さくさくと、薄く積もった雪を踏んで広場への道を進む。靴底が触れるたび雪は沈んでいくが、すぐにそこを埋めようとしているかのように真新しい一片が降りた。この町で過ごす、初めての冬だ。
 今日は、クリフと食事の約束がある。どんな形の馴れ初めであれ、人間というのは季節が一つ移り変わる頃には存外変化も受け入れられてしまうようで、私達は近頃、こうして会って一緒の時間を過ごすことも多くなった。もっとも、誘いをかけるのは大抵私からであるのだけれど。それでも二人でいるときにグラスを交わすこともでてきた辺り、彼のほうも、ずいぶんと私という存在に慣れた。それは事実だろう。
 私達がどんな約束の上に付き合っているのかなど知らない町の人々は、根無し草の青年と大きな迷子の私に、互いに心を許せる人が見つかったようだと遠巻きに見守ってくれているようだ。その祝福がくすぐったい。私達は、きっとどちらからも互いを探らないという、あの約束を破ることはしないだろう。それは今の私達にとってみれば心を許すに値する理由の一つであって、恋なのかと言われたら恋の名を借りた友人関係に過ぎないのだが、誰よりも気を許している。
 現に、こうして何度となく二人で会っていても、私達の間にあるのは他愛もない話ばかりだ。仕事のこと、ふと思ったこと、食べたもの、見つけたもの。取り留めもなく、話をする。些細なきっかけから内面の話に繋げられることはないと分かっているから、気兼ねなく話ができる。
 私は、そういう時間が結構楽しみだ。付き合ってくれる彼にとってもそうであったら、そう思ってくれるようになったら、いいなと思っている。
「あ、クリフ―――」
 だが、広場が見えてきて、いつもの看板の前に立っている彼を見つけたとき。呼びかけに一瞬、振り返ろうとしたように見えた彼が、そのままゆっくりと倒れた。
 すべてがスロー映像を見ているように映った。クリフ、と足元の危うさも頭から抜け落ちて駆け寄る。雪の上に横たわった彼の上体を抱え起こせば、冷え切った肌の芯が嫌に熱く、背中をひやりとしたものが登った。
「……クレア、さん?」
「うん。大丈夫、じゃないわよね。具合が悪かったの?」
「よく、分からない……ごめん、今」
「いい、立たないで。支えられないから。すぐに人を呼んでくる」
 のろのろと、虚ろながら蒼い眸が瞬く。おかげで少しだけ冷静さを取り戻せて、私は首を横に振った。起こしたときには何も頭になかったが、今の状態で歩けるようには見えない。私より背の高い彼を、一人で背負っていくのは無理だ。
 頷いて、意識が途切れたようにまた瞼を閉じていく彼を、下ろしたリュックの上に寝かせて広場を見渡す。傍には誰もいない。すでに真っ白な地面を薄く、薄く覆いつくしていく雪がふいに恐ろしく見えて、私は彼にすぐ戻るからと言って立ち上がった。宿屋へ入れば、必ず誰かいるはずだ。手を貸してくれるよう、頼もう。
「――――――!」
 そう思って歩き出そうとしたとき、足元に何かが落ちているのに気づいた。彼が持っていたもののようだ。咄嗟に拾い上げてしまってから、息を呑む。
 それは、写真だった。髪が今より短く顔立ちも少し違っているが、左に写っているのは間違いなくクリフだ。右には女性がいる。恋人という年齢ではない上、髪の色が彼と全く同じだった。母親だ。そう察してしまってから、では中心にいる幼い女の子は妹だろうかと気づいてしまって、思わず横たわった彼を見下ろす。閉じられたままの瞼に、雪が落ちるところだった。開かれる気配はない。
 見れば、ポケットから薄いハンカチがはみ出していた。どくどくと、心臓が動揺に鳴っている。不可抗力だった。私は、ただ彼の落し物を拾っただけだ。それなのに。
 ―――あいつって誰にも家族のこと、話さないらしいから。
 秘密を、目の当たりにしてしまったような気持ちになるのは。きっとその勘が、間違いではないと分かってしまうからだ。写真を見たからといって、分かることは何もない。ただ、一つだけ言えるのは、いつでも会える人ならばこんな、まだあどけなさの残るような頃に撮った古い写真を持ち歩く必要はないはずで。
 私はそっと手を伸ばして、ハンカチと一緒に写真をポケットへ押し込んだ。見なかったことにしよう。そういう約束だ。この写真を他の誰でもない私が拾ったのは、きっと、見逃すため。
 私は足音を立てないように立ち上がり、急いで宿屋へ向かった。

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