサの望むことではないことも理解していた。
「……そうだね。ナマエならそう言うと思った」ロビーが力なくそう呟くと、彼女は口を開く。「じゃあ、ニンゲンのみんなと仲良くなれるような方法を考えなきゃ!」その発言に、ロビーは弾かれたようにナマエを見つめた。彼女は嬉しそうに、そして楽しそうな面持ちをしていた。
 ───ナマエには敵わない。そう思ったのだ。

「じゃあ、どんな方法がある?」
「んー……ニンゲンのみんなが好きなものをあげる!」
「金だったら?」
「え、っと、……んん、そのときは……」

 意地の悪い質問だった。想像通り悩み考えるナマエを見て、ロビーは笑った。そうだ、不可能なことなどない! できないことならば、できるようにすればいい! ロビーは途端に元気になった。
「そしたら、手を組もうか」未だ腕を組んでああでもないこうでもないと考えているナマエの顔を覗き込み、ロビーは言う。

「ニンゲンたちがアレッサのことを受け入れてくれるような方法を探ろう」
「うん!」

 そしてひだまりのような笑顔を浮かべるナマエを、ロビーは静かに見つめる。「……? ロビーくん、どうしたの?」自身のことを見つめ微動だにしない相手に、ナマエは首を傾げる。
 ロビーはなにも言わない。ただ、眼の前のオオカミが、どうしようもなく───……。

「ナマエって本当さ……馬鹿というか……あほというか……」

 ロビーがそう言うと、ナマエはぷんすこと怒り、「そんなことないもん!」と返事をするのだ。それがどうしようもなく愛おしくて、堪らない。
 再びざわざわとした不穏な感情が心の奥底から湧き上がる。ロビーはその感情を知っていた。だが実行するつもりはなかったし、自身のなかで完結させるべきものであることを承知していた。

「あーナマエって美味しそう」

 だから、せめてこの言葉くらいは言わせてくれ。ロビーはそう思いながら自身の気持ちを言葉にすると、ナマエはきょとんと眼を丸くする。

「? ウサギって肉食なの?」
「………はああああ〜〜〜〜〜〜……お前ほんと気が抜けるよな」
「??」

 せめて、その言葉くらいは。

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