小説 | ナノ


もし、神様が本当にこの世に存在するのなら、今の私は毎晩夜空に向かってお願いするばかりの女では無かったと思う。

今どこにいるか分からない恋人の帰りを、一人広いマンションで待つ。スマホを見ても連絡は無し。生きているかすら分からない。――いや、死んだ、らしい。車の爆発により跡形も無くなった私の恋人は、知らないうちに天国に旅立ったそうだ。

あくまでもこれは恋人の同僚に聞いた話であり、私は彼の遺体とは出会っていない。出会う勇気が無かったのだ。話を聞くに、彼は右腕しか残っていなかったらしい。そんな状態の彼を見た所で本人か分からないし、本人であっても認めたくないのが本音だ。

残っていたのが左手なら、嫌でも彼だと認めなくてはいけなかったのだろう。自分の左手を夜空にかざせば、小さなダイヤモンドがきらりと光る。これと同じ指輪が、彼の左手薬指でも輝いていたのだから。





『名前さんに紹介したい人がいるんだ』スマホに届いたのは、彼の紹介で知り合った小さな友人からのメールだった。私はそれに一言返事をする。するとすぐに『じゃあ、明日ね!』と返信が来た。

小さな友人――江戸川コナン君はとても不思議な子だ。彼に紹介され初めて会った日、コナン君はすぐ私の職業を言い当てた。どうやらシャーロック・ホームズが好きだそうで、自分の推理力を試してると言っていた。もしそうだとしても私は本当に驚いたし、その表情の私を見て、彼は口に手を当て笑っていた。彼の仕事上、そっちの関係者かと思ってしまったのだ。

仕事帰りの夕方、コナン君に指定された喫茶店ポアロに向かう。此処のサンドイッチが美味しいと噂で聞いたことがあるが、私は初めて訪れた。扉を開けるととても感じの良い男性の店員さんがやって来た。


「いらっしゃいませ。お一人ですか?」
「いえ、待ち合わせをしていまして、」
「あ、名前さーん!こっちだよ!」


店内にはぽつりぽつりと人が居た。その中で元気な声が聞こえた。声がした方を見ると、コナン君が小さな手を一生懸命に振りながら私を呼んでいた。


「彼と待ち合わせをしているのは貴女でしたか」
「コナン君と仲が良いんですか?」
「えぇ…。それでは後ほどお冷やをお持ちしますので、お席へどうぞ」


まるでお姫様を案内するように、彼はとても丁寧だった。きっと誰にでもこうなのだろうけど、気恥ずかしくなる。コナン君のいる席へ向かえば、一人、男性が座っていた。さっきは丁度柱の影になり気付かなかった。


「名前さん、お仕事お疲れさま!」
「コナン君も学校お疲れ様。彼が私に紹介したい人?」
「うん、そうだよ!」
「初めまして。沖矢昴と申します」


そう名乗った彼は人の良さそうな笑みを浮かべた。沖矢さんは大学院生らしく、住んでいたアパートが火事で無くなり、なんやかんやあり現在はあの工藤さんの家に居候しているらしい。工藤さんって本当に存在しているんだね、と言えば何故かコナン君が困ったように笑っていた。


「工藤さん一家って雲の上の存在というか…お会いした事が無いし、テレビや新聞でしか見たことが無いからあまり実感が沸かなくて」
「意外と身近にいるかもしれませんよ」
「そういうものですか?」
「えぇ、そういうものです」


細い目をさらに細め、沖矢さんは言った。ストレートで院生なら私よりいくつか年齢が下の筈なのに、目の前の彼はどう見ても年上か同い年位に見えた。かと思えば彼は博士課程の二十七歳だそうで、この落ち着き具合にも納得がいった。


「ご注文はお決まりですか?」


先ほどの店員さんが注文を取りに来た。テーブルにはいつの間にかお冷やが置かれていて、それに気付かないくらいに話に夢中になっていたようだ。


「僕はオレンジジュース!」
「紅茶を、ホットでお願いします」
「私はコーヒーを」


すると店員さんは相変わらず柔和な笑顔を零しながら、キッチンへと戻って行った。格好良い人だな、と思っていた心の声が漏れたようで「え!?」とそれを聞いたコナン君が何故か慌てていた。


「苗字さんはああいった方が好みで?」
「いえ、そういう訳ではないのですが、世間一般的に一番モテそうな雰囲気の方ですよね」
「…苗字さんはどういった男性が好みなんですか?」


然程広げるような話題だっただろうか。疑問に思いながらも「私はもう少し年齢が上の、大人な男性が好きです」と言えば、沖矢さんの瞳が優しく弧を描いた。その瞳がまるで愛しい人を見るかのように優しく、何だかとてもむず痒い。


「それは残念です」
「え?」
「ご注文をお持ちしました。…貴女のような綺麗な方に好かれる男性は幸せ者ですね」


飲み物が入った食器を小さな音を立ててテーブルに置く。「安室透と申します。此処でアルバイトをしながら探偵をしています」彼はそう言うと、サンドイッチが乗ったお皿を私の目の前に置いた。


「僕からのお近付きの印です」
「これ、美味しいって噂の?良いんですか?」
「ええ。宜しければ召し上がって下さい」


安室さんが見せる、その笑顔は完璧過ぎる。思わず赤くなった頬を隠すようにして、私は紅茶を口に含む。そして安室さんは笑顔を崩さないまま、キッチンへと姿を消した。目の前に座る沖矢さんからの視線が痛いほど突き刺さる。ちらりと彼を見れば、眼鏡越しに微笑んだ。


「そ、それでコナン君は何で私を沖矢さんに紹介しようと思ったの?」
「え?えーっとね、」
「私が頼んだんです」


沖矢さんはそう言い、コーヒーを一口口に含んだ。ほんのりと苦い香りがこちらまで漂う。彼が姿を消してから避けていたその香りに胸が締めつけられた。勝手に目の前から消えたくせに、側から離れようとはしないみたいだ。相変わらず自分勝手な人だと、笑いが零れそうになった。


「以前、街で苗字さんを見かけた事がありまして。とても素敵な方だと思いコナン君に話したら知り合いだというもので…」


そこまで言うと沖矢さんは、自分の左手の薬指に触れた。そして「でもどうやら、特定の相手がいるようですね」と眉を寄せて呟いた。私は指輪に触れ、小さく頷く。


「ご結婚されているんですか?」
「いえ、恋人です」
「…貴女にそんな愛しそうな表情をさせる相手に嫉妬をしますね」
「沖矢さんはお口が上手ですね」


彼がいなくなった今も恋人、と言っていいのか分からない。けれど私の気持ちはこれから先も彼――秀一から離れる事は無い。それだけは言い切れる。

すると沖矢さんは「冗談、と思われているならそれは間違いですよ」そう言い、私の両手を、大きな掌で包んだ。突然の事で驚き手を引こうとした。けれど思ったより強く握られていて、私の手は彼の掌の中から離れる事は出来なかった。


「苗字さんに振り向いてもらおうなんて、烏滸がましい事は思いません。だから、貴女の事を好きでいていいですか?」


眼鏡の奥から覗く瞳は初めて見た筈なのに、何故か懐かしく、胸が熱くなった。初めて触れた掌は昔から知っているような気がした。全くの別人の筈なのに、どうして彼と重ねてしまうのだろう。

私は一言返事をすれば、沖矢さんはとても優しく微笑んだ。その隣でオレンジジュースを飲むコナン君の表情は、小学生とは思えないくらい穏やかで、でも悲しげだったのがとても印象的だった。





秀一、ごめんなさい。少しの間だけ、心が癒されるまで、彼に、沖矢さんに縋ってもいいかな。全くの別人だと知っているのに、分かっているのに、何故か貴方に似ているの。それにほんのりだけれど、貴方が吸っていた煙草の香りが彼からしたの。もしかしたら彼は貴方の生まれ変わりなのかな。…なんてね。


2018/04/26
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