小説 | ナノ


ほら、また来た。少し癖のある黒髪を揺らしながら、背の高い男性は包帯だらけの手を振った。私は小さくお辞儀をすると、男性はそれが当たり前と言うかのように隣に座った。そこからはまるで私たちが友人であると錯覚してしまう位、他愛もない会話が続く。

私は彼の名前を知らない。そして彼も私の名前を知らない。それなのに彼はほぼ毎日、こうやって私の元を訪れる。何とも言い難い、不思議な関係だ。





「とても繊細で魅力的な絵だね。まるで君みたいだ」


最初の出会いはナンパのような、彼からの声掛けだった。私は美大生の端くれである。学校の課題で出された風景画。私は花が咲き誇る公園のベンチに座りながらデッサンしていた。そこに彼が話しかけてきたのが、一週間ほど前の事になる。

彼は自然な仕草で私の隣に座った。お年寄りが隣に来る事はたまにある事だから気にならないけれど、若い男性が態々座るなんて事は初めてだった。

包帯によって片方だけ隠された瞳。くしゃくしゃの髪の毛。肌が見える部分には真っ白な包帯が巻かれている。一言で言えば"不審者"。正にその単語がぴったりであった。


「ねぇ、何歳?」
「18です」
「私と同じだね!」


彼の事で知っている情報と言えばこれ位だろうか。彼が学生なのか、それとも社会人なのか、それすら知らない。彼はそこからは静かに私の隣にいた。たまに覗き込んでキャンバスを見ては小さく声を漏らしていた。

夕日が顔を出す。集中しすぎて日が落ちた事にも気付かなかった。帰ろうと思い荷物を片付ける。すると彼は「また来ていいかい?」そう聞き、私は頷いた。





キャンバスは絵の具により華やかに染め上げられていく。この絵の完成も間近だ。静かに色付をしている最中、今日も彼は静かに私の隣にいた。


「ねぇ、一目惚れってした事ある?」
「一目惚れですか?うーん、ない、かな」
「私はね、あるんだよ」
 

いやぁ、真逆この私が一目惚れするなんてねぇ。彼はそう言い、口元を手で隠し笑っていた。そういえば男性は直感で遺伝子を残したい相手を決めるから、女性よりかは一目惚れする確率が高いと聞いたことがある。この顔が整った彼に一目惚れさせる女性はどんな人なのだろうか。


「自分では結構アピールしてるつもりなのに、中々振り向いてもらえなくてね」
「それは辛いですね」
「そう思うかい?」


黒い瞳が私を映した。どくり、心臓が高鳴る。私はそれを打ち消すかのように、慌てて止まっていた手を動かした。動揺で筆先が揺れる。


「私は自殺志願者なのだけれど、その人を見ていると不思議と生きたいと思うのだよ」
「良いことじゃないですか」
「良いことかどうかは分からないけれどね」


彼は自殺志願者なのか。だからこんなに包帯を巻いているのだろうか。それにしても彼が生きたいと思うくらいに好きな人がいるのに、私の隣にいていいのだろうか。彼女に見られたら勘違いさせてしまうだろう。

ずきり、何故だが心臓が締め付けるように痛くなった。でもそれはきっと気のせいだ。自分に言い聞かせるように、絵具を混ぜ合わせる。





絵が完成した。その瞬間も彼が隣にいた。「とても華やかで、可憐な絵だ」彼はそう言った。ぽ、と頬が熱くなる。褒められるのは慣れているはずなのに、こんなにむず痒い気持ちになるのは何故だろう。


「私、仕事を辞めようと思っていてね」


それは突然だった。彼は社会人だった事をその時初めて知った。片方だけの瞳の中に私が映っていた。その瞳から視線を外すことが出来ない。


「実は少々危険な仕事でね。少しの間、雲隠れしようと思っているのだよ」
「それ、仕事辞めれるんですか?」
「辞めるんだよ」


そう言い切った彼の瞳は、私には到底理解出来ない何かを抱えていた。私は何も言わず、彼から発せられる言葉を待つ。けれど、出て来たのは言葉では無く、柔らかい唇が私のそれと触れ合っていた。


「数ヶ月、もしかしたら数年先かもしれない。また、此処で会おう」


彼はそう言うと、静かに去って行った。どくん、どくん。心臓が高鳴ると同時に、涙が出てきた。理由は明確で分かりやすく、曖昧だった気持ちが確信へと変わる。

私は、彼に恋をしていたのだ。





桜の花びらが舞う。私は最後の大学生活を迎えようとしていた。あれから二年、彼とは一度も出会っていない。それでも私の心は彼を待ち続けていた。

もしかしたらあれは彼の冗談だったのかもしれない。もしそうだとしたら、信じている私は取り返しの付かないくらいの阿呆だろう。それなのに、私には彼の言葉は真実しか言っていないと自信があった。

桃色の絵具を出す。色は作るタイプだったのに、何故だが今日はパレットを桃色に染め上げたかったのだ。水を含ませた筆を絵具に付ける。瞬間、桃色がじわりと広がった。

ぶわり、風邪が吹く。髪の毛も一緒に揺れ、桜の花びらは宙を待った。その時、視界に男性が入った。鳶色の外套にくしゃくしゃの黒髪。こちらに向かって手を振るそれには、真っ白な包帯が巻かれていた。


「お待たせ」


数年前、毎日のように聞き続けた柔らかい声。長年待ち続けた彼は、私の手元にあるパレットに閉じ込められたかのように、桜の花びらで桃色に染まっていた。


2018/03/22
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