小説 | ナノ


太陽が明るく照らす本丸。今日も今日とて、いつもと変わらず長谷部の声が響き渡る。「主ー!主はどこだー!」その声は僅かに耳に入るだけで、発生源は随分と離れた場所にいるようだ。

本丸に聳え立つ桜の木は満開で、眩しいほどの桃色の花が視界を染める。風が吹くたびに優しく舞うそれは、とても美しく幻想的だ。これもまた、主が作り上げた芸術である。

桜の花に見惚れていると、太腿の上で僅かな振動を感じた。目線を下げれば、俺の太腿に頭を預け眠る主の姿。すやすやと気持ち良さそうに眠る姿は、いつもよりあどけなく見える。きっと桜色に染まった頬のせいだ。

俺は主の初期刀だ。右左分からない主と苦楽を共にし、この本丸を此処までの大所帯に成し遂げた。刀剣男士が一人増える度に、照れたように笑う主の顔がたまらなく好きだ。

でも、不安もあった。写しである俺は、いつ捨てられてもおかしくないと思っていた。けれど主は俺を見捨てることは無かった。「私は貴方がいるから、ここで頑張れるの」みっともなく主の前で弱音を吐いた日、手を取りながら主は優しく言った。

初めて会った日より伸びた髪の毛。気付けば施されるようになった化粧。それは主と共に過ごしている年月の流れを感じさせた。人間はいずれ朽ちてしまう。だからこそ、この一瞬一秒が堪らなく恋しく感じるのだろう。

ゆっくりと静かに、地面へと流れる髪の毛に触れた。まるで絹のように繊細なそれは、主の姿を象っているようだ。触れたらそのまま壊れていきそうなのだ。

その時、ぴくりと主の瞼が動いた。それから数秒後、ゆっくりと瞼は開く。「…主」そう呼べば、黒曜石のような瞳が俺を映した。油断したら吸い込まれていきそうだ。

主の白く細い指が俺の頬に触れた。「、山姥切」うっとりとした表情で俺を見上げる主に、どきり、と胸が高鳴った。でもこの気持ちに名前を付けてはいけない。俺は刀剣男士であり、主は審神者なのだから。


「ずっと膝借りてたね。痛かったでしょ?」
「…そんなこと無い」
「本当?」
「嗚呼」


まだ眠そうに目を擦りながら、上体を持ち上げる。その後すぐに俺の隣に座り、肩に頭を乗せた。同時に甘い香りが鼻腔をかすめる。この香りは先日万屋に行った際に主の為に買った匂い袋と同じものだ。


「こうやって、二人で過ごすのっていつ振りかな」
「…さぁ」
「ここの生活に慣れる前に長谷部が来たからね」


そう言い、主はくすりと笑った。長谷部は俺の次にこの本丸へ来た刀剣男士だ。それまで俺がやっていた仕事は、長谷部が来たことにより全て取られてしまった。それは構わない。俺は人の上に立つような存在ではないから。


「うちにいる子達は皆好きだけど、山姥切といる時が一番落ち着く」


主は簡単に俺の心を掻き乱す。その言葉にどんな意味が含められているのか分からないが、俺の心臓は確かに激しく高鳴っている。目尻を下げ優しく微笑む表情は、ただただ俺を見惚れされる。


「あ、るじ、見つけま、したよ、っ」
「おつかれ、長谷部」


いつの間にか長谷部が、桜の木にもたれ掛かるようにして立っていた。肩は大きく揺れ、激しく呼吸は乱れている。額から流れる汗は、血眼で主を探していた証拠だ。


「昨日は三日月と茶を飲み、一昨日は加州を着せ替え人形にし…。少しでも執務を終わらせて下さい!」


長谷部は言葉を強めて言った。けれど主は聞いてか聞かずか「山姥切は本当に綺麗だね」と言い、俺の髪に触れた。けれど何倍も主の方が綺麗で、返す言葉が詰まって出て来ない。


「主!俺の話を聞いてください!」
「明日は長谷部と二人きりで買い出しに行きたいんだけど」
「っ、お、俺と二人きり、ですか!」
「うん。頼りにしてるよ」


先程まで怒りが表情に出ていたのに、今の長谷部は顔をデレデレとさせている。全く、分かりやすい男だ。「頼りにされたら仕方ないですね!」と腰に手を当てて言う姿は、主が執務から逃げてきた事を忘れてしまったのだろう。


「さ、本丸に帰っておやつにしよっか」


主が立ち上がり、俺も遅れることなく立ち上がる。すると主は俺と長谷部の背中を勢い良く叩いたかと思えば「食堂まで競争だよ!」そう言い駆け出した。


「全く、手の焼ける主だな」


長谷部はため息をついた。けれどその表情は満更でもなく、寧ろ愛しいものを見るかのような優しい瞳であった。きっと俺も、主に向けて似たような視線を送っているのだろう。


「勝ったほうが今夜の主の肩揉み係」


俺は一言そう呟くと、一気に駆け出した。背中に長谷部の慌てる声がぶつかる。視線の先では、主が藤四郎兄弟に絡まれている。この勝負、俺の勝ちだ。


2018/06/04
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