婆娑羅ゆめ | ナノ
 また会える日を、

「忘れて欲しいんだよ」

死んだ愛しい男が優しく微笑むのを、瞬時に夢だと理解してしまった己の頭が憎くて、それでも脳裏に浮かぶ面影がはっきりと其処に在るのが嬉しくて、これが最後の逢瀬ならば、醒めても残るようにと必死で見つめていたから。

「そうだな……一般的には、結婚して、子供が出来て、歳をとって、何でもない穏やかな幸せが訪れて欲しい」

当たり前に非現実的な光景のなかで、あまりにも愛おしげに、焼き付いた記憶にあるそのままの、三成が一等好ましいと思った笑顔で言うものだから。

「月日が経って、好きな人が出来て、俺の顔も思い出せないくらいになって、ふとした瞬間に、あんな奴がいたなと、良い思い出のように振り返られるように」
「何故」

とても酷いことを言われているのだと気付くまでに、少々の時間を要したのだ。

「何故、そんなことを」

ぽつりと、無意識に空虚な問いを零せる頃には、少なくとも己が恋しく想う故に己自身が見せた夢では無いと理解した。
三成が時臣を忘れた事など片時も無く、忘れたいと願う事など一瞬たりとも無かった。それだけが己に出来ることであり、己にとっても唯一の救いだと信じていた。

「もし万が一、私が他の誰かを恋い慕う事があれば、お前はきっと、さも良い終幕であったとでも言うような顔で消えていくのだろう。そんなことを、私が望むと言うのか」
「……三成」

急激に鮮やかになった意識が、捲し立てるように言葉が紡がせる。

「何故だ。私は忘れたくなどない、ずっと、お前を想って……お前の、思い出を、記憶を、胸に抱いて……静かに生きてゆければ、それで」

そも、時臣の骸を胸に抱きながら、一度は後を追ってしまおうとすら思ったのだ。けれど、血に塗れていても腕の中で穏やかに眠る男が、其れを望まぬであろう事は良く分かっていた。

「いっそ死にたいと願っても、まだこの地獄に留まれと、お前が私を追い返すなら、それで耐えると言うのに」
「そんなの、」

ふと顔を上げれば、何か痛ましいものでも見るような目をする時臣が目に映って、無性に腹が立った。悲しげに曇る瞳が、三成の心を乱す。

「それが、それが不幸だとでも言うのか!?忘却こそが不幸だ!ならばいっそのこと、私を殺せ!!赦さない、私のささやかな願いさえ、摘み取るというならば、」
「……連れてはいけない。思い出だけ、俺が抱えて持って行く」

半狂乱で叫ぶ三成に、時臣が静かに告げた。三成の言葉が詰まる。
聞き慣れたいつも通りの優しい声はけれど厳かで、是非を問うものでも無い其れは、まるで死刑宣告のように響くだけで、三成の世界を容赦なく抉り取った。

「なにを」
「三成が前に進めないほど、重すぎる荷物は要らないんだ」

ふわり、微笑う時臣が遠い。
三成が渇望し、必要とする時臣を、時臣自身が勝手に不要とするのが不愉快だった。
……こんなにも、こんなにも不愉快なのに、三成の喉から怒号が溢れる事はない。口の中が乾いて、唇が震える。

「お前を奪われて……記憶まで、失うのか?」
「失うんじゃない。消えて無くなる訳じゃない。先に行って待ってるから……ずっと、ずっと先で、また会おう。その時に全部返すから」
「戯言だ、詭弁を吐くな!また相見える確証など、何処に」
「信じているよ。今生の俺達は袖振り合うのみにあらず。次の世で会えぬ訳もない」
「次の世など……!」
「あるよ、きっと……御慈悲を下さるさ。次じゃなくたっていい、その次でも、そのまた先だって構わない。少なくとも俺は、現し世でやらねばならぬ事がまだ沢山あるんだもの」

なんて酷い、酷い夢なのだろう。
こんなにも愛しい男の姿をした何かが、三成から時臣を奪おうとしている。

それでも、お前は時臣ではないと叫ぶ事が三成には出来なかった。
何度否定しようとしても、三成の心に刻まれた記憶がどうしても、どうしようもなくこの男は時臣であると言っていた。

「お前を抱きしめて、涙を拭ってやらなければな」

姿が、声が、香りが、仕草が、微笑みが。
照れ臭そうに笑うのも、困ってもいないのに小首を傾げるのも、光に当たって微かに揺らぐように色を変える瞳も、全て、全て、全てが正しく時臣である事が辛い。
三成のなかにある時臣が消えて無くなって、こうして認識出来なくなる事が何より恐ろしい。

「そんなことは、そんなことは今、」
「其れは出来ぬ相談だな。そろそろ刻限だ。いや、やはりこの世は慈悲深い」
「何処がだ、お前を私から奪った世界の、何処に慈悲があるというんだ」
「何を言う。俺をお前に会わせてくれた。十分だ」
「馬鹿を言うな。お前を奪った罪、その程度で、埋まるものか……」

眩しくて手を翳す。
霞む視界に差す光が増えて、時臣が良く見えない。白い世界に佇む人影が、ゆっくりと小さくなっていく。

遮る光が憎い。何処までも三成の足を止めさせるのはいつだって光だ。

「……さぁほら、もう目覚めの時間だ。死者にかまけている時間など無いぞ」
「嫌だ、醒めたくなどない……忘れたくなど、」
「さようなら、三成。また会える日まで、眠ることにする」
「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ、時臣、時臣……!!!」


「愛しているよ三成」








「……っ!!」

声にならぬ叫びを喉の奥に。
何と言えば良いのかも分からずただ衝動的に開けた唇と、頬を伝う一筋の。
まるで何かを追おうとするように虚空へ伸びた片腕は、一体何を掴もうとしたのだろう。

上半身を起こして息を吐く。苦しくて、もどかしくて、言葉にならない。夢見が悪くて涙を流すなど、幼き頃にすらまともに無かったように思う。
脇に戻した片手を持ち上げ掌を見つめても、掴み損なったものは当たり前に見えてこない。

ただ、胸にある妙な感覚に、悪夢であったとしても……其れはほんの少し、何処か優しい夢でもあったような、そんな気もしていた。









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