※女の子はエーテル財団の職員


 UB───通称ウルトラビースト。彼らは未知の存在で、ウルトラスペースという異世界の空間から、ウルトラホールを介してわたしたちの世界へやってきた。異世界からの訪問者。しかしそれは決して歓迎されるような存在ではなく、むしろそれとはほど遠いところに位置していた。
 一度だけ、ウルトラビーストがこちらの世界へやって来たのを目撃したことがある。エーテル財団のなかで、ルザミーネさまやビッケさん、そしてコウタくんやハウくんと共に目にしたのだ。空間を切り裂き、丸い空洞が出現したと思いきや、そのなかからウルトラビーストがでてきたのである。それはエーテル財団のなかでは、とりあえずコードネームとしてUB01PARASITE───のちのウツロイド、と名付けられることとなった。
 その力は強大で、人間や他のポケモンに脅威をもたらす存在である。けれども、彼らはむやみやたらと世界を破壊せしめるのを望んでいるわけではなかった。ただ、図らずもウルトラスペースから当世界に来てしまったことにより、戸惑いや恐怖を抱き暴れているとの見解を国際警察は下している。ゆえに彼らを捕獲し、世界を危険にさらされないようにする、というのが国際警察の判断だった。
 計り知れない力を持つ彼らを捕獲するのにはそれ相応の実力が求められるだろう。それこそ、同等の力で戦える実力を。つまるところ、エーテル財団のいち職員であるわたしには、到底及ばない立ち位置にいるのである。
 にも関わらず、今、わたしはウルトラビーストから隠れるように木の陰で息を潜めていた。周囲には綺麗な花々が咲いていて、そよそよと風に揺られ芳香を辺り一面に漂わせている。

「ザオボ〜めえ……」

 なぜわたしがウルトラビーストの真ん前にいるのかというと、その元凶はザオボーにある。この際“支部長”なんて敬称つけてあげない。それくらいわたしは腹を立てていた。
 彼曰く、ルザミーネさまからの報酬目当てでわたしをここに派遣したらしい。ザオボー自ら赴けばいいと思ったのだけれど、そういえば彼は自分を危険にさらすくらいなら部下に痛い目を見てもらおうという人間なのだった。本当人間性を疑うよ……。もうやだこんな上司。
 わたしは途方にくれていた。ウルトラビーストが強いなんて誰もが知る事実だ。それに立ち向かうなんて! チャンピオンになったコウタくんが対峙するならわかるけれど、わたしのようなただの平均的かつ平凡な職員には手に余る任務なのは一目瞭然だった。
 わたしが目当てとするウルトラビーストは、とってもムキムキでいかにも強そうなやつだった。名前はUB02EXPANSION───すなわちマッシブーンという。膨張、拡張、拡大。つまるところ、巨大な生物。筋骨隆々な彼にはぴったりな名前ではないか!
 わたしはゲンガーをモンスターボールから出した。相性でいえばこっち側の有利だけれど、相手はウルトラビーストだ。油断はできない。
 そしてそうっと物陰から顔を出すと、マッシブーンが、わたしに気がついた。視線が絡む。わたしはヒッと声をあげた。こんなに強そうなポケモンなのだ。怖くないわけがなかった。
 暫しの間、わたしたちは両者を見つめ合い身動きひとつとらなかった。バクバク、心臓が過剰に働いている。それもそうだ、だって過緊張しているのだもの……。ザオボ〜めえ……。わたしは何度目か知らない悪態を胸中で呟いた。

「ゲンガー」

 モンスターボールから出てきたパートナーの名を呼べば、彼はこちらを見てウシシと笑った。余裕そうだ。でも確かに、タイプで言えば有利なのだから、心にゆとりがあるのは理解できる。
 しかし、だ。わたしは嫌な予感がしていた。計り知れない“何が”が起こりそうだと、そんな気がしていたのだ。そしてこういうときの予感は、悲しいかな、的中するのである。

「ゲンガー! シャドーボール!」

 怖気付かずシャドーボールを命じれば、ゲンガーの手から生み出された黒い玉がマッシブーンに向かって飛んでいく───のだけれど、彼はなんと片手でそれを弾いてしまった。「あわわ」わたしは焦った。ゴーストタイプの技を弾く、しかも片手でなんて、そんなのありえない。それにわたしのゲンガーはこう見えて強いのだ。6VのCSぶっぱなのだから。

「げ、ゲンガー! さいみんじゅつ!」

 次の作戦は、眠らせてウルトラボールで捕獲する。これしかなかった。
 いかにも眠くなりそうな輪っかが、マッシブーンに向かってふよふよと近づいていく。しかし、しかしだ、それでもマッシブーンには効かなかった。なんと、フッ!!! と力強い吐息でさいみんじゅつを消し去ってしまったのである! わたしは泣いた。こんなの絶対捕獲できないよ。夢のまた夢だ。ザオボ〜めえ……。わたしは思わず、数えるのが億劫なくらいの言葉を呟いた。
 すると、マッシブーンが動いた。わたしはそれに心臓が飛び跳ねる。タイプでは有利なゲンガーだけれど、どうやら彼には常識は通用しないらしい。ゲンガーは一体どのような恐ろしい目に遭ってしまうのか。そればかりが気がかりで、わたしはゲンガーをモンスターボールに戻した。大切なパートナーなのだ。傷つくところなんて見たくない。
 突然、マッシブーンは両腕を上げた。わたしはそれだけのことにびくりと身体を跳ねさせる。当たり前だ、これから何をされるかなんて、考えただけでも戦慄ものだ。
 けれども、マッシブーンは攻撃を仕掛けてくるのではなく、上腕二頭筋を誇示するかのようなポージングをとった。見事なフロント・ダブル・バイセップス。からのサイドチェスト。わたしは彼が何をしたいのかわからなくてまた泣いた。
 ふとポージングをやめたマッシブーンが、近づいてくる。わたしは腰が抜けてへたりと地面にお尻をつけた。マッシブーンの足は止まらない。わたしはそのまま後退する。
 やがて、背中に何かがぶつかった。慌てて確認すれば、それは木だった。まずい、追いつめられてしまった!

「ひえっ、ご、ごめんなさい!」

 謝罪なんて聞いてはもらえないだろうけれど、わたしは必死に謝った。そもそも彼らに言葉は通じるのか?そんなのわからない。でも恥を捨てて命乞いをした。この際誰でもいいから助けてほしい。
「つ、捕まえるつもりはないの!」捕獲されることを危惧したのかと思い、そう言えば、マッシブーンは動きを止めた。止めたのだけれど、それはわたしの真正面にまで接近してからだった。わたしの身体に大きな影が被さる。わたしはまたまた泣いた。

「う、うう、ごめんなさい」

 めそめそ泣きながらそう言うと、マッシブーンはしゃがみこんでわたしに顔を近づける。おそろしくて直視できたものではない。
 でも、そのあと一向に動きを見せないマッシブーンを不審に思った。試しに、ちらりと視線を移してみる。彼の黒い瞳には引きつったわたしの顔が写っている。
 何秒か見つめあった。するとおもむろに、なぜかマッシブーンの顔が接近してくる。まるでキスされるかのような距離まで。わたしは情けない声を口から漏らして顔を避けさせる。ドスッ。そんな音が聞こえた気がした。木にマッシブーンのくちばしが刺さったのだ。それは尋常でない力強さだった。こんなの顔と合わさったら穴が空いてしまう。
 マッシブーンは木からくちばしを抜くと、どういうわけかまたまたわたし目がけてくちばしを近づけてくる。

「ひっ! わあ! だれかたすけてえ!」

 ドスッドスッドスッ。わたしは何故かキス(?)をしたがるマッシブーンから死に物狂いで逃げた。その間もマッシブーンはわたしにくちばしを突きつけてくる。何がしたいのだ!

「ちょ、ちょっとまって! 落ち着こう? ねっ?」

 言葉が通じるかなんてわからないけれど、わたしはそう言うしかなかった。
 そうすると、マッシブーンはぴたりと動きを止めた。言いたいことが伝わった……? わたしはびくびくしながら彼を見つめてみる。表情が読めない。わたしはまたまたまた泣いた。
「こ、こんなことしても、なんの得にもならないよ」もっともなことを口にするも、マッシブーンは首をかしげるばかり。やはり、言葉は通じないのだろうか……。
 おもむろに、マッシブーンが立ち上がる。それにまたびくりと肩を跳ねさせると、彼は周囲に咲いていた花を茎からぶちぶちと引き抜き始めた。まるで今のわたしのような目に遭っているような気がして、複雑な心境になる。
 満足いくまで花を集めきったのか、マッシブーンがわたしの方を振り向いた。それにどうしようもなく怯えると、彼は地面に膝をつき、わたしに美しく咲き誇っている黄色い花を差し出した。

「……?」

 わたしはマッシブーンの意図が読めなかった。この花を、わたしにくれるということなのだろう。けれど、なぜ?思わず花とマッシブーンの顔を交互に見やる。困惑していると、彼は再びわたしに花を押し付けてきた。
 それに抵抗するとどんな目に遭うのか、なんて考えただけでも恐ろしい。なので、わたしは「あ、ありがとう」としどろもどろになりながらそう言って花束を受け取っておいた。
 マッシブーンは満足したのか、ふん、と鼻から息を出す。鼻がどこにあるのかなんて知らないけれど。
 この雰囲気。もしかしたら、捕まえることができるかもしれない。わたしはそう思った。
 バッグのなかからウルトラボールを取り出す。そして「ね、ねえ」とマッシブーンに話しかけた。

「もしあなたさえよかったらなのだけど、このボールに入るつもりはないかなあ?」

 恐る恐る、訊ねてみる。すると、マッシブーンは首をひねった。「わたしに捕まえられるの」そう続ければ、彼はわたしの手からウルトラボールを取る。
 わたしがなにを言いたいのか、わかってくれたのかもしれない。そう安堵したその途端。バキッと音がした。えっ。音の発生源を見てみると、そこには。

「……!!!」

 ウルトラボールが握りつぶされていたのだ! わたしは再度身体をがたがたと震わせた。一体彼の何を怒らせてしまったのだろう。やっぱり捕まえるという言葉がよくなかったのかもしれない。後悔しても遅いのだけれど……。
 この際ウルトラボールが高価なものなんて関係ない。わたしは目の前で起きたことに目を見張っていた。
「あ、そ、そうだよね、捕まえられるの嫌だよねっ? ご、ごめんね……」マッシブーンを刺激しないように低姿勢で話しかけると、彼はウルトラボールの残骸をぱらぱらと手から落とした。
───“次はお前だ”。言葉にはされずとも、わたしはそう言われたような気がした。身体が戦慄に震え始める。もういやだ帰りたい。

「ほ、本当にごめんね」

 だから、どうか、わたしの行動を許して!
 あまりの恐怖に、火事場の馬鹿力を発揮したのか、わたしの腰は正常に戻っていた。そしてやにわに立ち上がると、マッシブーンに背を向けて脱兎のごとく走り出した。敵に背を向けるなんて自殺行為に近しいのだろうけれど、それよりも今すぐにこの場から離れたかったのだ。
 走りながら、ちらりと後方を確認する───と、その先には。

「ひっ! こ、こないでえ!」

 4本の足を巧みに動かして、土煙を上げながら追いかけてくるマッシブーンがいるではないか! わたしはまたまたまたまた泣いた。だって怖すぎるのだもの……。
 心の中でザオボーを責める。もうこれ以上ないってくらい責めまくった。彼には痛い目に遭ってもらわなければ気が済まない。
 わたしは花束を握り締めながら必死にひた走る。そもそもなぜ彼はわたしを追いかけてくるのだろうか。さきほどこの花束を渡してくれたのが関係しているのかな……。う、ううん、いくら考えても答えは見つからない。それこそ本人に聞かなければ、到底理解できる問題ではなかった。
 かと言って、マッシブーンに直接訊ねるわけにもいかない。わたしは混乱した頭に悩まされながら、足を動かした。
 筋肉が重いのか、彼は思っていたよりも足が速くない。このままいくと彼を撒けるかもしれない。わたしはそう思った。
 徐々に距離が離れていくわたしとマッシブーン。そしてとうとう、彼は森の中で姿が見えなくなった。
 わたしは心底歓喜した。そして作戦を練るためにエーテル財団へ一旦戻ろう。そう思って、前へ向き直ると。

「わぎゃあああ!」

 なんとそこにはマッシブーンがいるではないか! なぜ、どうして、さっき撒いたはずなのに!
 わたしは命の終わりを感じ取る。そしてそのままあえなく気絶した。




「……ん、……さん、なまえさん」

 遠くから名前を呼ぶ声が聞こえる。次いで身体を揺すぶられる感覚。わたしはゆっくりと開眼した。すると目の前には心配そうな面持ちでこちらを見下ろしているコウタくんがいた。

「コウタくん……?」
「ああよかった。目が覚めて。……死んでいるのかと思いました」

「……えっ、死んでる? あはは、冗談はよしてよ」身体を起こしつつ笑いながらそう言えば、彼は慎重な顔つきになった。なにごと。

「ウルトラビーストの出現場所をハンサムさんに聞いたからここへやって来たんですけど、まさかそこでなまえさんが倒れているとは思わなくて」
「そうそう。わたしもザオボーに頼まれてここへやって来たの。コウタくんの方が適任なのにねえ」
「……なまえさん、奴らに何かしました?」
「?……どういうこと?」

───奴ら、まるで愛でるようになまえさんを囲っていたんですよ。気絶しているなまえさんの周りにご丁寧に花まで飾りつけて。だから死んでるのかと思ったんです。
 わたしはその言葉を聞いたとき、ゾッとした。マッシブーン、彼にはやはりわたしに対して何か思うところがあるのだろう。わ、わたしを殺したかったのかな。なにそれこわあい……。
 ところで、気になることがひとつ。

「“奴ら”ってどういうこと?」
「2匹いたんですよ」
「えっなんて?」
「だから、2匹いたんですって」

 その言葉に、わたしは肝が冷えた。もしかすると、逃げ出したときのマッシブーンと、そのあと目の前に現れたマッシブーンは別個体だったのかもしれない。
 気絶してしまったためにその後の彼らの様子はわからなかったけれど、コウタくん曰く、彼らはわたしに献花してくれていたらしい。とは言っても死んではいなかったのだけれど……。謎すぎる。もしかしたらそういう習性があるポケモンなのかもしれない。

「それで、コウタくんは彼らをどうしたの?」
「捕まえましたよ。2匹とも」
「おお〜! さすがチャンピオンだね!」

 ぱちぱちと拍手をしながらそう言えば、コウタくんは照れくさそうに笑んだ。彼の手にはマッシブーンが入っているウルトラボールが2個握られている。それらは不穏に揺れていた。
 わたし心臓がどきりと跳ねる。またまた嫌な予感がする……! そしてまたもその予感は的中したのである。
 なんとマッシブーン(×2)が、コウタくんの指示なくして勝手にウルトラボールから出てきたのだ! そして彼らはわたしを取り囲むではないか! 巨大な体躯を持つマッシブーンだ、コウタくんの姿は彼らに完全に遮られてしまっている。

「ななななにをするつもりですか! コウタくんたすけてくださいい!」

 思わず敬語になりコウタくんに助けを求めると、1匹のマッシブーンがムキムキの太い腕でわたしのことを抱き上げる。そしてもう1匹がそれを取り返そうと言わんばかりに腕を伸ばしてくる。わけがわからなかった。ブンブンと目まぐるしい視界にわたしは人知れず涙を流した。

「なまえさーん!」

 遠くでコウタくんの声が聞こえる。まるで山びこのように響き小さくなっていく声。そしてそれを最後に、わたしは再び気絶する羽目となったのだった。




 ぼんやりと意識が戻る。目を開ければ、その先には白色。首を動かし辺りを確認すると、それは見覚えのある自室だった。怠い身体を起こしてぼうっとする頭のまま静止していれば、「なまえちゃん」と声をかけられる。驚いて振り返れば、そこにはビッケさんがいた。

「ビッケさあん!」
「大丈夫だから、落ち着いて?」

 わたしは泣く泣くビッケさんに恐怖体験を伝えた。ウルトラビーストはやはり強者であること、なぜか花束をくれたこと、気絶していたら花を捧げられたこと、くまなく話した。
 「コウタくんからも聞いたわ。大変だったね」優しいお言葉にぽろりと涙が目から溢れた。
そしてビッケさんに話を聞くに、コウタくんがここまで送ってくれたそうだ。あのあとどのように場を収束させたのか疑問を抱かずにはいられなかったけれど、それでも五体満足で帰ってこられたわたしは安堵する。
 ところで、なぜわたしがウルトラビーストの捕獲に向かったのか、そう問われた。わたしはザオボーの策略を包み隠さずビッケさんに伝える。すると彼女はピシリと固まった。「そうだったのね」その言葉はとてつもなく重く、被害者のわたしですらぶるぶる震えるものだった。

「ザオボーにはしばらく雑用を押し付けましょう。あと減給の処分を下しますからね」

 ふんわりと笑いながらそう言ったビッケさんに、わたしは力強く頷いたのだった。

190423

- ナノ -