目を疑った。地下では患者に処方する薬の調合だとか、成分の合成だとか、そういった研究が行われていると聞いていたから。壁も床も真っ白で、無機質な空間に広がるのはどう見ても"患者のため"であるとは言い難い設備の山。ホルマリンで浸されたビーカー、何かが腐敗するのを防ぐために置かれているような冷凍庫、そしてシンクには赤黒い液体。……これが一体何の液体か、なんて考えるまでもない。固まっているところを見るに、この惨状がおこってからいくらか時間が経過しているようだった。

「ナマエ、別々に探ってみよう?ここで起こっている事を、突き止めなきゃ」

丁度二手に分かれる道に出たので、わたしは彼女と分担して情報を得ることにした。


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それにしても、やけに人の気配を感じない。静か過ぎて耳鳴りがするほどだ。小走りをしているせいで少しずつ息が上がってきて、鼓動がよりうるさく聞こえて煩わしい。でもこの呼吸の乱れは歩くペースのせいだけではないのだろう。張りつめた空気による緊張、ビリーに対する不安、影に潜む真実への恐怖。いろいろな感情がごちゃごちゃになっているのだ。正しい息の仕方なんて忘れてしまったかのようにぜえぜえと荒く乱れる。

───この病院は、何かがおかしい。

やがて現れたのはガラス張りの扉で、でもそれは明らかに普通ではなかった。ガラスの向こう側に広がる一面の赤色。扉のところについている手のひらの跡は、ここから逃げようとした誰かのものに違いない。
扉を隔てても感じる狂気に、部屋の中を捜索をせずに今すぐ踵を返してこの病院から去りたい気持ちになるが、しかしビリーを放っておくこともできなかった。込み上げる胃液に喉の奥がヒリヒリする。ここに核心に迫る書類があるかも知れない。わたしはそんな小さな期待を抱いて、ゆっくりと扉を押した。

部屋に足を踏み入れた瞬間に身体を包んだのは異臭。人間の死体のにおいだった。腹から真っ二つにされて臓物がぶちまけられていたり、腕だけが転がっていたり、到底病院とは思えない酷い光景だ。壁に勢いよく押し付けられて潰されたようなものも見受けられる。床一面に広がる血のせいで靴の裏がべたべたと床にくっついて歩きにくい。それでも吐き気を抑え、鼻を手で押さえながら奥に進むと台の上に置かれた青いファイルを発見した。書類だ。わたしは大急ぎでそれを広げ、おおざっぱに目を通す。そこにビリーの名前が書いてなかったことに肩を落としたが、でも再び"ワールライダー"という単語が目についてふと思考を止める。

「……まただ。このワールライダーって言葉」

こうも何回も同じ言葉を繰り返されると、これがこの惨劇に何らかの関係を持っているとしか考えられない。
とにかく、これだけでは情報が足りないので、わたしはこの血濡れた部屋を後にしてさらに奥へと進んでいくことにした。

今しがた入った部屋の奥は、もう突き当たりで行く先は一つしかなかった。そこにビリーに関する情報がなければ、あの男の見間違いになる。……どうか勘違いであってほしい。そう願いながら、先ほどとはうってかわって重厚な作りの扉を開く。そしてわたしは直感するのだ。ビリーはここにいると。

部屋の中央に設置された巨大な設備は今までに見たことがない。複雑そうな機械は時折空気を漏らし、引き伸ばされたチューブは周囲に囲むようにして置かれた小型の機械に繋がれている。まるで統括コアだと、思った。小さな命をこの世に繋ぎとめる生命維持装置のような、そんな印象。緑色や黄色の光を点滅するボタンからこの機械が動いているのは明らかである。

一つ、その小さな方の機械が作動しているように見える。それに気がついた瞬間、肺が働くのをやめた。血が身体をうまく循環せず、手足の感覚が鈍り、急激に寒気に襲われる。冷や汗がふきだして、目の前がちかちかして、あの機械の中身を見てはいけないと、頭の中で警報が鳴り響く。しかし何かに取りつかれたようにフラフラと足は動き、それの目の前に立って、ガラスに手をあてると、ああやっぱりわたしの直感ははずれてなんていなかったのだという現実を突きつけられた。

「……ビリー、」

幼馴染の彼が、死んだように囚われていたのである。

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