事務所にやって来た依頼主はスーツに身を包んだ若い女性だった。ナオミちゃんの後ろで彼女を見ていると、隣にいた太宰が気付けば女性の前に行き、手を握っていた。


「睡蓮の花の如き、果敢なくそして可憐なお嬢さんだ」


よくもまあ、そんな臭い台詞が口から出てくるもんだ。けれど皆それに気を取られているらしい。誰一人、太宰の左手の行方は見ていない。


「どうか私と心中していただけないだろ――」


太宰の言葉は、国木田君によってそこで途切れた。襟元を掴まれ事務所から追い出される姿を見る。すると太宰はこっそりウインクをした。矢張り、確信犯だ。

彼女曰く、勤める会社のビルヂングの裏に"善からぬ輩"が屯っているらしい。果たして彼女の話が本当だろうか。など、私の疑問を此処で投げ掛けたって素直に答える筈がない。

彼女の話を聞き密輸業者だと結論付けた国木田君は、この依頼を敦君に任せることにしたらしい。谷崎君とナオミちゃんも一緒に行くそうだ。可哀想なぐらい、敦君はカチコチになっていた。


「おい小僧」敦君にそう呼びかけた国木田君は敦君に一枚の写真を見せた。私は太宰とそれを覗き込む。「この人は?」その疑問に答えたのは太宰で、一言「マフィアだよ」と伝えた。


「港を縄張りにする凶悪なポート・マフィアの狗だ。名は芥川――」


分かってはいるけれど、凄い言われようである。それもこれもコイツのせいなのだけれど。太宰に視線を動かせば、変わらず笑みを貼り付けていた。





「俺が掃除をしている最中に菓子を食うな、苗字!」
「いいじゃんいいじゃん。新人の初任務の門出を祝ってるの」
「使い方が間違っている!それに太宰!邪魔だ!」


国木田君は相変わらず自分の理想と向き合っているらしい。太宰の自殺嗜好について文句を言うけれど、私からしたら理想狂な国木田君も国木田君である。イコール同類だ。

友人から貰った小説の続きを読む。この本も一体どれくらい読み返しただろうか。丁度物語も佳境に入ったとき太宰の瞳が大きく開いた。私は栞を挟み、椅子から立ち上がる。


「さぁ、一仕事だよ」


太宰のその一声に、私は大きく溜息を吐いた。嗚呼、また面倒事だ。そしてきっと、かつての部下が関わっている――考えればまた溜息が溢れた。





「はぁーい、そこまでー」


その場には似合わない殺伐とした雰囲気に、太宰の間延びした声が響いた。太宰の異能力によって人の姿に戻った敦君が、地面に倒れ込む前に支える。


「貴方方、探偵社の――!何故ここに!」


髪型は変わっているが、先程依頼に来た女性の声がビル裏に響いた。私達を知らないという事は、新しい子なのだろう。しかし、部下が出来たなんて、"この子"も偉くなったものだ。


「では、最初から――私の計画を見抜いて」
「そゆこと」


この場で、にっこりという言葉がぴったりな表情を見せる太宰は本当に性格が悪いと思う。私がそんな事を考えているのも知らず、太宰は私にもたれ掛かった敦君を一叩きした。


「ま、待ちなさい!生きて返す訳には…、」


女性の声の後、聞こえたのは低い笑い声。さっきまで黙っていた彼がやっと口を開く。「止めろ樋口。お前では勝てぬ」その声に樋口と呼ばれた彼女は強く反論する。


「太宰さん、苗字さん。今回は退きましょう。しかし、人虎の首は必ず僕らマフィアが頂く」
「なんで?」


その疑問は最もだ。敦君の首を持って行った所で、一体どんな価値があるのだろう。と思えば闇市で七十億の懸賞金が懸かっているとの事だ。そりゃあ、敦君の首が欲しくなるのが分かる。


「探偵社にはいずれまた伺います。その時、素直に七十億を渡すなら善し。渡さぬなら――」
「戦争かい?探偵社と?良いねぇ、元気で」


そこまでの太宰の声は至って真面目に、いや、人を小馬鹿にしたような口調であった。けれど、がらり、と雰囲気が一転とした。ざわり、鳥肌が立つ。嗚呼、この感覚は懐かしい。


「やってみ給えよ――やれるものなら」


太宰の冷たい瞳が彼を貫く。そして彼も然り。しかしその言葉に噛み付いたのは樋口さんであった。一生懸命説明してくれているのは有難いけれど、その情報は私達にとって当たり前の事ばかりである。


「外の誰より貴方方はそれを悉知している――元マフィアの太宰さん、苗字さん」


私は目の前の彼――かつての仲間であり、部下であった芥川に笑みを見せた。


2018/03/30
 
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