――――――破裂の近づく音が、聞こえる。

 緋色に染まる山道を、いつもより少しだけ、深くまで歩く。速くも遅くもない足取りで前を歩いていく背中は、時々私の歩調を確かめるように振り返っては、何を言うでもなく笑った。
 秋が来ると、山頂からの景色がとても良いらしい。そんな話を聞いたのは、夏の終わり。去年の秋に果樹園で働くようになってから、以前より人に対して打ち解けてきたクリフは、近頃同じ宿屋に部屋を借りているグレイとも親しくなって、私を交えて三人で食事をすることも多くなった。グレイはサイバラさんの言いつけで、心を落ち着ける修行という名の山登りを習慣化させられている。本人は少し億劫に感じてもいるようだが、精神統一というよりむしろ、本当のところはサイバラさんなりの気晴らしの提案なのではないだろうかとも思う。その証拠に、彼は山の散策や四季に詳しい。山頂から見える景色のことを教えてくれたのも、グレイだった。
 夏の、終わり。宿屋の会話を思い出したら、その記憶の中にある夏の夜の暑さや風の匂いに連れられて、もう一つ、別の出来事も思い出された。今年の夏に町を襲った、記録的な台風のことだ。トーマスさんと、もうこの町に住んで長いという写真家のカノーさんがそう言っていた。ここ十年でも珍しいような、大きな嵐だったね、と。
「……」
 落ちた紅葉の葉を踏んで進む自分の爪先を交互に見つめながら、考える。あの日のことを、彼は私に何も追究しない。とても平静とは言い難い状態にあった中、自分が言ったことの記憶には曖昧なものも多いが、錯乱していたわけではないから大方のことは覚えているつもりだ。蛍光灯の消えた部屋の中で、私は断片的にものを語った。過去を語ったとまではいかないが、家を手放して住んでいた町を離れたこと、誰も待ってなどいないが一応は向かうあてがあったこと。そして、嵐で船が沈んだこと、本当はこの町に来るはずではなかったこと。
 彼は、私の言葉を途切れさせるようなことは何一つ言わなかった。大抵黙って頷いて、時々風の音の合間を縫ってうん、と相槌を打った。誰にも言わずに生きていけると思っていたのに、どうしてよりによって、話さないと約束した彼に縋らずにはいられなかったのだろうと思い、そして気づいた。彼だけが、私の中での特別に変わってしまったからなのだと。
「――――――」
 この関係を、終わりにしなければ。本当の恋愛感情が生まれてしまった今、そういう気持ちのなかった頃に結んだ約束で、彼をいつまでも恋人として扱い続けるのは、ひどく狡猾な手に思えた。何より私達の間には、曲がりなりにも傍で過ごして築いてきた信頼がある。その信用に、背いている気持ちになる。けれど。
「クレアさん」
「え?」
「はい」
 差し出された手に、唇を固く結んだ。言い出せない、本当は今この時にだって言える言葉だと、分かっているけれど。それでも、あの嵐の日以来、目に見えて優しくなった彼に、お終いの言葉は引き延ばされるばかりだ。躊躇った手を当たり前のように握って、再び急になる坂を登りだした後ろ姿に、秋風が散る。
 お別れをするには、ちょうどいい季節だ。この心地好くぬかるんだ関係を壊して、一から彼に片想いを始めなくてはならないのだと、頭では理解している。理解しているのに終わりを口に出せないまま、空気圧を増していく感情ばかり、胸を圧迫する。

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