# 02 「……惣次郎殿、この後は一体何を」 流石の幸村も、まさか美味い団子を食う為に小田原まで来たわけではない。機会があれば是非また此処に立ち寄って団子を頼もう、と思ってしまった事はやはり別にして。 「この後?」 きょとり。ほんのすこし目を丸くして、時臣は湯飲みを置いて腕を組んだ。 別の角度から日輪の光を得た弾みで、一見黒とも見紛う程に暗い色をした着流しが滑らかに濃紺を主張する。 着物の色味とは反比例するように明るく朗らかな笑みは何処か幸村に似ていて、しかしけして不自然ではない其れは意図的な模倣であるということに、側に潜んだ佐助だけが気付いていた。 「いや特に何も」 「!?」 「せいぜいその辺を適当に練り歩くくらいか」 「そ、それだけでござるか?」 「俺が何をしに来ているのかは教えただろう? きちんと覚えてゆけよ」 困惑の表情を浮かべた幸村に、今度は柔らかく微笑みかける。先ほどと比べてみれば多少見慣れた笑みではあるという程度であったが、そのまま目を細めてしまえば町人らしい素朴さはあっという間に鳴りを潜めてしまった。 幼子に言い聞かせるように、緩やかに首を傾ければ艶めく黒髪が揺れる。 「町や人々の様子を感じ、何か普段と異なることがあれば己に刻み付けなさい」 「異なること……」 「戦場で敵の動きを見定めるように事細かにね」 幸村は噛み締めるように呟き、頷いた。ややあって、真剣な表情で顔を上げ目の前の通りを見詰めるのを、時臣はくすりと笑う。 戦場だとか敵だなんていう喩えが悪かったか。小田原はともかく、甲斐の地でこのような顔をしていたら、幾ら帯刀していなくも流石にバレるだろう。 人には向き不向きがある。 時臣とて自分からわざわざ偽る事はせず人々の思い込みに任せてはいるが、だからといって騙していないなどと言うのは詭弁だ。 実際に惣次郎も確かに己の名であり、出自や身の上については是とも非とも答えていない。黙して語らず、ただ微笑めばよいのだ。嘘は申しておらぬ、と顔色ひとつ変えずに笑って見せよう。 対して幸村はそうして開き直れるような性質ではないし、それ以前にボロが出るだろう。それとも、彼ならわざわざ身分を隠さずとも、その実直さゆえに民草の本音を引き出せるやも知れない。 そう甘くはないか、さてはてそんなものか。羨ましいやら、そうでもないやら。虎の若子はけして愚かではないが、人を疑えないのも嘘をつけないのも、時臣にとっては大問題だ。 疑ってかかるのが癖になってしまった時臣が僅かに苦いものを感じていると、視界の端で何かがぶつかった。 「どこ見て歩いてんだてめえ!」 「も、申し訳御座いませんっ」 「おっ……と!良く見りゃ可愛い顔してんじゃねーか、なあ?」 荒っぽい声に視線を移すと、柄の悪い男が若い娘の腕を掴んでいる。 少なくとも善良そうには見えないその男は厳めしい顔つきでがたいも良く、周りも手を出せずに遠巻きだ。 明らかな揉め事に眉を吊り上げ椅子に手を付いた幸村の肩を、時臣は軽く叩く。 そも、どう考えたって幸村向きの仕事ではないのに、甲斐ではさせずに其れを見せたいと言うのだから、甲斐でも実際の仕事を任せる気は無いのだろう。適材適所とは良く言ったもので、佐助がいるのだから当然だ。 それでも知っておかねばならぬ。 戦場を駆け、二槍を操り、猛々しく吠える虎の若子。立派な若武者ではあるが、己よりもまだ五つほど年若い彼に、必要なこと。 戦場以外の戦いもあることをよくよく理解せねばならぬ。 さあさ、わかりやすうく見せて差し上げれば宜しいのでしょう信玄公。時臣が胸中で呟くと、思い浮かぶ虎は満足げな笑みで力強く頷く。 時臣の"惣次郎"然とした朗らかな笑顔に、幸村はぱちくりと目を丸くした。 「大目に見てやるよ、ちょいと相手してくれりゃあな」 「やだ、離して下さい……!」 「そうだな、離せ」 「あぁ?」 ぽん、と骨張った男の手がごろつきの肩に置かれた。お世辞にも強そうには見えない青年が揉め事の渦中に飛び込んだ事に、娘は助けが入った事に安心するよりも顔を青くする。 恐らく同じような事を考えたのだろう。線の細い時臣の身体を上から下まで眺めたごろつきが、下種な、としか言う他ない表情でにやにやと唇を歪めた。 「おうおう。綺麗なお顔に高価そうなおべべ着た兄ちゃんが何のようだ」 「だからなぁ、その手を離せよ、と」 「んん?あああ?? 格好付けてんじゃねえぞ優男、がッ!?」 「離せ、と言ったろう」 「ひぃぎ、痛えええ!はな、離せ!!」 対して力を入れているように見えないが、軽く掴まれたていの肩はぎしぎしと不穏な音を立てる。 その実、触れた箇所と時臣の掌との間には外に漏れ出さぬ程度の黒が巣食っていた。勿論それは時臣の闇であり、ごろつきの肩を締め上げている犯人である。 痛い離せ止めろと泣き言を喚き出した男に、呆れ顔の時臣は目を細めた。 「離さなかったのはお前さんだろうになぁ」 「わ…わり、悪かった!おおお俺が調子に乗ったんだ!!」 「謝るなら其方のお嬢さんにだと思わないかい」 「思う、思う!!すまねええ!悪かったから!!!」 もう恐怖に震える事すらも忘れ、眼前の状況にすっかりついていけていない娘がこくこくと頷いた。 余りにぎこちない動きがまるで壊れたからくり人形のような彼女は一体何が起きているのか、という表情で小さく口を開けたままだ。 「っもう良いだろ肩から腕がもげちまう、うああ」 「お前さんよ、悪かったで全部済んじまったら今ごろ太平の世だろうさ」 「う、ううう」 「此処等じゃ見馴れねえ顔だよな。御本城様の取り決めだ。問題起こした余所者はお城に突き出すに限る」 時臣が幸村の方に顔を向け、姿は見えないが確かに気配を感じさせる佐助へ目配せした。そうして、お侍が一人遠くから駆け寄ってくる。変化した佐助の分身である。 「おい!騒ぎがあると聞いたが、刃傷沙汰か」 「いんやお武家様。怪我人はいないんだが、娘っこに乱暴しようとしやがったこいつ、どうも余所者のようでして」 「何だと!貴様、何処ぞより送られたか!? 小田原にて安穏を得ているのは御本城様のご厚意あってこそ! もしも城下に参ったのがこの小田原に仇なす為であったなら……覚悟せよ!」 「ひ、ヒィイ、お侍、はやく助けてくれ!」 「あん?」 「どうやら混乱しているようで。お手数かけますね」 「ふむ。これも仕事だからな。ご苦労であった」 とんだ茶番劇だ。時臣は少々わざとらしいかと思いながら、佐助(の分身)である侍を眺める。 その顔には「あんたも忍び使い荒いよねぇ」という言葉が如実に現れていたが、時臣はいっそう朗らかな笑みを浮かべて誤魔化した。 微かに目を細めた佐助の分身は本物の北条兵へと引き渡す為にその場を離れたが、あくまで分身である。 引き続き幸村の護衛として残る本体からの視線が時臣に突き刺さった。 「すごいねぇ惣次郎さん!失礼な話だけどね、そんなに強いお人だなんて思わなかったよ!」 「ははは。俺だって、俺みたいな細腕に掴まれてびいびい騒ぐなんて思わなかったさ」 「いやぁ、厳ついしおっかなかったけど、とんだ見かけ倒しだったのかい」 「まぁ、一番驚いたのは俺だろうなァ」 なんてことない顔でカラカラと笑う時臣あらため惣次郎を、幸村は改めて尊敬の眼差しで見つめるのだった。 |