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「若だんな、若だんな!」


加藤村に帰るといつも聞こえてくるこの声は、近所の呉服問屋の長女、名前のものだ。
僕が名前と知り合ったのは去年の事で、きっかけは些細な…というか、ベタな恋物語みたいだった。







その日僕は清八と遠乗りをしていた。僕達が加藤村に到着した頃はそろそろ陽も落ちかけるという時刻で、村にはあちこちから夕餉の支度をしている匂いが漂っていた。その匂いにお腹がくう、と鳴って急に空腹を意識する。お腹の音は清八にも聞こえていて、早く帰りましょうか、と言った清八と目を合わせて二人で笑った。

ふと、この辺では見ないような光景が目に入った気がして振り返る。改めてちゃんと見ればそれはやっぱり気のせいじゃなくて、綺麗な着物を着た女の子が道の端でうずくまっていた。


「清八!」


目で会話をするってこういうことなんだろう。僕が視線を清八と女の子の方に交差させただけで、何を言いたいのか察してくれた清八は、頷くことで了解を示した。それを確認して、女の子の傍まで馬を寄せる。


「ねえ君、大丈夫?」


近くでよく見ると、その女の子は濃い朱色地に白や薄桃色の花柄を散らせた質の良い着物を着ていて、髪も丁寧に梳かれて、桜色に金糸が織り込まれた高級そうな細い組紐で、長い前髪を結って両側に分けている。

僕の家が近所なため、馬借の精悍な若い衆しか見かけないこの辺りでは、この綺麗な格好は浮いている。
どこかいいところのお嬢様なんだろうか、と思いながら手を差し延べると、僕より小さく白い手を乗せて、女の子は顔を上げた。


「ありがとうございます。」


控えめに紡がれた声は今にも消え入りそうで、儚くて頼りない。
そんな声を出した女の子は、ぱっちりとした目に被さる長い睫毛、ぷっくらとした桃色の小さな唇が印象的な可愛い顔をしていた。
こんなに可愛い子を見るのは初めてで思わず見惚れてしまっていた僕は、不思議そうに僕を呼びかける女の子の声で現実に引き戻された。


「あっ…えっと、君具合悪いの?お腹でも痛む?」

「いえ。鼻緒が切れてしまって…」


言われて見てみると、確かに草履の鼻緒が切れていた。替えも持っていなくてどうしようかと悩んでいたところに僕達が通りかかったらしい。
それなら僕が馬で送ってあげる、と言えば女の子は嬉しそうに笑った。その笑顔に何故か心臓が大きく跳ねて、胸が苦しくなるのをごまかすために、後ろで待っていた清八に大声で話し掛けた。


「では私の馬に乗せましょう。」

「いや!僕の…馬に、乗せるよ。それくらい、できる。」

「……そうですか。ではここは、若だんなにお任せしましょう。」


何か、微笑ましいものを見るような清八の目が堪えられなくて、慌てて後ろを向く。別にこの子の前で格好つけたいとか思ってるわけじゃないぞ。そう、僕が言い出した事だし、責任ってやつだ。あ、そういえばまだ家の場所を聞いてなかった。名前も。


「えー…と、君家はどこ?」

「これは申し遅れました。私は呉服問屋苗字屋の娘、苗字名前と申します。」


これが僕と名前の出会いだった。







「若だんな、若だんな!」


あれ以来何故か名前に懐かれた僕は、休みで実家に帰ってくる度名前に付き纏われている。
背中で聞くこの声も、僕が歩く度雛鳥のように後を着いてくるこの姿も、もうこの辺ではすっかりお馴染みの光景だ。

最初は普通に接していた。
名前は優しいし、僕も男だ。同じ年の女の子に慕われて嫌な気はしない。でも物事には限度というものがある。いくら相手に悪気がないからといって(むしろ好意しか感じない)毎日毎日、どこに居ても何をしていても構われたんじゃ、さすがに嫌気もさす。

素っ気なくしてみてもそれは変わらなかったから、もう諦めて適当にあしらうことにした。それでも名前は嬉しそうに笑うもんだから、無下に追い払う事も出来なくて困る。


「それでね、若だんな。その南蛮の絵物語に出てくる王子様は、白い馬に乗ってお姫様を助けに来るんです。まるであの時の私達みたいですよね。だから若だんなは私の王子様なんです。」

「その話は何回も聞いたよ。」


それにしても、名前は相変わらず僕のことを若だんなって呼ぶんだな。清八達がそう呼んでいるから、って言っていたけど、名前の方がお嬢様だから、何か変な感じだ。


「若だんなどちらに行かれるんですか?私もお供いたします!」

「厠だよっ!!」


あの頃名前を可愛いと思っていたなんて多分、いや絶対に気の迷いだ。



すきすき若だんな!


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世間知らずなお嬢様が全力で好意をぶつける。団蔵の事に関してはお嬢様らしからぬ行動力を発揮する。そんな感じで一生懸命に恋している女の子と、うんざりしながらも心底嫌ではない団蔵だと良い。

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