※高校生


「18時4分51秒」

ひとの家の玄関前で腕を組み仁王立ちになっているのは、なにを隠そう幼馴染のひとりであった。行く手を遮るように立ちはだかるその姿は、とてつもなく邪魔の一言に尽きる。とはいえその不満を口にできないのは、彼───松野チョロ松くんが怒り心頭に発する原因に、悲しいまでに思いあたる節があるからだ。
わたしの家は共働きであるため、年端もいかないころから鍵っ子として過ごしてきた。両親は忙しい身であるけど、それでもわたしのことをよく気にかけてくれていると思う。その結果がこれなのだ。はす向かいに住む松野家に、なにかあったらわたしのことをよろしく頼むと言伝ているのである。……十年ほど前の話なのだけど。
松野家には世にも珍しい六つ子がいる。彼らはわたしと同い年で、そして同じ高校に通いあう幼馴染でもある。両親が実の娘のことを松野家にお願いしたのは、彼らがわたしと同級生であり、かつ家も近いということが大部分を占めるだろう。同年齢なら親しくなれると踏んだに違いない。実際、松野家の食卓にお邪魔させてもらうことも数多く存在しているし、お互い家に遊びに行ったり来たりするくらいには仲がいいとは思っている。
しかし、六つ子たちはなんというか、なかなか個性的な性格をしているせいもあり、いろいろと面倒なことに巻き込まれることも多い。とりあえず今は、現在進行形でわたしのことを無表情に見つめ、口をへの字に引き結んでいる松野チョロ松くんについて話そうと思う。
両親からわたしのことを頼むと言われ、人一倍気にかけてくれたのが彼だったのだ。彼は六つ子の中ではマトモな方であり、どこか世話焼きの性分をしている。小学生だったときは、やれ道草は食うなだの、やれ家に帰ったら手洗いうがいをしろだの、片手では数えきれないほどのことを言われてきた。思い返してみると、きみはわたしの母親かと叫びたい気分だ。そうはいっても、幼かったわたしはチョロ松くんになんの抵抗もしていなかったのだけど。それどころか寧ろ、先導してくれる様子がカッコいいとすら感じていた残念な頭をしていたのだ。
そんなわたしも、今や花の高校生。青い春を存分に堪能したいと考えるのは、きわめて普通のことであると言える。そしてそれは、チョロ松くんも同じことに違いない。というのに、彼は依然として、わたしをまるで小学生を相手にするかのように扱ってくるのである。だって門限17時って。高校生にその時間までには帰れって。明らかにおかしいよ。周りの友だちだって、みんなそう言っている。
そういうわけで、日々の鬱憤がとうとう爆発したわたしは、18時に帰ってやったのだ。わたしは悪くない。そう考えつつも、しかし心のどこかでは罪悪感を抱いている自分がいるのも事実。これも長年の習慣が、身体に沁みついてしまっているからだ……。よくない兆候である。わたしはただ、普通の女子高生になりたいだけなのに。今日という今日は許さない。主張してやる、してみせる。

「チョロま」
「門限を復唱してみようか」
「……」
「復唱しろ」
「っじゅ、17時でひゅ」

く、く、くやしい。こんな、チョロ松くんなんかに怖気づく自分が、ふがいなくて仕方がない。……いいや、まだ諦めちゃ駄目だ。こんなことだから、いつまでたっても普通になれないのだ。わたしの気持ちは、こんなものではないはず。帰り道でガクガクと震える足を引きずりながら、今日という日を素晴らしい変革記念日にしてみせると誓ったのだから。
わたしは縮こまった自分自身をなんとか奮い立たせ、チョロ松くんを見上げてから口を開いた。

「で、でも、おかしいなあ!」
「門限も守れないなまえちゃんの頭がね」
「……ぐすっ」

なにこの言われよう。淡々とひとの心をえぐるチョロ松くんがこわい。表情がないから一層こわい。せっかく奮い立たせた心は彼の鋭利な言葉により、風船が割れたかのごとく瞬く間に無残なものへとなりさがってしまった。「みんなはまだ遊べるって言ってたのに……」呟いてからハッとした。こんな、火に油を注ぐような発言をして、また怒られてしまうかもしれない。そう思ったから。
でも、チョロ松くんは顔色を変えなかった。ずううっと同じ顔でわたしを見てくる。これは……新手の精神攻撃かな。誰か彼を止められるひとはいないのだろうか。おそ松くんでも、カラ松くん……あ、いや、たぶん彼は役に立たないから……トト子ちゃんとか。
そう、実はわたしには、チョロ松くんたちのほかにも、弱井トト子ちゃんという超絶美少女な幼馴染もいるのだ。魚屋さんの娘で、彼女もまた同じ高校に通っている。その容姿端麗っぷりに、チョロ松くんを含めた六つ子もわたしもメロメロだった。
そして気がついた。ここはトト子ちゃんのことを話にあげれば、彼も分かってくれるのではないかと。

「トト子ちゃんの家は門限決めてないんだよ」
「知ってる。でもトト子ちゃんは店の手伝いでいつも早く帰るから別に問題ないよね。それに彼女の握力は47sだし必殺のボディーブローも健在してるし防犯対策は完璧だと言っても過言じゃない。それに対してなまえちゃんの握力はいくつ?」
「えっ?……ええと」
「16kgだよ馬鹿。そんな小学生の平均に毛が生えた程度で何ができるって言うんだよ。ただ可愛いだけじゃん。なまえちゃんはトト子ちゃんと違って鈍臭いんだからもっと危機感持たなきゃ駄目だろ」
「そ、そこまで言わなくても」
「そこまで言わせてるのはなまえちゃんだから」
「あと1時間延ばすだけでも……」
「駄目」
「じゃあ、30分……」
「絶対駄目」
「わたしだって、もう高校生なのに」
「だから?」
「……お、お父さんとお母さんからお願いねって言われたのも、十年くらい前の話なのに」
「だから?僕がしていることは常識的に考えて普通のことだよ」
「……」

なんかムカついてきた。こうも頑なに話を聞いてもらえないだなんて。チョロ松くんは一体わたしのなんだというの。親でもなければ彼氏でもない、ただの幼馴染でしょうに!

「……っチョロ松くんの、チョロ松くんのばか!分からず屋!どうてい!!」

ザァア……わたしたちの間に風が通り抜けた。感情のままに叫んでしまったけど、わたしは悪くない。チョロ松くんが悪いんだ。
まだムカムカする胸の内に不快感を覚えながらキッと睨みつけてみると、チョロ松くんは押し黙ったまま言葉を発する素振りをみせない。でも、表情は少しだけ歪んでいる。きっとどうていの単語に傷ついているのだろう。どうていがどういう意味なのか知らずに発してしまったけど、これは前トド松くんがチョロ松くんに言っていた言葉なのだ。当時のチョロ松くんはなんだか怒っていたので、これは彼を追いつめる魔法の言葉に違いないのである。いい気味だ……こうしてわたしが味わってきた苦しみと同等のつらみを味わうがいい。
沈黙を貫くチョロ松くんを見て、しめしめと思う。彼は傷心モードだ。畳みかけるなら今が絶好の機会。わたしは勝ち誇った顔で言い放つ。「チョロ松くんのどうてい!どうてーい!わはは!」自制して留めておけばよかったのだろうけど、高揚感に浸っていたわたしには、そんな真似できるわけがなかった。

「黙って聞いてりゃつけ上がりやがって……」

地を這うような声。チョロ松くんの目はこれ以上ないくらいに吊り上がり、誰が見たって憤慨しているようにしかみえない。ま、まずい。攻撃する方向を間違えた気がする。わたしは彼を怒らせたかったわけではなくて、ただちょっとだけ、本当にちょっとだけ仕返しをしたかっただけなのに。どうしてこんな事態になってしまったのだ。「ひえ、わ、わたしは悪くな───」久しぶりに見たチョロ松くんのキレた顔にしりごみしながらも、そう口にしたのは、わたしだっていい加減この門限から解放されたかったからだ。でもチョロ松くんが怒り狂った顔のまま距離を縮めてくるものだから、威圧されてそのまま後ずさりするしかない。そしたらしびれを切らしたのか腕を掴まれて、動きを止められた。襟元を掴まれなかったことに安堵するくらいの余裕が、このときはまだあった。きっと相手が一松くんだったら、容赦なく襟を掴まれて息ができなくなっていただろう。

「じゃあなまえが童貞卒業させてくれんのかよアア゙ーッ!?」
「ヒッごごごごめほんとうはどうていの意味知らな」
「卒業させてくれんのか訊いてんだよ謝罪求めてんじゃねえよ」
「そ、そつぎょう?なに、なにを」
「だぁから童てゴヘエッ」

自我を失っているチョロ松くんの頭に、バットが直撃した。ゴスッと鈍い音がして、衝撃で地面に倒れた彼は白目をむいて気絶している。カラカラカラ……と転がるバットは金属製であった。チョロ松くん、まさか死んではいないよね……?心配になって屈んで胸に手をおくと、鼓動を感じたから生きてはいることが確認できた。よかったよかった。

「さっきからうるさいって」

上から落ちてきた声に顔を上げると、松野家の二階から顔を出していたおそ松くんの姿が。彼がこの苦境から救ってくれたのか。「おそ松くんありがとう」見上げてそう言えば、彼は「今日の夕飯ハンバーグだって。母さん、もう準備始めてるけど」と教えてくれた。わたしはお手伝いをするために、慌てて松野家にお邪魔した。
家の中に入ると、居間には一松くんとトド松くんがいた。カラ松くんと十四松くんは部活のため、少し遅い時間にならなければ帰宅しないのだ。

「随分賑やかだったねえ」
「聞いてたのなら助けてよ……」
「やだよ。チョロ松兄さん怒らせたら手つけらんないもん」
「結局門限遅くしてもらえなかったし……もういやだ」
「なんでそんな門限遅くしてほしいの」
「えっ、それはだって、友だちと遊びたいから。一松くんもそう思うでしょ?」
「……遊ぶ時間ほしいなら、これから一緒に帰ろうよ。そしたら時間たっぷり確保できるよ」
「?……どういうこと?」
「だって俺たち13時くらいには帰ってるし」
「!?」
「駄目だよ一松さん兄さん、なまえちゃんをサボりに巻き込んじゃあ。不真面目なのはおそ松兄さんとだけに留めといてよねぇ」
「おそ松くんもなの!?そ、そんなんじゃ、将来困ったことになっちゃうよ」
「いーよ別に」

テーブルに顎を乗せながら、一松くんは気のぬけた声色でそう言った。わたしは彼の将来が心配だ。
むむむと悩んでいれば、松代さんから「もしかしてなまえちゃん帰ってきたー?」との声がかかった。そうだった、お手伝いをしなければ。わたしは返事をしてから台所にむかって、遅くなっちゃってごめんなさいと謝ってから夕飯の支度に参加した。
とりあえず、明日は握力を鍛えるために、ハンドグリップを買いに行こう。そうしたらチョロ松くんも、門限のことを少しは考えてくれるかもしれないから。

151205

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