03.ほろびのうた


ラジオ塔の占拠は、存外楽に果たすことができた。今や建物内は、黒い制服で支配されている。至るところに置かれたラジオからサカキさまに向けられた放送が流れていて、目的を達成するときは近いのだと胸が高鳴ってしかたがない。

したっぱたちはみんな、忙しなく走り回っている。それぞれ与えられた役割があるからだ。休む暇なんてない、今は走り続ける時期。
そんなわたしも、アジトの二の舞を避けるため、アポロさまから命令された場所に向かっていた。確実にことを運ぶためなのだそうだ。その道中、随分といい姿勢で徘徊するしたっぱを見かけたから、「やる気にみなぎってるね」と声をかけたのがいけなかった。彼はあのときの、アジトを壊滅させたあの少年だったのだ。あれよあれよという間に動きを封じられ、そのまま適当な場所に転がされる。

「ひゃひゃひゃ、お前も捕まっちまったのかあ?」

そこにはわたしと同様、ロープでぐるぐるときつく縛られている男がいた。独特な笑い声を上げて、たいそう楽しそうな様子だが、これは危機的状況。笑っている場合ではないというのに!

「ちょっと…笑ってないでロープをなんとかしようよ」
「つっても方法が無ぇんじゃなあ」
「…?ポケモンもいるし、ナイフもあるのに」
「ポケモンはあの餓鬼に取り上げられちまったよ」
「え」
「おーお前もみたいだな。ひゃひゃひゃ!」

自分の腰を確認してみると、確かにモンスターボールがなかった。……最近の子どもは手癖が悪すぎる。がくり、と落胆すると、楽しそうに笑っていたしたっぱくんはピタリと静かになる。その差に怪訝そうな顔をしたわたしに気がついたのか、彼は口を開いて言った。「次の就職先さ、考えとかねぇとマズイよなあ」……就職先?

「…ロケット団を辞めるつもりなの?」
「辞めるっつーか、もう終わりだろ」
「えっ?終わるってなにが?」
「バカ、話の流れ的にロケット団の事だって分かれよ!」
「……ロケット団が終わる?なに言ってるの?」
「は、…はあああ?お前こそ何言ってんの?こんなになってまで、まだロケット団が機能するとでも思ってんの?」

アジトには侵入された挙句壊滅、おまけにせっかく占領したラジオ塔にまで邪魔をしに来て、どう考えてもロケット団の壊滅は近いだろうが。早口にまくしたてるしたっぱくんの言っていることが、わたしにはどうも理解できなかった。

「ここにはアポロさまもいる。幹部全員がそろっているのに、負ける可能性なんてないよ」
「…お前さ、そんなんじゃマジで解散した時どうすんだよ」

呆れたような口調でしたっぱくんは言った。マジで解散したとき。ロケット団がなくなったとき。

ふと、三年前のことが脳裏を過ぎる。サカキさまが姿を消して、ロケット団が実際に解散してしまったときのことだ。あのときを境に、わたしの両親もどこかへといなくなってしまった。サカキ様の後を追うように、わたしなんかには目もくれないで。ロケット団がなくなって、両親がいなくなって、これからどのようにして生きていけばいいのか分からなかった私に手を差しのべてくれたのがアポロさま。両親がわたしの前から消える前、わたしにはアポロさまが全てなのだと、そう言っていた。もちろんそのときは、まさかそれが両親のわたしに向けられた最後の言葉になるなんて思いもしなかったけど、でも確かに、アポロさまは聡明で優しくて、彼についていけば生きる理由ができたと思えた。

「あなたはロケット団が解散しちゃうと思うんだ」
「……残念だけどな。似てるんだよ、三年前と。やけに真っ直ぐな目をした若っけぇトレーナーが来てさ、荒らしまくるんだ。信頼してたサカキ様も負けてどっかに消えた。……まあ、アポロ様っつー実力者がいたから、今のロケット団があるわけだけど」
「そう。アポロさまがいればロケット団はなくならないよ」
「だから、俺もそう思ってたんだって。三年前、サカキ様がロケット団を引っ張ってくれてた時は。……でも、駄目だったろ?俺が言いたいのはそういうこと」

今のロケット団には、サカキ様やアポロ様のような秀でた実力者はいない。だから、もしこれが駄目なら、……もう終わりだろうなあ。ぽつんと呟かれたその言葉を聞いて、わたしは身体が芯から冷える感覚に襲われた。つま先、指先、体幹、全てが冷えきって、冷や汗が頬を伝って、目の前が真っ白になる。

「お、おい大丈夫か?顔色すげぇ悪いけど」

焦ったようなしたっぱくんが心配をしてくれたけど、それどころじゃなかった。彼の言葉を鵜呑みにするわけではない。でも、だけど、わたしは最悪の想定をしてしまった。ロケット団が、わたしの全てが、この世から消え去ってしまう。そんな恐ろしい想定を。

「…ね、ねえ。もし、…もしね、ロケット団が解散することになったら、どうする?」
「ん?そりゃ別の仕事探して、心機一転、新しいオレになる。それだけじゃね」
「……じゃあ、わたしは?」
「え、いや知らねーよ…自由に生きればいいだろ」
「自由ってなに?」
「じ、自由っつーのは…アレだ」
「アレ?」
「自分の好きなように生きること、みたいな…?やりたいことをやって、生きたいように生きればいいじゃん」
「それっておかしいよ。だって、ロケット団の一員としてしか生きていけないひともいるのに」
「……お前さあ、何か趣味とかないわけ?釣りをするとか、きのみを育てるとか」
「特にないかなあ…。だって、わたしにはロケット団しかないから。そう言われたもん。でも、そうでしょ?みんなも、そうなんじゃないの?」
「お、おまえ…カワイソーな奴だな……」
「大丈夫。きっと大丈夫。アポロさまがあんな少年に負けるわけないから」
「……俺もさ、当時は本当に、そう思ってたよ。サカキ様、強かったし。でもなあ……」

これ以上彼に付き合っていると、頭がおかしくなってしまいそうだ。ここに長居してはいけない気がした。ザワザワと心の奥で何かが悲鳴を上げる。……やる気もないような奴は知らない。気にしない。わたしは身体を捻ってナイフを取り出し、ロープを切断した。「……行くのかよ」当たり前だ。とにかく、ロケット団員に変装した少年が侵入している旨を伝えなければ。……誰に?主要な人物といえば、ちかそうこの鍵を管理しているラムダさま、だろう。

ラムダさまは確か五階にいるはず。わたしは背中に突き刺さる視線を感じながら、階段を登った。
その道すがら、戦意を削がれてしまったのか数々の団員が力なく壁に背を預けて座っている姿が見受けられた。まだこれからなのに。挽回の機会なんていくらでもあるのに。すっかり諦めてしまっている様子は焦燥を駆り立てる。

走っているだけではない奇妙な疲労が身体にまとわりつく。足が重い。なんでだろう。……もしかして、わたしは恐れているの?さっきの彼の言葉を、信じてしまいそうになっているのだろうか?違う。……違う。そんなことない。幹部のみなさんがいるんだから、アポロさまがいるんだから、絶対大丈夫だ。

「ナマエ」

突如現れたその声に、わたしの名前を呼ぶ声に、アジトでのあの感触───ひとを突き刺す、肉を抉る感触が右手によみがえった。なんで、なんでこのひとがまたここに。

「まだロケット団にいたんだね。まあ予想はしてたけど」
「ま、また、あなた……」
「うん?随分と動揺しているようだ」

あの男───アジトでは大分お世話になったチャンピオンが、なぜかここにいた。

忘れもしない、忘れられやしない。先日のアジトでの出来事を。彼がわたしの手を使って、己の身体に刃物を突き立てたことを。真っ直ぐな瞳でわたしに放った言葉を。

ただひたすらにアポロさまに従い生きてきた。それが正しい道なのだと信じてきた。積み重ねてきたわたしの人生を、この男が突き崩そうとしているのが分かる。でも、情けないことに、実際それはガラガラと虚しい音を立てて崩れかけているのだ。確固たるものが、何気ない一言であっけなく形を変えてしまうことが何よりも悔しかったし、何よりも恐ろしかった。わたしの生き方は間違っていたのだろうかと、初めて自分のことで悩むこともあった。

でも、わたしにはロケット団が全て。今まで送ってきた人生以外の生き方なんてわからない。ロケット団じゃないわたしは、わたしじゃないのだ。だって、そういうものだから。それがわたしだから。それなのに。

「あなたとあの少年が来てから、なにかが変わっちゃったんだけど。ロケット団の、なにかが。今まで、何もかもがうまくいっていたのに……!」
「俺には君が変わったように見えるけどな」
「……い、意味が、わからない」
「へえ?……本当は気がついているんじゃないのか?知らないふりはいけない」
「やめて」
「信じたくないだけなんだろう。だから必死に顔を背けて、自分に言い聞かせてる」
「……っやめてよ!!あ、あなたたちがやっていることは、悪だよ、わたしたちにとっての悪!」
「世間から見れば、君達のしでかしていることの方が悪なんだけどな」
「そっちが勝手に仕立てあげた正義を、こっちに押しつけないで…!」
「…ナマエ。築き上げられてきたものが偽物だから、自分が定まらないし覚悟もできないんだ。何もかもが偽りなんだよ。君の矛盾がなによりの証拠じゃないのか」
「……」
「…無言、ということは、思い当たる節があるんだよね」

アジトでもそうだった。この男は心を見透かしたように、何もかもを分かっているかのような口ぶりで物を言う。それがなぜか、わたしの心を気持ち悪いぐらいにかき乱してくる。

……わたしはロケット団。それ以外の何者でもない。惑わされてはいけない。迷ってはいけないんだ。この男はわたしの生きる意味を揺らがせようとする。生きる理由を奪おうとする。

「みんな信じあっているし、仲間で、だから…」
「…“信じあっている仲間”?」
「そ、そう。そうだよ」

必死に頭を回転させて、自分の身体を抱きしめながら抵抗するわたしは、この男の目には一体どのように映っているのだろうか。

「それなら、すでに戦意喪失してうな垂れてる奴らのことはどう説明するつもりなんだ?君もここに来るまで見ただろう」
「…あ、」
「これが君の言う仲間なのか?危機的状況で団結するどころか秩序を失っているのに」
「っそんなことない…!だって、だって」
「…往生際が悪いな。はっきり言葉にしないと伝わらないようだね」

鼓動が加速する。いやだ、やめて、それ以上なにも言わないで。震える手で耳を覆う、つもりだったのに、それはこの男のせいで阻止された。腕を掴まれる。耳元に唇をよせられる。「ロケット団は今日でおしまいなんだよ」
そのとき、たしかに何かが崩れる音が聞こえた。ぐら、ぐらり、と、不安定ながらも細い糸で保たれていた、今まで積み上げられてきた“わたし”が崩れる、落ちる、罅が入る。

「わたしはロケットだんのために生きているのに、だから、ロケットだんがなくなっちゃったら生きていけないから、…でも、あなたは言ったでしょう、わたしにはむいていないって。そ、その言葉を聞いてから、わ、わたし、おかしくなっちゃったんだよ。だから全部、全部全部あなたのせいなんだ。今みんなが苦しんでるのも、わたしが苦しんでるの、も、ぜんぶ。おねがいだから、居場所を奪わないでよ……」

目の前に立っているのは敵だというのに、こんなことをこの男にぶつけても、どうしようもないのに。

視界が滲む。

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