※ガンマ2号がDr.ヘドの手腕により蘇っています


 活気に溢れた街のなかで、切羽つまった声音が響いた。それはどうやら助けを求めているかのようなものである。周囲の人間はその声の発生源に視線をやるが、手助けをする素振りを見せない。荒々しい足音。まるで現場から逃走を図っているようだった。
 息を切らしながら、鞄を盗み走る男。見るからに貧弱な女は半泣きになりながら追いかけるが、誰が見たって無意味な行動であるに違いない。

「ど、どうしよう……だ、だれか、たすけて……」

 女はとうとう地面にへたり込み、はらはらと涙をこぼす。そんな様相を呈していてもなお、手を差し伸べる人間はいなかった。
 そんな最中、女の横を目にも止まらぬ速度で過ぎった影があった。彼女の髪が風に靡く。そして涙に濡れた眼を丸くした。
「な、なんだお前!?」原因の大元である男は、人間離れした動作を見せる者を振り返りながら逃げる。だが、まるで体力という概念が皆無と思しき者は、とうとう男を捕らえ地面に押し倒した。そして腰に下げていた青い光線銃の銃口を男の額に押しつける。

「チェックメイトだ」

 組み倒された男は、ごり、と一層強く密着された光線銃に恐れをなし、途端に態度を変え、助けを乞うた。
「わ、悪い、許してくれ。ほんの気の迷いだ!」憐れな姿だ。光線銃を握っていた者は、溜め息をひとつ。すると男は怯えた様子で女から盗んだ鞄を投げ捨てた。彼女はよろよろと腰を上げその場所へと駆け寄った。

「これに懲りたら二度とこのような真似はするなよ」
「あ、ああ! もちろんだ!」

 男は眼の前の者の下から這い出ると、そのまま足をもつれさせながら足早に去った。
「……」女は鞄を抱きしめながら蹲っている。そしてハッと顔を上げ、助けてくれた者の元へと歩み寄った。

「あ、あの」
「やあ。災難だったね」

 救世主は光線銃を器用にもくるくると手遊びさせながら定位置へ戻そうとし、くるりと女の方を振り返った。「このボク、スーパーヒーローにかかれば、こんな───」そして、ぎくりと硬直する。光線銃はあるべきところへ戻る前に地面に落ちた。
 なんだか動悸がひどい。加えてじわじわと、体内で炎のように燃え上がる感情が湧き出てきた。

「あの……ほんとうにありがとうございました」
「……」
「そ、それで……よかったら、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「……」
「……あ、あのう」

 女はほとほと困り果てる。まるで岩のように動かない男。思いがけず、眼の前で手を振ってみる。そうしたらようやく反応を示し、ほっと胸を撫で下ろした。

「が」
「が……?」
「ガンマ2号」
「わあ……珍しいお名前ですね」
「……」
「えっと、ガンマ2号……さん」
「うぐっ」

「ありがとうございました……!」突然胸を押さえ苦しみ出したガンマ2号の変化に気がつかなかった女は、再度感謝を述べると、ペコリと頭を下げ、そのまま走り去っていった。
 その華奢な身体を目で追い、彼は心あらずの状態で、活動拠点としているカプセルコーポレーションへのろのろと帰宅した。




「マブい!!!」

 ガンマ2号は庭で絶叫している。それをガンマ1号とDr.ヘドは怪訝そうな面持ちで室内から見つめていた。ガンマ2号はそのまま窓に頭を打ちつけ始めると、やがて亀裂が走り始め、ガラスが割れて床の上に散らばった。

「2号はなにをしてるんだ?」
「パトロール中になにかあったみたいですね」
「……」

 ガンマ2号はそんなふたりの反応に構わず、続ける。「あ! な、名前! 訊くの忘れた!!」どこか心あらずの状態だったがゆえに、重大な誤断をしでかしてしまった。それは彼にとっては一世一代の、重要な問題だ。
 発展した街である以上、それに比例して住民は多い。加えて大きな都市だ。名前も知らない人間を探すのには骨が折れるかもしれない。
 ガンマ2号はさめざめと建物内に入ると、Dr.ヘドに近寄り言う。

「ブルマ博士なら、人間を探す機械を作れると思いますか? ボクは思うんですけど。あとできればすぐに。でも情報は身体的特徴くらいしかなくて」
「えっ? 誰かを探したいのか?」
「それともヘド博士が作ってくれます?」
「……」

 口早く捲し立てる姿は、誰が見たって必死で、そして悲壮感が漂っていた。もはや狂気すら感じざるを得ない。それを目にしたDr.ヘドは、ガンマ1号と顔を見合わせ、首を傾げる。

「うーん……じゃあブルマさんに訊いてみようか。まあ僕もできるけど」
「……」

 覚束ない足取りでしゃがみ込んだガンマ2号は「ボクとしたことが……」と苦しみながら口を開く。そこでDr.ヘドは察知した。もしかすると、もしかするかもしれない。そう察知したのだ。
 だが、今可能なことはブルマの帰宅を待つことだ。ガンマ2号はそう考え、うろうろと部屋を彷徨いながら彼女の帰還を待つ。
 時間がかかりそうな外出ではなさそうだった。訊ねるまで多少の我慢だ。大丈夫、耐えられる。
 彼は時計をちらちらと確認する。ほんの一分が一時間のようにも感ぜられ、それにまた苦しんでいた。
 やがて玄関の方から念願の声が聞こえてきた。それにいち早く反応を示した彼は、光の速さで彼女の元へと飛んでゆき、そして絶句した。
 思考が追いつかなかった。言葉が出てこない。
 なんとブルマの隣には、彼が“もう一度会いたい”と渇望していた女がいたからだ!
 女は彼に気がつき、眼を丸くすると満面の笑みで小走りで彼のそばへと向かった。自身より頭ひとつ分身長の低い女。庇護欲が掻き立てられるような、そんな人物。また身体のコアが暴れ出す。

「ガンマ2号さん……!」
「あら? なまえ、彼のこと知ってるの?」
「さっき、わたしの鞄を盗もうとした男のひとを捕まえてくれたんです」
「ア……ア……」

 壊れた人形のようにしか動作できないガンマ2号は、だが視線はしっかりなまえのことを捉えていた。
「君の……名前……なまえって言うのか……」ひとつひとつの単語をやけにゆっくりと口にする。まるで大切で神聖な言葉のように。

「はい! なまえっていいます」
「……」
「! そ、そういえば、さっき、一方的でしたね……ごめんなさい」
「いや! いいんだ。気にしなくていい」

 スーパーヒーローさながらのはなまる満点の笑顔である。Dr.ヘドとガンマ1号は再度顔を見合わせる。そこで彼らは確信を得た。
 どこか心あらずなガンマ2号は、ぼんやりとなまえのことを見つめる。当然ながら視線が絡む。柔らかく微笑まれ、それにまたコアが異常稼働する。
「……そうだ!」なまえはわたわたと手にしていた鞄を漁る。周囲の者たちはそんな彼女のことを見守った。

「ブルマさんたちに作ったケーキ、持ってきたんですけど……あ!」

 綺麗にラッピングされていたであろうケーキは、ものの見事にぐちゃぐちゃになっていた。盗まれた挙句に振り回されたのだ。従って当然である。
 なまえは眉尻を下げながら肩を落とした。「ブルマさん……ガンマ2号さん……ごめんなさい……」途方もなく落ち込む彼女に、ブルマは声をかけた。

「なまえちゃん。大丈夫よ、気にしないの! そんなことより、怪我がなくて本当によかったわ」
「……で、でも、ガンマ2号さんもいるんだったら、もっと食べてもらいたかったのに」
「ボクに!?」
「(声デカ)……なまえちゃんの作るスイーツ、本当においしいのよ」

 ブルマはガンマ2号にウインクをした。この一瞬で、彼女は総べてを理解したのだ。だが、彼はそちらには無関心だった。“なにをしているんだこいつは”とまで思考している。鈍いやつである。
「また作ってくれたら嬉しいわ」ブルマは悲しそうにしているなまえの頭を優しく撫でた。彼はそれをどこか羨ましげに傍観している。ブルマは彼の纏う空気でその感情を汲み取っていたが、あまりにも筒抜けで思わず吹き出した。

「ブルマさん?」
「あ、気にしないで。ふふ」

 なまえは不思議そうにブルマのことを見つめると、なにやら思案し始める。
「あの、ガンマ2号さん」おずおずと話し始めるなまえに、彼はどきりとコアを跳ねさせ、彼女のことを見つめる。

「ど、どしたの?」
「まさかまた会えるなんて思ってもいませんでした」
「……それはボクもだ」
「ほんとうに、ありがとうございました。それで……」

 なにかお礼をさせてください。なまえはそう言った。
 ガンマ2号は言葉につまった。もちろんだと返答したいのは山々だが、それではあまりにも傲慢すぎる。かと言って断るという選択肢もなかった。彼は彼女ともう少し親身になりたいとすら考えていた。
 彼は無言を貫く。なんと返事をすれば波風が立たず、かつ自身の欲も叶えられるのか。頭をフル回転させて思慮する。

「あ、あの……ガンマ2号さん?」
「ん?」
「あ……め、迷惑ですよね。急にこんなこと言って」
「そんなことないよ」
「ひゅ……ちかい……」
「あ、ごめんごめん」

 ハハハ! ガンマ2号は空笑いした。危ない危ない。ひっそりと心の内で冷や汗を流す。油断をしたら触れてしまいそうだった。そんなことをしたら折角の再会が水の泡だ。今一度気を引き締める。
 なまえは深く考え込んでいる。どうしたらお礼となるのか、感謝を伝えられるのか。なかなか良案が思い浮かばない。
「それならさ」うんうんと悩む彼女を見かねたブルマが口を開く。

「デートでもしたら?」
「デッ」

 ガンマ2号はとうとう卒倒した。「ああ! ガンマ2号さん! どうしたんですか!」なまえは大慌てで彼のそばに駆け寄り、身体に触れる。彼はびくりと震えた。服の上から伝導してくる体温を上げる心ゆくまで感受し、このまま死んでもいいとすら考えた。否、死んでもいいわけがない。
「ぜひデートしたいな」彼は息も絶え絶えに呟く。

「ガンマ2号さんがよければ……」
「もちろん」
「習慣のパトロールはどうする」
「1号! 余計なことを言うな!」

 横からの声に反応したガンマ2号は目にも留まらぬ動きで立ち上がり、1号を威嚇した。そのやりとりを見たなまえは、やはり難しいのかと思い、悲しそうな面持ちになる。

「あ……無理には言いま」
「全然大丈夫だから」

 ガンマ2号はついになまえの両手を握ってしまった。そしてそのまま顔を覗き込む。相手の呼吸音を感じるほどの至近距離。ふたりはそれに気がつき硬直した。
「ご、ごめん」ハッと我に返り、彼は飛び退いた。しかし、じんわりと頬を赤くした彼女を眼にした途端、雷に打たれたような衝撃が走る。

「カワイイ……」

 思わず、口にしていた。
 静寂に包まれる。ガンマ2号は数秒の沈黙ののち、自身の発言を、やけにゆったりと思い返した。
 かわいい。カワイイ。「……カワイイ!?」彼は頭を抱えた。周りの者はみな口を開けて呆けている。
 なんたることだ! こんなにも大勢の人間がいる眼の前で、こんなにも余裕がない者をスーパーヒーローとは呼べない! 彼は力なく地に膝をつくと、拳を握りしめて地面を幾度も叩いた。

「が、ガンマ2号さん」
「……なに?」
「そしたら、あの……週末。どこかに……いっしょに、お出かけしませんか?」
「絶対行く」

 ガンマ2号は歯を食いしばりながら肯定の意を唱える。それだけでなまえは幸せそうな表情になるのだ。その様相を目の当たりにした彼のコアが再び悲鳴を上げる。
「楽しみですね」嬉しそうに破顔する彼女を見て、どうしようもなく、感情が昂るのを自覚していた。

「……そうだね」

 そうだよ。

240120

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