# 風邪引き 「本当に、本当にごめんなさい……調子に乗りました……ごめんなさい……」 骸骨はボソボソと謝罪を繰り返しながら、盛大に机に突っ伏していた。それを、この世ならざる美しい男が傍らから静かに見下ろしている。 「いや、まあ。そう、だな……余り気に病むな」 「う……うぅ……」 「彼らに敵意が無さそうなことは良く分かった。これは収穫だろう?」 まるで生まれたての小鹿のようにプルプルと震えるモモンガの背を、アルク・アルドはほんのりと眉を下げたまま撫でさすった。 リアルかユグドラシルであれば多少気の利いたことも言えたかも知れないが、アルク・アルドの舌はやはり上手く回らない。 落ち着いたトーンの低い声に、ひときわ真摯な物言い。人を慰めるにあたって、傍目にはけして悪くないのだが。生来明るいアルク・アルド本人の心情としては些かもどかしいものがあった。 「俺のスキルがまともに機能しているなら、僅かにも敵意を持った者は誰一人いなかった」 同じように《センス・エネミー/敵感知》を使っていたモモンガは項垂れたまま何度か力なく頷いた。 「やたらと特別視されてはいるが、けして悪いことでは無いと思うぞ」 「それにしたって、誰のこと言ってんだよあいつらぁ……」 「……ああ、そうだな」 「アルクさんに相談もせず急にあんなこと言ったからバチが当たったのかなぁ……」 「気にしていない。大丈夫だ、何も問題は無い」 ストレスが極限に達し、モモンガはスゥ……と輝いて精神を抑制されたが、それを知るのはモモンガ本人ばかりなり。 モモンガはゆっくりと身体を起こして咳払いをする。 「取り乱してしまってすみません」 「構わない。それに、良い采配だった」 「いえ、そんな……!」 ぱっと見が人間のアルク・アルドよりもずっと人らしい動作をするせいで、恐ろしげな外見にも関わらず随分とコミカルに見える骸骨の化け物は顔の前でぱたぱたと手を振るう。 「というか、そもそも随分と助け舟が遅くなってしまって……アルクさん、ナイスフォローでした」 「いや、こちらも任せきりですまなかった」 「いえそんな……」 「お互い様ということにしよう」 「……はい」 モモンガに表情を浮かべることが出来たなら、きっと照れ臭そうにはにかんでいただろう。 柔らかい声でアルク・アルドの申し出を受け入れたモモンガは、気を取り直したように話題を変えた。 「そうだ。あの、ナザリックの隠蔽についてなんですけど……何か案ありますか?」 「俺のスキルでも隠すことは出来る筈だが……常に張り付いている訳にもいかないだろう。いや、そもそも隠蔽と言うには派手だな」 例えば荊棘で囲い込む、例えば霧で覆い隠す……アルク・アルドにもやって出来ないことは無いのだが、だいぶ不自然ではある。 「ですよねぇ。それで、私としてはデミウルゴスの意見を聞きつつ、周囲が森や草原ときたらあとはマーレかな……なんて思ったものでして。まぁ安直ですけど」 アルク・アルドは顎に指を当て、モモンガの言を反芻する。 「知恵を借りると言うのは良いと思う。彼らはどうも役に立ちたい欲が強いらしい」 「あんまり隙を見せたくなかったんですが……ある程度は信用しても良いかなって気分になってます」 「……そうだな、俺もそのように感じている」 「こうやって余裕が持てるのもアルクさんのおかげですよ」 「それこそお互い様だな」 二人は顔を見合わせて声だけで笑う。 表情も何も無い骸骨と、殆ど無表情の吸血鬼。 やっぱりどうあってもシュールだったが、幸か不幸か当の二人がそれに気付くことは無かった。 愉快な絶対支配者どもが仲良く和んでいる一方その頃、第六階層 「すごい迫力だったね……ちょっと、こわかった……」 「ほんと……アルク・アルド様だって、御言葉聴いてるだけで思わずポーッとなっちゃいそうだったし……」 「幾ラ耐性ガアルトハ言エ、互イニアレホド平然トサレテイルトハ……。両雄並ビ立ツ、トハ正ニコノ事カ」 「はぁ……まさか、こんなにも喜ばしいことがあるとは思いんせんしたわ」 「そ、そうだよね、至高の御方々から直々に御命令を頂くなんて……!」 心なしか内股になりながら嫋やかに片頬を押さえ艶っぽい息を吐くシャルティアに、両頬を上気させて飛び跳ねんばかりに同意するマーレ。 細く冷気を発しながら自らの部下であるモンスターの中でもとっときの精鋭を思い浮かべるコキュートスの後ろでは、張り切ったアウラが早速狼や熊のような姿をしたモンスターを数匹呼び出し「アンタたち、誰が一番賢い?」などと言いながらペットたちと共に首を傾げていた。 そんな中黙り込んだままのデミウルゴスに、その美貌にわずかな陰りを宿したアルベドが問う。 「……デミウルゴス、何か気になることでもあるのかしら?」 「君こそ、そうしてわざわざ私に切り出すほど気になることがあるのだろうに」 「……」 仄かに不穏な空気が漂い、おもむろに守護者たちの視線が集まった。 怪訝な顔をしたセバス・チャンがそっと眉根を寄せるのを横目に、デミウルゴスは肩をすくめる。 「……アルク・アルド様は我らの忠誠が揺らいでいないかお疑いだったのかも知れないと、そう思っただけですよ」 「ナ、ナニ!?」 「何ですって!?」 「どういうことよ!!」 「おおお姉ちゃん、落ち着いて!?」 守護者たちはまるで噛み付くように身を乗り出し、紳士的な悪魔はやれやれと首を振った。 静かなのはそっと視線を外したセバスと、難しい表情のアルベドだけだ。 そしてデミウルゴスは神妙な顔で続ける。 「思い出してみるといい。アルク・アルド様のお立ちになっていた位置を」 「アルク・アルド様の立ち位置、でありんすか?」 「モモンガ様の……横?」 「イヤ……真横トイウヨリハ、ホンノ少々手前ダッタナ。ソノオ身体ヲ斜メニ構エテイラシタカ……?」 「ああ、えっと、そういうことか。アルク・アルド様はいつでもモモンガ様を庇えるよう……に……?」 アウラの言葉で ここは難攻不落のナザリック。 あの場には守護者しかいなかった。 ならば、アルク・アルドが警戒していたものとは……? 守護者たちの思考が真っ逆さまに落ちる寸前、デミウルゴスはそれを引き止める。 「まぁ、言いたかったのはそういうことだがね。もっと重要なことがあります」 「し、至高の御方に忠義を疑われることより重要なことなんて何処にあると言いんすか!」 「話はまだだよシャルティア。自棄になるのは止めたまえ……アルベドもね」 デミウルゴスの聴き心地の良い声が響く。 「皆にも勘違いしないで欲しいんだが……アルベド、君に叛意があるとは思えないが、先程からどうも様子がおかしく思えて仕方がありません。非常事態の発生から最も早く御二方と接触したのは君なのだろう? 何かあったのなら教えて貰えないかな」 叛意ーーその言葉ひとつでピリリと緊張が走るが、暗い面持ちでシュンと頭を俯かせるアルベドからはそのような獣心は窺えない。 更にデミウルゴスの声色は寧ろ優しく、どこか心配するような音をしていた。 それでもこの場を満たすのは張り詰めた空気だ。 彼らにとって至高の存在への反逆など、許されざる大罪である。そんな言葉が出ただけで空気が重くなるのも当然と言えた。 そしてそれは今、針の筵のような状況にあるアルベドからしても同じことだ。 彼女とて、守護者であろうと二心を持つとあらば魂までも千々に引き裂くだろう。だから、アルベドは不満を示したりはしない。ただ己の不甲斐なさを嘆くばかりだ。 「……分かったわ。思う所を全て打ち明けると約束しましょう。けれど、今はもっと大切なことがある。至高の御方々の為に働くのが私たちの存在価値……そうでしょう? 心配ならデミウルゴス、私に監視をつけてくれても構わないのよ」 「御冗談を、守護者統括殿。では皆、後ほどまた会おう。私たちは何よりも至高の御方々の御期待に応えねば」 ならばと意識を切り替え、割り切って動き出す者、些か納得しきれぬ顔の者も己に課された使命の為に散って行く。 最後に残ったアルベドはぽつりと呟いた。 「私が逆心を抱くことなど決して無いわ……至高の御方々へ反旗を翻すくらいなら、自ら命を絶つでしょうね」 |