鬱蒼と茂る木々が連なる森の中。
道と云う道も無く、誰一人として足を踏入れない場所なのだが。
風が通り抜け、枝が揺れる。
否、良く見れば木の細い枝を次から次へと飛び移り、軽い身のこなしで駆ける者が居た。


(つまらねぇ)


そう毒づく心境である事は彼しか知らない。
鬱憤を晴らす様に止まる事無く、更に加速を加え駆ける。
何も無い山の中。
幼い頃より生まれ育った場所であり、忍としての厳しい訓練も耐えた場所であるのだが、年頃になった佐助は暇を持て余していた。
やがてふと立ち止まり、木の枝に腰を掛ける。


「あーつまんねぇ」


穏やかに流れる雲にすら苛立ちを隠せず、思わず言葉が零れた。


「何がつまらぬのだ?」


ふと下に視線を落とすと、自分と同じ位か少し下の年齢とも取れる顔立ちをした少年が好奇心を隠さず其処に居た。
その少年の気配に気付かなかった己に舌打ちしたい気分に駆られる。
忍は影の存在である以上、他人に姿を見せる事は愚かな行為だと云う教えが途端に過る。


「先程も木々を駆けていただろう?風の如く速かったな。何とも素晴らしい」


ずっと前から其処に居た様な口振り、少年に対しての警戒心が更に強まる。
見た所、其処ら辺の村に普通に育った雰囲気であるのだが、見た目など当てにならない。
それに少年からは何処か違う空気を漂わせているのを感じる。
敵か。
伊賀か、それとも何処かの大名の雇われ者か、今分かっている事は味方では無いと云う事。
静かにクナイを構え、次の瞬間、少年の喉元に狙いを定め枝から跳躍する。
しかし、あと一歩の所で金属のぶつかる音と共にクナイが弾かれる。
間合いを取り、再び構えを取った。
弾いたのは少年では無い、彼はただ其処に立って居るだけだ。
弾いた本人は少年の傍らに現れた男だ。
何処からともなく現れた男を一瞥し力を見定める。
寡黙そうな静かな雰囲気を漂わせる男。
少年を庇う様に立つその姿は、兄弟と云うより忠実な部下と云う所か。


(あいつ、遣える)


一瞬、視線が交わると互いに緊張状態を更に強めた。
すると後ろに居る主に向かって声を掛ける。


「怪我は御座いませんか、弁丸様」
「うむ、六郎もな。しかし彼奴狙いも良いな」


命が狙われたと云うのに恐れを知らないのか、涼しい顔をしている。
すると佐助に向かって語り掛けた。


「私は、お主の敵では無いぞ?」


しかし、その一言で納得出来る程、軽い人間ではない。
それを理解って居る様子で、弁丸と呼ばれた少年は苦笑が交わった笑みを浮かべる。


「やはり唐突過ぎたか」


すると護身用に持っていたと思われる懐刀を足元に置き、六郎の前へと踏み出す。


「弁丸様っ…」
「下がっておれ六郎、手出しは無用」
「…畏まりました」


六郎は警戒心を弱めないが、渋々承諾し、刀を仕舞う。
それを見届け、再び佐助の方へ視線を戻すと一歩を踏み出し、また一歩と彼に近付く。


「私は何も持っていない、お前に危害を加える気も無い。これで敵では無いと信じてくれるか?」


すると先程まで張り詰めていた緊張状態が思わず抜けた。


「全く、不思議な奴等だな。これで容赦無く俺が攻撃したらどうする積もりだったんだよ」
「ま、その時はその時と云う事だ。しかしお前は結局攻撃をしてこなかった。これが答えであろう?」


何かを含んだ様な笑みを向けられ、やがて釣られた様に声を上げて笑う。


「俺は佐助、猿飛佐助と云う。で、お前等は何者」
「おぉ、名乗って居なかったな。私は真田昌幸の次男で名を弁丸と云う。後ろで控える彼奴は海野六郎と云う。因みに私はまだ元服はしておらん」
「真田、」


一瞬顔をしかめたが、直ぐに思い当たったのか先程までの笑みを再び宿す。


「真田の若様がこんな所に何の用向きで?」
「いや、ただの散歩中であったのだが、丁度そなたを見掛けてな、気になって話掛けてみたのだ」
「………へぇ、散歩、ねぇ」


こんな山奥に。
普段から人の出入りなど皆無に等しいこの場所へ来るとは、不審極まりない。
顔に出したつもりは無いが、それが伝わったらしい。


「と云っても、そなたは信じぬよな」


まるで心を見透かしている様な口振りで少々驚きを隠せない。
が、次に少年の紡いだ言葉に更に驚きが増す。


「率直に云う、私の元に来ぬか」
「……何?」
「先程つまらぬと呟いていただろう?私の元で暇を潰す気は無いか」
「唐突だな、おい」


冗談かと思いきや弁丸の真剣な眼差しを向けられ、ふと真顔になる。


「私は“力”が欲しい」
「力を欲してどうする積もりだ」
「天下よ」
「天下?」


10代半ばの者から零れた二文字、今の時代誰もが夢を見る、しかしそれだけで終わる者が大半である御時世に澱む事無く告げた。


「私はいづれ真田の力を天下に示す積もりだ。その時に必要となる手となり足となる者が必要だ」


真っ直ぐに見据える静かな瞳。
無名に近く、其れ程の好機に恵まれるとも思えないこの場所に生まれ育った者が決めた覚悟か。
背筋に戦慄が走る気がした。
そして膨らむ期待。


(これ以上暇つぶしになる事に出逢える確率は低いかな)


上昇する高揚を抑える事が多分無理だと悟る。
そして。


「その天下への道、一緒に作ってやるよ」


その一言告げると弁丸も何も言わず、ただ笑うだけだった。
そして生涯と続く絆は結ばれた。





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