01.みやぶる



ポケモンバトルで負けたからと言って、だから何だと言うの?黙らせる方法は何も、バトルに限ったことじゃない。そうでしょう?


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我らが組織を一体どのようなものであるかを説明すると、まさに“泣く子も黙る”ロケット団。サカキさま万歳、アポロさま万歳。野望のためなら何でもする、それはそれは素晴らしい組織。

でもたまに、泣き止んでくれない至極めんどうくさい───つまりロケット団に楯突く煩わしい人間───も存在するわけである。そんな逸脱した人間は、暴力で黙らせろ。わたしの上司にあたるアテナさまをはじめ、幹部のみなさまはそのように教えてくださった。だから団員全員には一応凶器といえる武器が支給されている。携帯するのにピッタリな、折り畳み式のナイフだ。わたし自身は使ったことはないけど、緊急時にはその覚悟が必要となってくるだろう……そしてそれに該当するときが、今この瞬間なのだった。まさかこんなにも早く訪れてくれるとは露ほども思っていなかったので、指示された場所に立ち命じられた仕事をこなしていたものの、どうやら気を引き締めなければならないみたい。

アジトに二人組の男が乗り込んできたらしいのだ。一人は少年、一人は青年。わたしたちの野望を食い止めんとする輩に違いない。その情報はさっきまでぼんやりとしていた頭にはいい刺激だったようで、脳内はスッキリ爽快。しかし心はどうも落ち着かない。

それにしても敵の陣地のど真ん中に突っ込んでくるだなんて、相手は相当実力に自信があるとみた。そんな人間にバトルをしかけられて、わたしは勝利をすることができるのだろうか。……いいや、考えても仕方がないか。時間の無駄にしかならないだろう。わたしは侵入者を阻止する、そのことだけを考えていればいい。それがロケット団のためだから。わたしがここに配置されている理由になるから。

さて。そんな強いトレーナーとバトルをするとなると、こちらも作戦を練らなければならなくなってくる。ちなみに手持ちはコラッタ一匹のみ。どうしてそんなことになっているのかと言うと、ここのアジトにはアテナさまがいらっしゃるし、ロケット団は大丈夫だという確信があったので、ほかのポケモンたちはみんな休養させているためである。今思うと浅はかすぎる。後悔してももう遅いのだけど。
でも、きっと大丈夫だ。今まで三年間、いろいろ困難にぶつかってきたこともあったけど、力を合わせてここまでやってこれたのだから。今回もそうなる。そうなるに決まっている。その結果以外はあり得ない。絶対に大丈夫。

腰のモンスターボールをとって中を見てみると、コラッタと目があった。心配そうな丸い目をしている。ううん、不安にさせてしまってごめんね。あなたを瀕死にさせないように、危なくなったらわたしが何とかしてみせる。……そうだ!そのために支給されたナイフが、あるじゃないか。隠してあるそれを取り出すと、薄い布越しにひやりと冷たい温度が伝わってきた。最悪の場合、これに頼ることになりそう。「……?」ところが、いざ柄の部分を握りしめてみれば、身体を襲いかかる形容しがたい感覚。内臓が軋むような、肺がぎゅうと握りつぶされているような。何だろう。わたしにはこの感情はわからない。

「───はかいこうせん」

ハッとした。真っ直ぐで迷いのない一言が鼓膜を刺激する。そう命令されるやいなや、右頬に感じた熱感。顔面ギリギリを通過したのは、本来人間に放つべきではないポケモンの攻撃だ。恐ろしい風圧に制帽が頭から浮き、そこに収められていた髪の毛がぶわりと舞い上がった。巻き込まれてしまったのか毛先が焦げてしまっている。それに気づいた途端、サッと頭からつま先まで体温が急降下した。宙に浮かんだ制帽は、うまい具合に再びわたしの頭へと戻ってきてくれたけど、これは非常によろしくない状態である。

「ここは君ひとりか」

どくどくと心臓がはち切れんばかりに鼓動する。なんだこのひとは!?人間にむかってポケモンの技を繰り出すだなんて!
……わたしに彼を止められる?む、無理だ。彼の隣に佇んでいるカイリューは、相当鍛えあげられているのがわかる。バトルになったところで、わたしのコラッタは……。ちらりと再度モンスターボールを見てみると、コラッタはかわいそうなくらいに震えていた。ボールを隔てていても伝わる振動に心が痛む。

こうなったら選択肢はひとつしかない。

「ポケモンを出さなくていいのかい」

余裕綽々な態度に、ついかちんときた。

「…コラッタちゃん。アテナさまに報告してきて」

モンスターボールからコラッタを出して語りかけるようにそう言ったら、心配そうな丸い瞳にじっと見つめられた。バトルをせずとも、この男を足止めすることは無理な話じゃないはず。その思惑を目で訴えかけたら伝わってくれたのか、コラッタは走り出した。途中で何度もこちらを振り返ったり、不安そうな声で鳴き声を上げられたりして、そのやさしさがじいんと心に沁みる。

「…バトルを放棄する、と解釈していいのかな」
「そういうことです。もちろんバトル放棄をした人間に一方的に攻撃をしかけてくるなんてこと、ないですよね?…ポケモンリーグのチャンピオンさまなら、なおさら」
「……」

挑発するようにそう言ったら、チャンピオンは片方の眉を怪訝そうにあげて、隣に立っていたカイリューをモンスターボールに戻した。ようし、ここまでは作戦通り。
でも内心わたしはガクガクと震えが止まらなかった。もしかしたら足が震えているのがばれているかも。……だってまさか、チャンピオンが直々にアジトに乗り込んでくるなんて!さすがポケモンリーグの頂点に君臨する逸材の人間なだけあって、王者の風格が伝わってくる。さっきのカイリューも、わたしを射殺す勢いでこちらを睨みつけてきていたし。はかいこうせん、当たらなくて本当によかったあ…。

「さっきのコラッタ、随分と君に懐いているようだね」
「ふふん、そうでしょう!……って違う!ええと……そう、足止めする方法はなにも、ポケモンバトルに限ったことじゃないわ」
「…それで?」

ここでナイフをちらつかせる。わたしはあらかじめ考えておいた一連の流れを、頭の中で思い描いていた。今までのどの任務よりも緊張している気がする。これがチャンピオンの力なのだろうか。

「…そう、このナイフを使って…脅す…それだけでいいはず……」
「……全部聞こえているんだが」
「よし、…うん……たぶん大丈夫……か、覚悟!!」

手ぶらな男と、武器を持った女。どっちが有利かなんて、考えるまでもない。……わたしだよぉ!

地面を力強く蹴り上げて、わたしはチャンピオンの眼前まで一気に距離を縮めた。手始めに、脅す。まだ刺すつもりはない。例え“悪者”であったとしても、それくらいのお情けぐらいはくれてやるつもりだ。
心臓の位置に狙いを定めて、寸前で止める。そして「諦めて帰りなさい」と、凛とした態度で言ってやった。過緊張のせいか声が若干裏返ってしまったけど、この際そんなことは気にするに値しない。

「刺さないのか?」
「え」
「いや…違うな」

しかしチャンピオンは一切動揺しなかった。わたしの脅しがまるで効いていないのだ。加えてその眼光の、なんと恐ろしいこと。にらみつけるとも違う、……探りを入れるような。
気がつけば、なぜかわたしの手の上に大きな手が被さっている。言うまでもなく、目の前の男のものだ。手袋ごしに表皮から伝わってくる相手の体温が気持ち悪い。「うぎゃあ」と変な声が喉奥から出たけど、手を引こうにも骨が軋むほど手を掴まれて痛いし距離もとれない。まったくわけがわからない!彼のまとう威厳に圧迫されて全身の骨が複雑骨折するような錯覚を覚えた。

「何故だ?悪の組織である人間にポケモンが懐くなんて、変な話にもほどがある」
「うっ、ぅく、離してよ!」
「…君はポケモンを大切に思っているようだね」
「知った風な口をきかないで」
「今まで数々のトレーナーを相手にしてきたんだ。ポケモンの目を見たら全部わかる」
「じゃあそういうことでいいです…っだから、離せぇー!」

チャンピオンの力が半端じゃない。じたばたと暴れてもびくともしないのだ。よく見れば体格もいいし、こんなの殴られたら数メートルは飛ぶ自信がある。「逃げたいのなら、刺せばいい」ど、くん。その言葉に、なぜか身体が動かなくなった。

「そう、逃げたいのなら刺せばいいんだ。俺の身体を、このナイフで。簡単な話だろう。なあ?それで全てが明らかになる。でも、出来ないよ。君には、出来ないさ」

あああ何もかもを見透かしたつもりでいる目がムカつく。いらいらする。ご所望とあらばナイフでもなんでも突き刺してやる…!
でも、駄目だった。どういうわけかわたしの神経が働いてくれない。腕が動かない。おまけにぶるぶると、まるで先ほどのコラッタのように震えが止まらなくて、…あれ?なんでだろう?自分でも理解できないのに。男は何もかもを知り尽くした口ぶりで話すのが、男の言う通りになってしまっているのが、むしゃくしゃして仕方が、ない。

唇をきつく噛み締めて口の中に鉄の味が広がったころ、チャンピオンは唐突に目元を緩ませてやわらかく笑った。え、なに……思わず油断したら、ずぶ、ずぶり、と光で銀色に煌めいたナイフの刃先が、男の肩に刺さった。

「ひっ、な、なにして……!」

うそ、だ、うそだうそだうそだ!みるみるうちにチャンピオンの奇妙な服の、藍色の生地に赤黒い染みが広がって、え、「…っ流石に、痛いな」あ、あああたりまえだよそんなの!なにこのひとこわい。

「君に悪役はむいてない」

近くでかち合ったチャンピオンの視線は、実際の“悪”であるはずのわたしよりも悪者の色を帯びていた。どろどろ、濁った双眸はおかしい、だって彼は“正義”という存在なのでしょう、わたしたちとは違う、こんな瞳を持つはずがないのに!

アテナさま、アテナさま。ああはやく、どうかこの哀れなしたっぱをお助けください!

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