ジョシュア・シェパードは既に死亡している身である。にもかかわらず、尚も魄としてサイレントヒルに残存しているのは、その地が特異である所以と言えた。
対して、なまえは歴とした人間である。常人より優れた霊感を持つ点を除けば、いたって普通の少女だ。ただ───好き好んでサイレントヒルに足を運んでいる様子を見る限りは、ともすれば凡庸な女子とは言いがたいのかも知れなかった。

なまえがサイレントヒルに足繁く通うようになったのは、ジョシュアとの出会いが契機だ。友人たちと興味本位で踏み入れた建物内にて偶然対面したらしい。霊感のあるなまえには、ジョシュアが人の形を成しているのをその目で視ることが可能だった。
本来ならば、例え視えてもそれで“おしまい”。そうなるはずだったのだ。幼い頃より人ならざる存在を可視してきたなまえにとっては、そのような対象には不用意に関わるべきではないことを幼いながらも理解していたのだから。その経験則が揺らいでしまったがゆえの現在ではあるのだが。
全ては不可抗力なのだろう。自分よりも年下の男子が、古びた建物で孤独に過ごしているという現実に、僅かながらも同情の念が湧いてしまった。当時のなまえは、ジョシュアに話しかけられても淡泊な線引きができなかった。油断に付け込まれた至りであるのは歴然たるものである。
けれどもなまえは、そのことを後悔してはいなかった。幽霊と言えどジョシュアはまるで生きているかのように人間味にあふれていたし、年齢の割にませてはいるものの、まるで弟ができたかのようで楽しかった。今まで抱いてきた警戒心は、もしかすると間違いだったのではないかと考えてしまうくらいには充実した日々であったから。

そうして今日も今日とてサイレントヒルを訪ねていたなまえは、いつものようにジョシュアと顔を合わせている。何をして遊ぶのかは当日になるまで分からない。大体はジョシュアの好きなようにさせていた。そこには少しでも寂しい気持ちを紛らわすことができたら、というなまえなりの配慮があった。あるいは年上としての計らいを意識しているのかもしれない。
「かくれんぼしようよ」ジョシュアがそう言ったので、なまえは二つ返事で頷く。それからじゃんけんをして鬼がジョシュアに決まると、彼はにこりと笑みを浮かべた。

「ぼくが鬼だ」
「うん、うん、わたし勝っちゃった」
「じゃあ数えるから隠れて」
「うん。でもこの建物広いから、隠れられる範囲は決めておこうよ」
「どうして?」
「どうして、って…」

見つけられなかったら大変だから、となまえが言えば、ジョシュアは鼻で笑いながら「なんだ。そんなこと」と返す。

「大したことじゃないよ」
「え〜〜〜!わ、わたし、夜まで見つけてもらえないのとか嫌だよ」
「だから問題ないって」
「ジョシュくんのその自信はどこからくるのかなあ」
「ぼく、鼻は利く方なんだ」

それは一体どういう意味なのか。なまえが小首を傾げると、問答無用と言わんばかりにカウントダウンが始まる。なまえは慌ててその場から離れ、隠れ場所を探す道中に自分の腕を嗅いでみたが、当然なんの匂いもしなかった。するわけもなかった。




穴だらけの廊下に連なる部屋のひとつ。なまえはそこに目星をつけた。中に入ってみると、埃っぽい大きなベッドに朽ちかけた木製のテーブル、そして周囲を様子見するには最適な穴空きクローゼットがあった。ジョシュアは自信満々に見つけられると豪語していたが、それでも万が一という不安が過る。一応見つけやすいようにと、なまえは扉が外れて中が丸見えの部屋を選んだし、あえてクローゼットには入らずベッドの影に身を潜めることを選択した。
なまえは膝を抱え込み、時折ベッドの端から顔を覗かせては廊下の様子を確認する。まだジョシュアの気配は感じられない。

こうしてなまえがサイレントヒルで遊んでいられるのには理由があった。ジョシュアと親しくなったということもその内に含まれるが、奇妙なことに、ここには彼以外の魄が存在していなかったのだ。初めて友人たちと足を踏み入れた時は、異様な空気にしてはと少々拍子抜けしたくらいだ。無論、視えない友人は恐ろしがっていたが。
「ジョシュくん…ほんとに大丈夫かなあ…」抱えた膝に顔を埋め、呟く。足音のひとつすら聞こえない状況で、なまえは多少の不安を覚えた。しかし、あれほどの自信を垣間見せたのだ。なまえにできるのは、ジョシュアを信じて待つことだけ。「…友だちだもんね」きっと大丈夫だよね。まるで自分に言い聞かせるようにそう口にする。それから重い瞼に身を任せて目を閉じると、なまえは知らぬ間に船を漕いでいた。




ぎい、ぎい、ぎい。歪な音が聞こえる。なまえは浮上したばかりの曖昧な意識のなかで、寝ぼけ眼を擦りながら「ジョシュくん?」と口を開き───即座に噤んだ。しまった!すっかり眠りこけてしまっていたが、今はかくれんぼの最中だったと我に返ったのだ。先刻、よもや見つけてもらえないかもと懸念したものを、いざその時を迎えそうになって息を潜めるなど。なまえもまだまだ子どもだった。
なまえが黙したと同時に、奇妙な音もまた止んでいた。果たしてその音の発生源はジョシュアであったのか。そろりとベッドの端に寄り、廊下の方へと視線を投げれば、その先には見たことのない人物が佇んでいる。

それは奇怪な風貌の男だった。錆びれた赤い三角の被り物を身につけた男。

なまえの頭の中は疑問符で満たされている。そうしている間にも、男はやおら部屋に足を踏み入れ、ベッドの方へと接近してきてしまう。なまえはどうすれば良いのかも判断がつかず、男の動きを凝視するしかない。
ふいに男の手が伸びてきた。なまえがぎょっと目を見張れば、腕をぐいんと持ち上げられベッドの上に落とされる。弾みで埃が大気中に舞い、思わず咳き込んだ。必死に噎せていると、男が無遠慮に隣へと腰かけ、その重みで身体が沈む。バランスを崩したなまえは無抵抗なまま屈強な身体に顔から衝突した。「い、いたい…」なまえを鼻を押さえながらくぐもった声をあげている。

「あ、あなたは誰?…ジョシュくんじゃあ、ないよね…」

なまえこそ、自分がありもしない可能性を口にしているという自覚はあった。それほど目の前に座する男に混乱していたのだ。
しかし男は一切の声をあげないものだから、図星をつかれて押し黙っているものだと勘違いをした。「…ええっ!まさか、本当にジョシュくんなの?」己の身体に倒れこみながら素っ頓狂なことを言い出す少女に、男も内心当惑している。
なまえはサイレントヒルにおいてジョシュア以外の魄を見かけたことがなかった。だからこそ男のことを彼であると信じてしまった。

「でも、すごいなあ。こんなに広いのに、わたしのこと、ちゃんと見つけてくれたんだあ…」

感心したようにそう言いながら、なまえはジョシュア(と勘違いしている男)に寄りかかっていた身体を起こす。「だけど、どうして急にムキムキになったの?その帽子だって、わたし、見たことない。…ああっ!もしかして、幽霊だから?好きなように見た目を変えられる、…と…か……」が、すぐに再度ひっついた。なぜなら部屋のなかに、これまた見かけたことのない女性───まるで看護師を彷彿とさせる格好だ───が、ぞろぞろと足並みを揃えて入ってきたからだ。瞬く間に部屋は数多の看護師で満たされ、ベッドを囲まれる。

「…えっ、えっ?どういうことなの?ねえ、ジョシュくん、」

あまりにも奇々怪々な光景だった。なまえは眼前の鍛え上げられた身体に縋りつくようにして困惑の声をあげることしかできない。
奇態な看護師には顔がなかった。けれどもなまえは、四方八方から視線を浴びせかけられているという確かな実感を抱いていた。眼玉があるのかすらも定かではないというのに。
なまえは怖々と、男と看護師とを見やっている。

───みいつけた。

ふと、聞き覚えのある声を耳にしたなまえは、その主を探ろうと辺りを見渡した。するとそれはベッドをすり抜けてなまえの目の前に浮上し、しかし物体を透過したと思いきや次の瞬間には実体を持ってベッドへと腰かけてみせ、幽霊とは器用なものだと嘆声を洩らす。
ともあれ、突然異空間に迷い込んだかのような状況下で見知った顔を目にしたなまえは、安堵で顔を綻ばせながら彼の名を呼んだ。

「ジョシュくん!」
「はあ〜…」
「溜め息つくと幸せが逃げちゃうよ」
「だってそいつがぼくに見えるとか信じられない…」

頬杖をつきながらそう発したジョシュアになまえは眼を丸くすると、慌てて男から距離を取る。

「もちろん、違うってわかってた」
「嘘つきは嫌いだな」
「あ…本当はわかってなかったや…」
「だよね」

ジョシュアは再度溜め息をつき、「けど、なまえさんってことごとく運がないよ」と呟く。呆気なく見つかってしまったことを言っているのかと訊ねてみたが、どうやら違うらしい。首を左右に振られ、なまえは不思議そうな表情を浮かべる。
「元より、いわゆる霊感体質の人は此岸と彼岸との境が曖昧だって言われてるけど」ぽつぽつと、独り言のように紡ぐジョシュアに視線が集中した。

「まさか応用が利くだなんてさ」
「…ここはあの世じゃあないよ?」
「そんなこと知ってる。ぼくが何年ここにいると思ってるの」
「ご、ごめんね」
「……いいよ別に気にしてないから」
「き、気にしてるじゃんかあ…」

じろりとジョシュアに睨まれなまえは落ち込んだ。謝罪と共に、せめてもの償いとして頭を撫でようと手を伸ばすが、それすらも払われて肩を落とす。だが、手持無沙汰に宙に放られた手は、なぜか指を絡めるようにして繋がれた。なまえと然程変わらない大きさの手には、体温の一切が感じられない。
「嘘ではないよ。きっとそうなるんだ。…おそらくは、この先も」置いてけぼりを食らっているなまえはさておき、ジョシュアはそう続けた。そら笑いのように不自然な顔つきだった。

「?…ジョシュくんは、たまによくわからないこと言う…」
「そんなことはないけど」
「…そんなことあるから言ってるのに!」
「そう騒がないで。…まあ、要するに、惹きつ惹かれつで結果オーライってこと」

要するにも何も、結局なんにもわからずじまいでなまえは唸った。「皆がここにいるのが何よりの証拠なんじゃない?」ぐるりと周囲に目を配りながらジョシュアは言うが、なまえはますます理解できないと思案顔だ。

「皆って、このひとたちのこと?」
「それ以外に何かある?」
「…ううん、ない。ないよ。でも…」
「…ああ。“いきなり湧いて出てきたから驚いた”って?」

まさに心境を代弁してくれたジョシュアに、なまえはこくこくと首を縦に振る。「だって、だってね。ここにはわたしとジョシュくんしかいなかったのに」慌ててまくし立てるなまえに言い聞かせるように、ジョシュアは言った。じゃあ、こう考えればいいんだよ、と。

「彼らがここに“いなかった”のではなくて、今まで“視えていなかっただけ”なんだってね」
「……。ゆ」
「幽霊だなんて馬鹿なことは言わないでよ?その呼称が誤りであるのはなまえさんが一番判ってるくせに」
「……」
「僻見だね。視えないからいないと思ってた。…そうでしょう?」

くすくすと笑いを堪えた声音が、やけになまえの鼓膜にこびりつく。「お気に召されたってわけ。よかったよ、本当に」一体何がよかったのかなまえには皆目見当がつかなかったが、そろそろ時間も時間なので、とりあえず曖昧な返事をしておいた。「あ、ありがとう…?」
ジョシュアはなまえの半端な反応に含み笑いをしてみせると、するりと繋がれていた手を解き、一息ついた。鼻歌交じりに足をぶらつかせる姿は、なんだかとても上機嫌なようになまえの目には映っている。

「さて。かくれんぼもこれでおしまい。これから何をしようか」
「ううん、なにもしないよ。できないよ。そろそろ帰る時間だもん」

なまえがそこまで言えば、ジョシュアはとうとう抑えがたく笑い声をあげた。それこそ常日頃の、妙に大人びた様子から一転した年相応な様子で。「面白いことを言うんだね」気がつけば、ベッドを取り囲む看護師たちも、子どもの笑い声に同調してケタケタと身体を震わせている。
なまえは訳がわからなかった。ジョシュアの言っていることも、なぜ自分が笑われているのかも。ただ、途方もない事態に巻き込まれてしまったような気がした。この場に存在している事物が、取り巻く環境が、空間が、世界が、なにもかもが。途端に不気味に思えてならなかった。
腹を抱えながら笑い転げていたジョシュアは、やにわに静黙するとなまえとぐっと距離を詰める。覗き込んでくる漆黒の双眸は底知れぬ闇の色だ。黒に反射して映し出されるなまえの顔は蒼褪めていくが、それに比例してジョシュアの口角は刻々と吊り上がっていく。
その先に紡がれたのは、まさしく総てのお了いだった。

「どうやって帰るつもりなのさ。術も道さえも分からないのに!」

170306


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