side銀八

日が落ちる時間が日に日に早くなり、冬の匂いが濃くなる十一月下旬。
テスト期間前の昇降口、誰もいない筈のこの場に独りの生徒が佇んでいた。

俺の受け持つZ組でも秀でて整った顔をしているその生徒は己のクラスのげた箱の前に立ち尽くしている。
靴を取る気配もなく、ましてや帰る気配もない。その様子を傍観している俺の気配にも全く気付く様子はない。

土方十四郎は欠点のない至って真面目な生徒だ。頭脳明晰、眉目秀麗、その上剣道部副主席、まるで非の打ち所がない。
少し口が悪いことを除けば生徒の模範と言っても過言ではないような完璧くんだ。

そんな彼がこんな時間にこんな場所で一体何をしているのか興味があった。
一挙一動見逃すものかと目を凝らせば、男にしては白く整った指先が動く。

近藤勲

決して格好いいとは言えないがその屈託のない性格から生徒からの信頼も厚い彼の友人。
今時珍しい木製のげた箱に、ボールペンで掘られた汚い文字。その隣にある落書きだらけのネームプレート。
小さく震える白い指先がその二つを愛おしそうに撫でる様に目を見張った。
本当に“愛おしそう”に撫でるから。

「土方君ってさぁ、ホモだったの?」
「…ッ…せんせ、い…?」

突然現れ声を掛けられた土方君の肩がビクリと震え、俺を映す真っ黒な瞳が揺れた。

胸の奥をじわじわと浸食していくこの感覚、脅える土方君に高ぶる加虐心。

ああ、これは嫉妬か。





人を好きになるというのはこんなにも醜くどろどろとしたものだったのか。
今まで付き合ってきた女たちを愛していなかった訳じゃない。皆それぞれにいいところが有ったし、柔らかくて温かい身体が好きだった。
ただ俺はそれを恋だと勘違いしていた。否、あの時は確かに恋だと思っていたのだろう。
今この瞬間、この一途で無垢な子供に出会うまでは。

温かくて優しいなんて、とんだきれいごとだ。

泣き叫ぶ声、絶望に濡れた瞳。
確かに土方は感じていたのに、思い出すのは泣き顔ばかりで。
俺は、人として最低な事をした。



side土方

突然現れた担任に俺は目を見張った。
誰もいないものだと思って気が緩んでいたからかも知れない。
それより、目の前で口を歪めるこの教師は今何と言ったのだろうか。

「近藤が、好き?」
「…ッ……」

ビクリと震える身体は正直なもので、視線を剃らした俺の頬を担任はスルリと一撫でして固まる身体をげた箱に押し付けた。

「…いたっ」
「明日の放課後、国語科準備室な」
「え?」

なんで、と続けようとした俺は銀八の無言の圧力に口を噤む。
普段よく言えば温厚、悪く言えばやる気のないこの教師の瞳はどこかギラギラと輝いていて、俺は言いようのない恐怖に唇を噛んだ。

「黙ってて欲しいんだろ?今の関係壊したくねぇもんなぁ?」
「ッ、なにを…!」
「完璧なお前が実はホモで親友オカズにシコシコやってるなんて知ったら、みんなどう思うだろうね?」
「…あんた、それでも教師か」

悔しさに滲んだ涙で少し上にある瞳を睨みつければ少し驚いたように見開いた瞳はしかし、直ぐに細められ獰猛な肉食獣のそれにかわる。

「いいねぇ、その瞳」
「テメェ、」
「いい子な土方君は先生の言ってること分かるよね?」
「…クソ野郎が!」
「ふふ、ほら暗くなってきたし今日はもう帰んな。さようなら、土方君」

そう言ってひらひらと手を振りながら白衣を翻し去っていく銀八を視線で追い、その姿が視界から消えたのを確認したと同時にずるずるとその場にしゃがみ込む。
傷だらけのげた箱を撫でていた指先は震えていた。





国語科準備室の扉の前で茫然と立ち尽くす。これ程この扉を重く感じたことはない。
今までだって何度もこの扉を開けてきた。提出物や日誌を届けに行くときも、委員会の仕事の時も。
その上銀八は剣道部の顧問だから普段は頼りないあの人の代わりに何度もこの扉を開けた。つまらなそうで気だるそうで、でもやらなければいけないことはキチンとこなすあの教師が俺は嫌いでは無かった。
頭の悪いZ組の連中の為に毎日一問課題を出しているのだって、あいつらは文句言うけど毎日全員分のノートをチェックする銀八の方が余程大変だろう。
部活の模擬試合だって、だりぃ面倒くせぇと言いながら何時も真剣に相手しているのを知っている。

分かっているんだ。

あの虚無感は俺の性癖を馬鹿にされたからではないことを。確かに少しは悲しかったけれど、それは俺が銀八を信用していたからだ。

裏切られた、そう思ったからだ。

「失礼します」

あんなに重く感じた扉は少し力を入れれば簡単に開いてしまって、笑顔で近づく銀八が鍵を掛ける音が脳内に響き渡るのを絶望と共に聞いていた。





「ぅ、あ…い…ッ…!」

大して慣らしもせずに突っ込まれた後孔に堅いペニスが擦れる。
出入りを繰り返すペニスに擦り上げられる後孔はただただ熱くて痛みに流れる汗が剥き出しの背筋を伝った。

「痛い?」
「…ッ、…さっさと…終わらせろ…!…これで、満足なんだろ…!?」
「…満足?」
「クソ…!…なんで、……なんであんたが…!…っく…、う…ぅ」
「………」

腰の動きを止めた銀八を不思議に思い見上げれば眉を寄せて苦しそうな顔をしている。

もしかして銀八も痛いのだろうか。

そりゃそうだ。
未開通の後孔に潤滑液も使わず突っ込めば痛いに決まってる。

「土方にも気持ちよくなって貰わなきゃ困る」
「意味、わかんねぇよ。テメェだって痛てぇ癖に」
「確かに痛いよ。でも………」
「あ?」
「…何でもねー」

苦虫を噛み潰したような顔をした銀八が再び腰を降り始める。

早く終わればいい。
目を瞑りそう願いながらピリピリとした痛みに眉を寄せていた俺の身体に電流が走った。

「……ひっ…!?」
「え、なに?ここ?」
「ぁ…っ…やめ、…やめろ!」

ある一点を突かれた瞬間に身体中を駆け抜けた快感。
今まで感じたことのない凄まじい感覚に見開いた瞳から涙が伝う。

「よかった。これで一緒に気持ちよくなれる」

涙の筋を伝って来た銀八の白い指先が目尻に溜まった涙を拭いとる。
そのまま両頬を包まれて視線を上へやれば嬉しそうな、困ったような、だけどとても苦しそうな顔で俺を見つめる銀八と目が合い、俺はどうすればいいのか分からなかった。

「なんで、」
「ん?」
「なんであんたが、そんな顔するんだ」

そんな、泣きそうな。

泣きたいのはこっちの方だ。
なのに、そんな顔されたら何も言えないじゃないか。
今更そんな顔、狡いだろ。
だって俺は、その瞳の理由を知っている。自分がずっとそうだったからだ。

愛しくて愛しくてでも苦しい、泣きたいくらいに。

「ひじかた、ごめん」

近づく唇は生温い吐息だけを残し、触れる寸前で離れていった。

狡い、気づかせるな。
その瞳で見つめられたら、俺は拒むことが出来ない。

「…ぅあ!…あっ…ふ…」
「ひじかた、ひじかた…!」
「あ、…ああっ…!」
「ッ、ク…ごめん、…ごめんな…」

やめろ、そんな声で俺の名前を呼ぶな。

「あぅ…あ…あ!…やだ…!」
「…は、…はぁ…く、…」
「い、いやだ…やめ、…ぁ、…あああ!」


「好きになって、ごめんね」

俺は達すると同時に内壁が熱に満たされるのを感じ、意識が薄らぐ中、一番聞きたくない言葉を聞いた。


side銀八


手の中の封筒の軽さに笑ってしまう。
こんなもんで終わっちまうなんて、呆気ないものだ。

「ババァ、これ宜しく」
「ああん?………なんだいこりゃ」
「見ての通り」
「そうかい、」

何時もは五月蝿いババァがなにも言わないことに若干驚きながらも感謝する。
あいつらの面倒を最後まで見てやれないのは心残りだが、このまま何も無かったようにあいつと接するなんて俺には出来ない。

土方はあの時あったことを誰にも話さなかったようだ。
俺は責められる覚悟も辞める覚悟も出来ていたのに、土方はそれをしなかった。それどころか今まで通り、何一つ変わらない。
日直なら日誌を届けに来るし、部活のことで相談しに来たりもする。
そんな土方の態度に初めは驚きもしたが、それが土方が選んだ答えならと俺も今まで通りに接したつもりだ。
最低だが教師としては喜ぶべきなんだろう。
けど俺はそんな土方の態度が悲しかった。土方はあの日あった出来事を無かったことにしたんだ。
よく出来た、大人の選択だと思う。俺の方がよっぽど子供だ、図々しいにも程がある。

あんなことをしておいて、忘れて欲しくないなんて。

「あ!ぎんぱっつぁん!」

他の教師の不躾な視線を感じながら職員室の扉を開けた俺の目の前に屈託のない笑みを浮かべた男が立ちはだかる。

「おう、どうした?」
「……これ今日の日誌!もう帰んのか?」
「準備室寄ってからな」
「じゃあ丁度良かった!トシがな、話があるから準備室で待ってるって伝えてくれって」
「あー…わりぃ、用事出来ちまったから行けねぇって伝えてくれるか?」
「急に!?じゃあ日誌だけチェックしちゃってくれよ」
「仕方ねぇな……ってオメー相変わらず汚ねぇ字だな…」

枠一杯に書かれた歪な字に苦笑する。
書かれていることと言えば同じクラスの志村妙のことばかりで、俺は溜め息を吐きながら何気なく日誌を捲っていった。

「お前お妙のことばっかじゃねぇ、か……」
「ぎんぱっつぁん?」

達筆で神経質そうな字、一日の出来事が事細かに記されているそのページは土方が書いたもので、近藤が呼んでいる声なんか全く耳に届かなかった俺は肩を掴まれて漸く我に返った。

「大丈夫か?なんか具合悪そうだぞ?」
「あ、ああ…悪りぃ」
「あのさ、さっきの話……」
「あ?なんだ…聞いてたのか」
「なんで、急に?」
「んな顔すんなって。何もねーよ」
「でも…」
「悪いな、急ぐから」

うなだれ涙を浮かべる近藤はゴツくて全然可愛くなんかないけれど、確かに俺の可愛い生徒の一人で、今なら土方がこいつに惹かれた理由が分かる。

だけど、こんなにいい奴にドロドロと醜い感情を抱いてしまう自分が酷く汚いもののような気がしてならなかった。


side土方


何時からだろう、視線が交わらなくなったのは。

あの日、俺が目を覚ますと身体は清められ服も着た状態で国語科準備室のソファーに寝かされていた。銀八の姿はなく、準備室の鍵だけがテーブルの上にぽつんと佇んでいた。

「呆気ねぇな」

好きだと言われた。
けど銀八はきっと伝える気など無かったんじゃないかと思う。俺自身がそうだからだ。
伝える気が無かったのなら俺に出来ることはただ一つ、今まで通りに接することだけだろう。それがせめてもの情けだと思った。

しかし、それから銀八は俺を見なくなった。

会話は普通に今まで通りに交わされているのに視線が交わることはない。
あの時微かに潤んだ瞳に俺は映らない。
俺は普段通りに過ごしているのに、銀八だってそれを望んでいる筈なのに。

いつしか俺は銀八を目で追うのが癖になっていた。
授業中も廊下ですれ違う時も、こっち向けと念じながらひたすらあの瞳が俺を映すのを待った。

しかし何時まで経ってもあの瞳が俺を映すことはない。その上最近は授業中以外で銀八に会った記憶がない。
避けられている。
そう気付いたのは大分時間が経ってからだった。それと同時にこみ上げる怒りと苦しみ。

勝手に好きだと告げて、勝手に傷ついて。

ふざけるなと一言いいたかった。このままなんて絶対に嫌だ。

幸運にも日直だった近藤さんを手伝い、日誌を届けるという近藤さんに国語科準備室で待っていると伝えてくれと頼んだ。

しかし待てど暮らせど銀八は現れなくて、ガラリと開いた戸に顔を上げれば赤い目をした近藤が俯きがちに立っていた。

「近藤さん?」
「銀ぱっつぁん、用事出来たから行けないって」
「…そうか。で、あんたはなんでそんな顔してんだ?」

自然と近藤さんの頬に手を当てた自分に驚いた。
近藤さんに対する気持ちを自覚したのは高校に上がってからだ。
それからは怪しまれない程度に適度な距離を保ってきた。この人の屈託のない笑顔に近づけばドキドキと高鳴る胸の鼓動を抑えることが出来なかった筈なのに、今はどうだろう。
こんなにも自然に触れることが出来る。

「………」
「……トシ?」
「あ、ああ。なに?」
「お前変わったよな。前はそんな優しい顔で笑わなかったし」
「俺そんな顔してんのか?」
「柔らかくなったよ」

そう言って微笑み返す近藤さんに笑みを深める。それに驚いた顔をした近藤さんの顔にはまた直ぐに陰りが出来て、俺は一体どうしたのだろうと首を傾げた。

「ぎんぱっつぁん、学校辞めるらしいんだ。職員室行った時たまたま聞いちまって…」
「は?」
「急だよな…どうしたんだろ」
「……嘘だろ」
「トシ?」

辞めるだと、ふざけるのも大概にしやがれ。
勝手に傷ついて俺の前から去ろうなんて、そんなの許さない。俺たちはこのままじゃいけないんだ。

だって俺はまだなにも伝えてない。

やっと自分の気持ちの変化に気付いたというのに、冗談じゃねぇ。

「悪りぃ近藤さん、俺ちょっと用事思い出したから先帰っててくれ!」
「え、ちょ……トシ!?」

俺は近藤さんの制止する声に耳も貸さずに国語科準備室を後にした。





コーヒーの匂いが立ち込める職員室も、馴染んだ教室にも体育館にも、汗の匂いが染み付いた剣道場にも銀八の姿は無かった。

俺は荒い息を吐きながら残った最後の一つの扉を階段の踊場から睨みつけた。

崩れ掛けた立ち入り禁止の看板。
ヘアピンで容易に開いてしまうその扉の向こうに見慣れた銀髪がいることを祈る。
しかしまさか自分がこの扉を開けることになるとは思ってもみなかった。
体育館裏で素振りの練習している俺たちを顧問の銀八は何時も気だるそうに紫煙を吐き出しながら見つめ、視線が鉢合えばその瞳を細めてひらひらと手を振る。

ふざけた教師だと思った。俺はあの教師が嫌いだった。
だけどあの時、裏切られたと感じた時に俺はあの教師を信用していたのだと知った。

そして信頼から絶望、虚無へと変わり、今は。

邪魔な看板を蹴飛ばしてドアノブに手を掛ければ、それは俺を拒絶することなくくるりと回り、鉄の扉がキィと不快な音を立てて開いた。


side銀八


耳障りな音が聞こえた。
よくここで一緒にサボる坂本か服部辺りかと扉を振り向けば見慣れた黒髪が視界を霞め、遂に幻覚まで見るようになったのかと瞳を閉じる。
意を決して目を開けば先程より近づいた黒色が瞳にうっすらと涙の膜を張りながら俺を見据えていた。

「ひじ、かた」

直ぐに逸らした瞳に土方の動く気配がする。
下を見れば薄汚れた上履きが目に入り、土方との距離が大分縮まったことを示していた。

「あんた学校辞めるらしいじゃねーか」
「…ああ、聞いたのか。生徒で、しかも男を強姦するような変態が担任じゃお前も安心して学校生活送れねーだろ?」
「全くだな…ほんと…ッ、…清々する…!」
「土方?」
「…こっち、向けよ!」

グイと襟元を掴まれたと思えば眼前一杯に広がる土方の整った顔。
溜まった涙がゆらゆらと揺れ、やがて落ちたそれを合図に堰を切ったように溢れ出す。
俺がこの綺麗な生き物にこんな顔をさせているのかと思うと息が詰まって、きらきらと輝く純粋な瞳を直視することが出来ない。

「…っ、ぅ…おれを…見ろ!」

カツンと歯の当たる音がして思わず目を瞑る。痛い位に頬を包まれたと同時に唇に感じる柔らかさ。
驚いて目を開けばぎゅっと瞑った瞳の端から透明な雫が白い頬を伝い、固いアスファルトに濃い染みを作った。

「な…」
「…やっと、こっち見たな」

安心したように笑う顔は幼くて、俺は顔に熱が集まるのを感じた。

「勝手に傷ついて逃げるなんて許さねぇ。テメェはちゃんと俺の隣で罪を償いやがれ」
「…なにそれ、意味分かんねー。だってお前は、無かったことにしたかったんだろ?」

そうだ。土方はあの日あったことをなかったことのように俺に接した。だから俺は。

「…そうかもな。あんなの無しだ」
「例え無理矢理でも、俺はお前を抱いた事実を無しにはしたくない」
「なんで?」
「ああ?」
「なんで無しにしたくねぇの?」

下から、どこか面白そうに覗き込む土方の口角はつり上がっている。

「それは、」
「それは?」
「…ッ…何でもねーよ。どうだっていいだろんなこと」
「往生際の悪りぃ教師だな」
「じゃあお前は近藤に言えるのかよ」

これは土方が最も嫌がる言葉の筈だ。
この時点でもう自分の気持ちを暴露しているも同然で、俺の気持ちを分かった上で聞いてくる土方に多少の嫌みを込めて言ったつもりだった。
しかし意外にも土方は臆することなく俺の言葉を受け止めやはり可笑しそうに口元を歪めた。

「言えるぜ?」
「……大人をいたぶって楽しいですかコノヤ……」

「銀八、好き」

突然首元にするりと回ってきた腕の感触に驚き、耳元に吹き込まれた言葉に思考が停止した。

「ちょ、おま、何なの本当に!?」
「ちゃんと言ったんだからお前も言えよな」

そう言って唇を尖らせる土方の頬は赤く染まっていて、俺は益々意味が分からなくなった。

「お前が好きなのは近藤でしょ?仕返しのつもり?」
「…前は、近藤さんの側にいるだけで苦しくてドキドキして、触れることも出来なかった。でも、今日は自然と触れたんだ。自分でも驚いた。その上強姦しやがった最低教師ばっか目で追っちまうし、そいつはこっちなんて見向きもしねーし。しかもそれが悔しくて苦しくて、俺を見て欲しくて…それって、こういうことだろ?」

そういって土方は俺の胸に腕を回し、煙草の匂いが染み着いた白衣の肩に顔を埋めた。さらさらの黒髪が首筋を掠めてくすぐったい。

うっすらと紫色に染まり始めた空は太陽を隠し、吐く息は白い。

「ひじかた、っ…」
「なんだよ」
「すき、…好きだ。…すき、なんだ」
「やっと言いやがったな」

肩に埋まった頭に手を添えて、俺は土方の首筋に顔を埋めた。
温かい筈のそこもうっすらと冷たくなっていて、無性に泣きたくなった。

「…ごめ、ん…すきだ…っ…」
「なんで謝る?俺たちは順番を間違えたんだ。いくらだってやり直せる」
「…ぅ、……」
「いい年した大人が、泣くな」

そう言って笑った土方の目尻からも雫が落ちて、俺は溢れる涙をそのままに、引き寄せられるように口付けた。

「…冷たい」
「中、入ろっか」
「先生」
「ん?」
「辞表、取り消せよ」

拗ねたように尖った冷たい唇に微笑んで口付ければ握った掌の体温が上がった気がした。





二人仲良く手を繋いで誰も居ない校舎を歩く。
目的の国語科準備室が見えたところで扉の前にしゃがみこむ男がいて、俺たちは驚きに見開いた瞳を合わせた。

「近藤?」
「近藤さん?」
「…ぎんぱっつぁん…と…トシ?」

なんで一緒に居るんだと言いたげな瞳に握っていた手を離す。
するとそれは真っ先に近藤に向かって伸ばされ、俺は無意識に離したばかりの手を握りしめていた。

「え?」
「ゴリラに触ったらゴリラ菌がうつっちゃいます」
「あんたなに言っ……て!?」

そのまま土方の手を引いて腕の中に閉じ込めて、呆然としている近藤(と土方)に向かって口を開いた。

「これ、今日から俺のだから」
「な…!?」
「ええええ!?ちょっ、トシ!なんで教えてくんなかったの!?」
「え、そっち?」

土方の頬を包みこんでその瞳を覗き込む毛深い顔にムッとしながらグイグイと押して離れさせる。
呆然としていた土方が俺を振り返り呆れたように目を細めた。

「やきもち?」
「…うるせー」
「もしかしてあの時も…」

もしかしなくてもそうだ。
あの時、綺麗な指先がゴリラのげた箱なんかを本当に愛おしそうに撫でるから。

「…ばかなやつ」
「ああもう!うるせー!つーかゴリラは離れろっつってんだろ!」

可愛くないことを言いつつもうっすらピンク色に染まった耳が黒髪の合間から見え隠れする。
抱きしめる俺の胸に体重を預けてくる土方に内心ドキドキしながら俺はゴリラの攻撃を阻止した。

土方が楽しそうに笑う。
その瞳に今映っているのは近藤ではなく俺だ。


にやける口元は、どうやら隠せそうにない。


「ひじかた」
「…なんだよ」
「今日俺んちで仕切り直し、ね?」
「!!」


END



「ははは、大切な子置いて行けねぇからな!」
「なんか凄いむかつくんですけど」
「…ぎんぱちっ!」
「え、ちょ、トシィィィィイイ!?」
「ははは、家まで我慢できないのかコイツ☆」
「…うん」
「ちょ、可愛いいいい!」
「うん、じゃないでしょトシ!?めっ!」
「…ぅ、…ぎんぱち…このゴリラさんこわい…」
「かー、ぺっぺ!しっしっ!ゴリラはあっちへお行き!」
「近藤さん、動物園に帰れないのか?俺新聞屋さんから貰ったチケットが…」
「じゃあ今度の日曜先生と行こっか?」
「…はい!」
「……………」


終!




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