二月二日、江戸に雪が降った。
近年、江戸では異常気象が多くみられるようになり、ここのところ暖冬が続いていた。去年は雪なんて降らなかったというのに、ここ最近は氷点下の日々が続き二月に入った途端に降り出した雪は今もしんしんと降り続けている。暗闇に降っていく牡丹雪は水玉模様のようで、とても綺麗だ。

雪は俺を暖かく包み込んでくれる銀色に似ている。
だけど、窓を開けて触れた白はやっぱりただの雪で暖かい筈もなく、手のひらに落ちたそれはすぐに溶けて水になってしまう。それが少しだけ切なくて、凛とした冬の空気に身震いした俺は、一抹の寂しさを覚えながらも窓を閉めた。





暖房をつけていても寒い屯所の自室で俺は書類整理に追われている。
この二日間の雪のせいで車を走らすことは勿論、歩くこともままならなず、今日の日中は隊士総出で雪かきをしていた。そして処理出来なかった書類を今やっていると言うわけだ。

「……ふぅ」

俺は残り少なくなった書類に目をやり溜め息を吐くと文字の読み過ぎで疲れを訴える目頭を軽く揉む。
残った書類は明日でも十分間に合うものばかりだ。
ふと机の上のデジタル時計に目をやれば深夜の一時を過ぎていて日付が変わってしまっている。

もうこんな時間か。

俺は筆を置き、残った書類を引き出しに入れると雪を眺めるために少しだけ開けていた障子を閉めた。
既に敷いてあった布団に潜り込めば、疲れた身体にはすぐに睡魔が襲ってきて、目を閉じた俺の意識は段々と薄らいでいった。





雪が屋根に当たる音がする。
俺は枕元に近づく気配に目を覚ました。屯所はまだ静まり返っていて、朝が訪れていないことを物語っている。

まだ意識が朦朧としているせいか、身体が金縛りにあったように動かない。
枕元にあった気配が足元に移動して、段々と這い上がってくる。
俺は動かない身体のまま、言い知れぬ恐怖に目を閉じることも出来ずに這い上がってくる何かを凝視した。

「………お、に…?」

俺の目には白い鬼……夜叉が映っていた。
怖い、その感情しかない。
お化けとか幽霊とかそう言った類の恐怖ではなく、その鬼の発するオーラにただ単に身体が竦んでしまっていた。

「……………」
「…やっ、…やだ!…やめ、……」

いつの間にか腕を抑えられ、腰を跨られた俺は唯一自由になる首をぶんぶんと振り乱す。
しかし俺のささやかな抵抗など物ともしない鬼は掴んだ腕に力を込め、何を考えたのかその形相を近付けてきた。

「…ふ、ふぇ…ぅ…お、おれなんて…食っても、うまく…ない、ぞ…!」

尖った八重歯、吊り上がった目。
間違いない、こいつは俺を食う気なんだ。

「…………え?」
「…ぇぐ…おれは、たばこ…いっぱい吸ってるし!……まよねーず、いっぱいだから…ぅ…ぐす」
「………ッ…ふ、くく…………で、でもお前は美味そうだな……げへへ」
「…ふ、ふえぇ……う、うまくねぇもん…うぅ〜……」
「…ふ、…くはは!…も、もう駄目だ…ッふ、…腹いてぇ…!」

突然笑い出した鬼に俺はキョトンと涙で霞む瞳を点にした。
鬼の顔に伸びる白い手、その下から現れたのは……

「……ぎん、とき?」
「悪い子は食べちゃうぞ?」

ニヤリと笑った顔は焦がれていたもので、安堵した俺は瞳から大粒の涙を零してその首に必死ですがりついた。
銀時はしゃくりあげながら子供のように泣きじゃくる俺の頭を撫でてから前髪を掻き分けると露わになった額に軽くキスを落とす。

「……う、うえぇ…ぎん…ぎんとき……!」
「おー、よしよし。怖かったね、苛めてごめんね?」
「…ふ、ぅ…ひっく…おれ、たべられちゃうかと…思っ…た…!…ぐす」
「うーん、まあ俺も別の意味で喰うつもりだったんだけどね」
「…ん、…なに?」
「…ふふ、何でもねぇよ。もう眠いんだろ?このまま寝ちゃいな…」
「……ん」

暖かい腕に包まれて俺の意識は再び睡魔に消えていった。






バタバタと忙しない音に目を覚ました俺は障子の間から零れる朝日に目を細めた。

むくりと身体を起こしてみても銀時の姿はなく、俺が見たのは夢か幻だったのだろうかと溜め息を吐く。
自分のあまりの乙女思考に鳥肌を立て、今の時刻を確認しようと携帯に手を伸ばすと障子がサッと開き、何か言ってから入れと言おうとした俺はそこに現れた人物に目を見開いた。

「あ、起きた?もう昼だよ」
「…銀時………って、昼!?…仕事が…!」
「お前は今日休みだよ」
「は?」
「朝起きたらお前があんまり気持ちよさそうに寝てるからさぁ、ゴリラにもう少しだけ寝かせてやってくれねぇかって言いに行ったんだよ…そしたら今日は雪で大した仕事も出来ないし、トシか熟睡するのも珍しいから今日は休みでいいってさ」
「…いや、よくねぇだろ」
「いつも頑張ってる副長さんにご褒美だよ。着替えたら一緒に豆まきしようぜ」
「はあ?豆まきぃ…?」
「そう、鬼にも福が来るようにね」

そう言って笑った銀時の後ろには一面の銀世界が広がっていて、その白に銀時が呑み込まれてしまいそうで思わず風に靡く着流しの裾をぎゅっと握った。

「ん?どした?」
「……もうすこし」
「ん?」
「豆まきは後でやる。だからもう少し……」

不思議そうな顔をする銀時の着流しの裾を引っ張れば、ぼふっと音を起てて俺と布団の上に転がり落ちる。
それにクスクスと面白そうに笑った銀時は未だに布団の中にいる俺を布団ごとぎゅっと抱きしめた。

「なに、甘えんぼ?」
「……うるせぇ、鬼にも福が来るんだろ?」
「銀さんは福ですか」
「…ん、だからもう少し…」

銀時を布団の中に引きずり込んですり寄れば、すぐに抱き締められて冷えた身体に熱が染み渡る。

「もう少し寝たら、白い鬼にも福をちょーだいね?」
「お前の福って?」

ニヤリと妖しげな笑みを浮かべた銀時の唇が耳元に近づき、耳たぶを甘噛みされる。フゥッと熱い息を掛けられ、顔中真っ赤に染め上げた俺に更なる追い打ちが掛かった。

「決まってるじゃん。お ま え」

耳元から唇が離れる気配がして、酷い羞恥に顔を上げることの出来ない俺は仕方なく銀時の胸に顔を埋めて、悔し紛れに額をグリグリと擦り付ける。


「今度こそ本当にお前を喰っちゃうから」


回された腕にぎゅっと力を込められて心底楽しそうに告げられた言葉に、俺は了承の意味を込めて白い胸板に口付け、紅い花を散らした。


胸に咲いた所有印と白銀の世界に咲く庭の椿が重なって見えて、俺は温かい腕の中、一人笑みを零した。





end






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