小説 | ナノ


いや、流石に何かの冗談でしょ。私はそう思いながら目の前の人物を見る。ぎょっ、とした私とは裏腹に、彼は表情一つ変えなかった。「バーボンです。よろしくお願いします」綺麗な顔をした彼はバーボンと名乗った。

最近、組織の女性陣がバーボンがイケメンだとか何だとかって騒いでたけど、まさかこいつの事だったのか。痛くなった頭を押さえていると「大丈夫ですか?」そう言って優しく声を掛けてきた。胡散臭いなあ、なんて思いながら私も笑みを返す。


「当分の間はバーボンと組んでもらう」
「え!なんで!?」
「ベルモットの野郎が用事があるからアメリカに行ってんだよ。その穴埋めがお前だ」


ジンの突拍子の無い言葉には慣れていると思っていたけれど、正直今回だけは本当に最悪だと思った。バーボンはにこにこにこにこ阿呆みたいな顔を晒して「一匹狼で有名な貴女とご一緒出来るなんて幸運です」なんて頭のおかしい事をぬかしてやがった。


「早速だが、お前らにこいつを始末してもらおう」
「あれ?この人、先月殺した人の弟だっけ?」
「そうだ。…後は頼んだぞ」


ジンはそう言うと私の頭に手を乗せた。「はーい」と返事をすれば「もっと賢い返事をしろ」と言われたけれど、もうそれにも慣れているから気にする必要は無い。私をじっと見るバーボンに「作戦会議。私の車」それだけ言い放った。





僅かに響くモーター音だけが車内のBGMだ。私は黙ってハンドルを握り、その隣に座っているバーボンもただ静かにそこにいる。どちらかが口を開くまで、この状況が続くのだろう。

車を止めたのは動き出してから三十分ほど経ってからだ。辿り着いたのは、静かに波が打ち付けられる人気の無い海岸。駐車場には車が一台も無く、不気味な程にひっそりとしていた。車のエンジンを切れば、灯台の光で薄暗く車内が照らされる。


「潜入捜査ですか、降谷君」


一度見たら忘れる事の出来ない、恐ろしい程に整った容姿。バーボンもとい、降谷零は垂れた瞳で強く私を睨みつけた。しかしながら、そんな事でめげるほどメンタルは弱くない。にっこりと笑って見せれば、薄く整った唇がゆっくりと開いた。


「まさか久しぶりの再会が組織でとはな――苗字」
「それはこっちの台詞。ところで煙草吸ってもいい?」
「勝手にしろ」


その言葉を聞き、私はポケットから煙草を取り出す。一応窓も開けようと思ったのは私の良心だ。此処なら聞く人もいない。それに"聞かれたとしても"安全だ。ライターで火をつければ、それは蛍のように光った。


「っ、その香り…」
「あー、これ?ライと一緒。…それとも赤井秀一って言った方が良い?」


ニンマリ笑って彼に言えば、それはそれは恐ろしい表情をした。どんな顔をして私を見たって構わないけど、そんな事をしたって赤井が出てくる訳ではない。ふぅ、と煙を吐く。それと同時に「まさかお前が噂の"ジンの愛犬"だとはな」と言うので、思わず勢いよく煙草を灰皿に押し潰した。


「その言い方嫌いだから止めてくれる?」
「では他に何と呼べと?あれだけ幹部に寵愛されている癖に、コードネームが無いとは」
「そんなのあっても無くてもどうでもいいじゃん」


もう煙草を吸う気にはなれない。ハンドルに覆いかぶさるようにして身を預ける。見上げれば馬鹿みたいな星空が広がっていた。これが恋人同士なら今頃甘い空気が流れていたのだろうけど、私達にはそれはなり得ない状況だ。


「それにしても次々にノックが出て来られると、組織の威厳に関わるから殺してもいい?」
「頭が狂っているな。それなら此処で俺が殺してやろう」


カチャリ、冷たい拳銃が額に当てられた。降谷君をじっと見れば、降参と言わんばかりに大きな溜息を吐いた。最初から撃つ気がないのなら、格好つけて脅し文句言わなくてもいいのに。


「警察学校の時はもうちょいスマートな性格だったのに、何でそんなに捻くれたの?職場環境が悪いの?」
「それはお前もだろう」
「あー、公安怖。日本は社畜大国だから、降谷君みたいにみんな捻くれるのかな」
「…お前は今何をしている」
「え?組織に入って人を殺してる」


そう言うと、勢い良く胸倉を掴まれた。その力加減は女に対するものではない。苦しくなる程までに襟元を持ち上げられ、私は両手を上げる。するとまるで壁に打ち付けるかのように、その手は離された。


「別に降谷君がノックだろうが何だろうがどうでもいいけど、私の邪魔だけはしないでね」
「邪魔?人殺しのか?」
「…どんな思いでここ迄上り詰めたか知らない人は少し黙ってて」


彼に対し、怒りがある訳では無い。失望している訳でもない。お互いが今居る環境が違うのだから、それぞれ異なる考えを持つのは至って普通の事だ。そう、だから怒りなんてチンケな感情は持ってはいけないのだ。

その時、携帯の着信音が鳴り響いた。それは私のジャケットの内ポケットからだった。暗いこの場ではスマホの液晶画面の光は恐ろしく眩しい。そして見事なまでに硝子に反射する。


「はい、苗字です」


それは短い電話だった。数秒後には通話を切り、またジャケットの中へと戻す。「苗字…今の電話の相手は誰だ」聞いたことのない位、低い声が車内に響いた。灯台の光に照らされた彼の顔には、怒りのみが込められている。


「…わざと俺に見せたのか?」
「何の事?」
「最低な女だな…っ!」


そう言うと私のジャケットを乱暴に掴んだ。目的は分かっている。先程のスマホだ。その手を掴む。今の彼は感情的になり過ぎて、隙が多すぎる。意図も簡単に、その手は捻じ伏せられた。


「だから言ったでしょ。邪魔しないで、って」


着信音が鳴り響く。相変わらず全てを見透かしている人だ。降谷君の手首を掴んだまま、私は空いているもう一方の手でスマホを取り出した。


「私はジンの愛犬じゃなくて、貴方の大嫌いな人の愛犬かもね」


蒼い瞳には液晶の画面が鏡のように映されている。みるみると固まっていく表情と対するかのように、掴んでいる手首に力が入っていくのが判る。思い切り歯を噛みしめる彼の表情は面白くて仕方がなかった。


2018/04/30
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