小説 | ナノ
基地から少し歩いた場所にある、木々に囲まれたそこにカトラリーはいた。彼が此処に来て早数カ月。ふらり、と気付けば姿を消す事がある。私はその後をこっそりと着いていく。カトラリーは丸太に腰を掛けると、重なった葉の間から空を見上げた。
貴銃士の中には、過去に囚われている者も少なくない。その内の一人が彼、カトラリーだ。その過去が今も尚、強く彼を縛り付けている。その証拠に、私は一度もカトラリーと食事を共にした事が無い。
青々とした木々の中にいるカトラリーは、そのまま溶けていなくなりそうだった。それは彼から漂う雰囲気のせいだろうか。その時、蜂蜜色の瞳がこちらを見た。
「マスター、そこにいるのバレバレだよ」
「…結構上手く隠れたつもりだったけど」
「それで隠れているのなら、すぐに殺されるよ」
カトラリーはそう言い、眉間に皺を寄せた。私は彼のこの表情が苦手だ。彼が何を考えているかなんて、この表情一つで直ぐに理解出来る。私は一歩、また一歩と足を進めカトラリーの隣に座った。
「気持ちが良いね」
「…マスター、此処にいていいの?」
「何で?」
「シャスポーが今日は非番だから、マスターを守るって張り切ってた」
「あー…そんな事も言ってた気がする」
「今日はマスターにお供します」と朝早くから張り切ってたシャスポーを思い出す。彼はとても忠実な貴銃士だ。私は彼等にそこまでの上下関係は望んでいない。けれどエセンのように「弱い者には従いません」なんて言われるのも、結構酷である。
「今、何考えてたの」
「シャスポーとエセンの事」
「嗚呼…真逆の二人ね」
そこで会話が途切れた。風が吹き、葉が揺れる。賑やかな基地とは違い、此処は穏やかな空間であった。私もカトラリーも口を開かない。聞こえるのは自然の発する音だけだ。
「ねぇ、カトラリー」
「何?」
「私はカトラリーの事を信頼してるよ」
「…急にどうしたの」
私の直ぐ隣で、猫のような瞳が私を映した。葉のような綺麗な色をした髪の毛に触れると「今日のマスター、何か可笑しいよ」と言われた。確かに、可笑しいかもしれない。
「カトラリーは、何をそんなに怯えているの?」
「怯えてる?僕が?」
「そんなに信用ならないかな」
柔らかい髪の毛から手を離す。するとカトラリーの瞳は大きく開かれ「そんなこと、ない」と小さく呟いた。せっかく交わっていた瞳も離れていく。
「私も、此処にいる皆もカトラリーに絶対的信頼を寄せてるよ」
カトラリーの視線は地面に向いたままで、こちらを見ようとはしない。別に構わない。私は彼に話を聞いてもらいたいだけなのだ。
「私はカトラリーと一緒にご飯を食べたい」
「もしかしたら、突然僕がマスターの事撃っちゃうかもよ」
「いいよ」
「なっ、馬鹿な事言わないでよ!僕はマスターのことは、!」
勢い良く立ち上がり、まるで吼えるかのようにカトラリーは口を開いた。彼は優しい。優し過ぎるのだ。それ故に自分の本当の心を曝け出す事が出来ない。
「皆と一緒に食べるのが嫌なら、これからは此処で二人で食べよう?」
「マスターと?二人で?」
「うん。食べながらだとね、話が弾んで楽しいんだよ」
人に甘えることを知らない彼は、ただただ不器用なまま生きている。それを理解し、関係を深めていくのが私の役割だ。カトラリーの心を巣食う闇が深く濃い事は嫌と言うほどに理解している。
「私はカトラリーに辛い思いをさせたくて呼び醒ました訳じゃないから」
「…マスターは馬鹿だね」
「カトラリーの為なら馬鹿にだってなるよ」
一層強い風が吹いた。葉は枝から離れ、宙を舞う。その一部かのように、カトラリーの髪の毛も靡いた。その瞳は、私から離れない。
「今日のおやつはマドレーヌにしようかな」
「…楽しみにしておいてあげる」
俯いて表情は見えないけれど、帽子の下から見える耳はほんのりと赤く染まっている。そんな彼を見ながら、今日はうんと丁寧にマドレーヌを作ろうと心に決めた。
2018/06/05