がやがやと独特の喧騒が、音楽のように耳に流れ込み続ける。小さな町だというのに酒場は不思議と夜になると人が集まるようで、オーダーの一切を取り仕切るランは慌てることもなく、慣れた様子で働いていた。
「クレアちゃん、何飲む?」
「どうしようかな。実はあんまり来たことがなくて」
「あ、そう?じゃあ葡萄酒でいいんじゃないかな、この町のは美味いと思うよ」
 じゃあそれにする、と頷けば、向かいの席に座ったカイは上機嫌に葡萄酒を二杯頼んだ。ランが返事をして、ちょっと待っててねとカウンターの奥へ歩いていく。
「誘ってみて良かったよ、昼間はなかなかゆっくり話す暇もないからな」
「うん、ありがとう」
「ははっ、クレアちゃんが礼言うの?逆だって」
俺が誘ったんだからさ、と。氷の入った水を傾けて気さくに笑うカイにつられて、私も思わず笑った。
 夏の初めにこの町へやってきたカイが、牧場へ挨拶に来たのは数日前のことだ。私は知らなかったが、毎年ここへ来て、海の家を開いているのだという。春に越してきたと自己紹介をして、一度は海の家へ寄ってもみたが、なかなか忙しそうにしていたのでそれ以来話す機会もなかったのだけれど。今日、たまたま広場で行き会って、一度一緒に食事でもしないかと声をかけられた。
「それにしてもさ、牧場ができたとは聞いてたけど、まさか女の子が一人でやってるとはね。大変じゃない?」
 彼は、さっぱりとした性格だ。私のこの町に来た経緯を知らないおかげもあってか、嫌味なく色々なことを聞いてくれる。答えることもあるしごまかすこともあるが、過度に踏み込むこともない。誘いをもらったときは、正直に嬉しかった。
「そうね、大変よ。慣れないことばかりだし、慣れても大変そうだと思うことも多いし」
「だよなぁ」
「でも、今はそれくらいでいいのかもしれないと思ってるの。毎日少し忙しいくらいのほうが、この町にも馴染める気がするし」
「ああ、それはそうかも。やることがないと、余計なこと考えたりもするもんね」
 言って、ちらと辺りを見回すような仕草を見せた彼に、そういうこと、と頷く。この町の人は優しい。それは事実だ。だが、優しいことと私が町に馴染むことは別の話なのである。不自由はしていないが、例えばこうして、誰かと食事をしたいと思っても。今の私にはまだ、あまり気楽に誘える相手も、誘ってくれる相手もいない。根本的に余所者だという前提でここへ通い続けている彼は、そんな私の状況がよく分かっているようだ。
「ま、小さな町だからね。でも、クレアちゃんなら上手くいくよ」
「そう思ってくれる?」
「もちろん。だって、こんな綺麗な子だろ?すぐにみんな―――」
「葡萄酒お待たせしましたぁ」
 に、と。悪戯っぽく笑っていたカイの笑みが、その声と一緒にかき消された。どん、と勢いよく彼の前に下ろされたグラスの中で、深い赤紫色の葡萄酒が今にも零れそうに波打っている。恐る恐る見上げれば、ランがにこにこと笑っていた。
「そうやってすぐ、ウチのお店使って女の子口説かないの。やるなら自分のお店でやってよ」
「いいとこだったんだって、ランちゃん……」
「もう、せっかくクレアさん連れてきてくれたと思って、黙って見てたのに」
「え、私?」
「うん、そう。夜に来てくれたの、初めてでしょ?お父さんがね、一杯目だからサービスでいいって。ゆっくりしていって」
 ことりと、目の前に置かれたグラスを見てからランを見上げると、彼女は少し照れくさそうに笑った。その顔にカウンターのほうを見れば、ダッドさんがボトルを磨きながらふっと視線を柔らかくする。小さく頭を下げて、礼の言葉はランに預けた。
「あーあ、せっかくいい感じだったってのに」
「何がいい感じだっていうのよ、まったくもう。……あ」
「ん?ああ、あいつ」
 軽口を交し合ってグラスに口をつけたとき、宿屋のドアが開く音が聞こえてそちらを見れば、見覚えのある青年が戻ってきたようだった。思わず声を上げた私に、カイもつられたようにグラスを置く。
「何、仲いいの?」
「親しい、って言えるほどではないけど……、たまに話すから」
「へえ、そうなんだ?あいつ、あんまり人とは……」
「こんばんは、クリフ。今帰り?」
「あ、ちょっとクレアちゃん」
 聞けって、とカイが言ったのが聞こえて振り返ったが、私の発した言葉が向こうに届くほうが先だったようだ。呼ばれたことに気づいたクリフがこちらを向いて、あ、と気まずそうな顔をする。それにも最近は少し慣れた。彼は、人と関わるのを避けがちなようだ。だが、買い物へ行こうとして教会の前を通るとよく行き会う。顔見知りに会って挨拶をしないというのも引っかかるものがあるので一言二言だけ声を交わしているうち、おはよう、こんにちは、の他に、行ってらっしゃい、またね、くらいは言い合えるようになった。
「こんばんは、クレアさん。お疲れ様」
「うん。ねえ、良かったらクリフも一緒にどう?」
「え……っ」
 返事は、それほど期待していない。声をかけることに意味があると思った。この町で生活していく以上、私にとっては彼もこの町の住人だ。もう少し、気軽に話ができる程度の仲にはなりたい。
「ごめん、僕は……」
「そっか。気にしないで、また今度」
「うん。……それじゃあ」
「おやすみなさい」
想像通りに断られたが、気にせず手を振ってみる。戸惑いながらもおやすみと言った顔がぎこちなくも綻んで見えて、階段を上っていく後ろ姿を見上げていたら、正面から額を突かれた。
「妬けるわ、なんで誘うわけ?俺じゃ不満?」
「違うよ。カイだってそんなに嫌な顔しなかったじゃない」
「……はあ。妙なとこで鋭いよ、あんた。俺が言いたいのはね、あいつと普通に仲良くなるのは難しいんじゃないかなってこと」
「どういう意味?」
 間髪いれずに訊ねてみる。カイは階段の向こうで閉まったドアの音を聞いて、言葉を選ぶようにしながら話し出した。
「ワケありなんだろ、って話。分かんない?何となくさ」
「……」
「あんたが構うのは止めないし、悪い奴だとも思わないけど。俺はあんまり、ああいういかにも関わらないでくださいって感じの奴は触らないけどね」
「……」
「……だんまり?心配してやってんの。詳しいことは知らないけど、あいつって誰にも家族のこと話さないらしいから。俺は今同じ部屋に泊まってるけど、しても挨拶くらいだな」
酒場にしては明るい照明に照らされた葡萄酒を飲み干して、彼は言った。嘘のない声だった。冗談にしては苦笑するような声音に、頬杖をついたままふうんと返す。
「まあ、いいよ忘れても。なんか食う?」
「うん」
 話を変える提案に頷いて、メニューを聞いてくると席を立ったカイがカウンターに向かうのを眺めながら、先の言葉を思い返す。家族のことを話さないと言ったが、それは私も同じだ。私とクリフの間にある差は、時々とても小さいものではないかと感じてしまう。それは、とても本人に言うことはできないが。

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