短編 | ナノ


「左門と三之助は?」
「今、作兵衛が探しに行ったよ。」
「…そうか。孫兵、早く数馬と藤内のところに行こうか。」
「ああ。」

 こくりと頷いた自身にも視線を向けることなくすたすたと先に進む彼の背中を、孫兵の切れ長な割りに、ぱっちりとした瞳で静かに見つめていた。

 森閑としたその場を支配する鉄の匂いと、鼻が曲がるような腐敗したような、悪臭。
 ここ三日間味わっていたこの悪臭とも今日でおさらばだと思うと自然と安堵するがこれが終われば自身たちは何年も、何年も過ごしてきたあの暖かくて居心地の良すぎる学園を去り血腥い暗い世界で生きて行かなくてはならないのかと考えると、このまま時が止まってしまえばいいのにだなんて事さえ考えてしまう。

 一週間前、学園長から卒業試験の内容を伝えられ、四日前にこの屋敷に侵入し、じわりじわりと中を攻めて、本日漸く全ての巻物を回収し情報を収集し終えた。
 最初は屋敷内の人間を始末する予定なんてなかったのだが、帰り際、ろ組の神崎左門がバレてしまい始末せざる得ない状況になり、結局屋敷内の人間を全て始末することになってしまった。

「…孫兵、早くしなよ。」
「わかっている。」

 気付けば開いてしまった彼との距離を縮めようと少し早足気味で足を動かせば、急にもう何年も前の光景を思い出した。

 あの頃は、まだあの暴君と言われていた先輩も、不運の代表とも言える先輩も、武闘派と名高いあの先輩も、ギンギンと煩い先輩も、生き物を大切にしていたあの先輩も、無駄に美しいあの先輩も居て、まだ、先輩たちに甘えていれたあの頃は、自身の先をすたすたと歩く彼は、今の自身みたいに人の後ろをぱたぱたと追い掛け歩く小柄で頼りない、そんな印象であった。
 よく自身の後ろを付いて回り、少し手を引いてやるとそれはそれは嬉しせうにふにゃりと破顔させ嬉しそうに「ありがとう」と言うのだ。其れをろ組の作兵衛が何時まで甘やかすつもりだと呆れ、左近と三之助がけらけら笑いながら眺め、は組の藤内が俺も予習しなくちゃ、と言い、数馬が不運を発しみんなで助けに行く。
 そんな暖かい日々が当たり前だと思っていた頃は、まさかこんな血腥い場所に立つなんて考えてもみなかった。
 これを当時は酷く仲の悪かった四年生も経験し、尊敬していた五年生も、憧れていた六年生も味わい、次は、あの生意気だった当時二年生も、騒がしい一年生も、みんなみんな、この場所に立たなくてはならないのだ。

 四年生の頃は、三年生の頃よりもキツイ実習が少しずつ入って来て、少しずつ、少しずつ、けれど確実に同輩は居なくなり、雨の降る日に初めて人を殺めた。
 五年生の頃は、委員会の先輩である竹谷先輩や、自身たちの良き相談相手であった先輩たちが学園を去り、そしてまた確実に同輩が居なくなり、見慣れた後輩も居なくなった。
 そして最上級生になると、もう同輩は自身と目の前を歩く彼奴と作兵衛と左門、三之助、藤内、数馬の七人になってしまった。
 上級生になればなる程人数が減るのなんてこの五年間で嫌と言う程理解した。理解しなければならなかった。しかし、どうにも胸にぽっかりと空いてしまった穴は埋まらず、お互いに依存してるような、けれど距離を置いているような、そんな奇妙な関係になってしまった。
 あの頃はただ純粋に皆で卒業したいとしか思っていなかった。
 愛しいジュンコを始めとした動物たちが居て、なんだかんだと言って大切な仲間たちが居る、それが続いていくのだと、信じていた。なんて生温い子供のような考えなんだと笑われても仕方のない、そんな事を信じて止まなかったのだ。

「………、」

 けれど現在(いま)どうだ。
 愛しい動物たちはゆっくり姿を消して行き、大切な仲間たちはゆっくりと確実に自分を壊していき、新しい自分を作って、過去のあの姿をぐちゃぐちゃにしてしまっているではないか。真っ白とは言えないが、それなりに純粋だった心なんてもう残っていないじゃないか。

「なあ、孫兵。」
「…なんだ?」

 不意に振り向いた彼にはっと意識を切り替え無意識に噛んでいた唇を離す。
 月明かりに照らされた彼の顔は忍び手拭いと頭巾で覆われ見えるのは切れ長の涼しげな目元だけであるが、その瞳だけを見ても昔とは随分変わってしまったのが十分にわかる。
 少しだけ緊張して震えた声を、情けなく思いながらもなんとか言葉を吐き出せば彼は何処か苦しそうに息を吐いた後、きっと目付きを鋭くさせ自身を睨むように見つめ喉を震わせゆっくりと、それでいて確実に自身の心を突き刺すような冷たい刃物のような言葉を紡いだ。

「…私たちはもう、戻れない。何時までも、過去に囚われるのは止めたらどうだ?お前が誰よりも幻想的思考なのは理解しているが、私たちはもう子供じゃあないんだ。」
「…っ、」
「孫兵、私はもうお前の後ろを歩くような奴じゃない。割り切らなきゃ、世界を切り離さなきゃ私たちは生きていけないんだ。」

 ぐさり、ぐさり、ぐさり。
 心に突き刺さった言の刃は自身の積み立てていた大切なナニかを確実に壊していき、心の臓を刺されたような痛みに似て、しかしそれよりももっと苦しくて悲しくて切なくて情けなくて悔しくて、どう表現していいのか判らないくらいに鋭い刃が自身の胸に突き刺さる。

「…学園を出れば、あと一月もすれば、私と孫兵はもう仲間じゃない。それは数馬や藤内、左門に三之助、作兵衛にも言えることだ。互いに利用し合うことはあっても、仲間になんてなれない。」
「………、」
「…行くぞ孫兵。二人が待ってる。」

 そう言い、自身に背を向ける彼の背中は自身の中の記憶の彼よりもずっと広くて暗く冷たく、短かった髪も背中まで伸びていて、小さかった手も白い手も、全てが記憶の中の彼とは違っていた。

「…違う、んだ。」

 肩を並べ笑いあったあの頃は思い出で、繋いでいた手も、泣いたあの日も、喧嘩したあの時も、全て全て全て全て全て、思い出に過ぎないのだ。

「なまえ…っ!」

 伸ばした腕は、もう届かない。



過去に縋る私は滑稽でしょう



「うああああ!卒業だぁ!!」
「早かったなあ。」
「…長いような、早いような。」
「作兵衛は二人が心配だろ?」
「二人ももうガキじゃ…って、何処に行くんだよ!!」

 ぎゃあぎゃあと騒ぐろ組と苦笑いのは組。相変わらずな様子をい組の自身と彼は桜の木に寄り掛かりながら眺める。
(迷子組を怒鳴る作兵衛を宥める数馬とそれを見てうんうんと頷く藤内と、それを見て笑っている僕となまえ)

「…作兵衛も苦労が尽きないな。」
「全くだね、ジュンコ。」

 呆れたように溜め息を吐く彼の隣でくすくすと綺麗に笑いながら愛して止まない毒蛇のジュンコの下顎を撫でている孫兵。
(並んだ肩を小さく揺らし可笑しそうに笑うなまえと僕と、なまえと僕の間で気持ち良さそうに眠るジュンコ)

「ほらほら、早く出なきゃ可愛い後輩が来ちゃうよ!」
「なんだと!?それは大変だ!!」
「早く行かなきゃ金吾たちと顔合わせちまうな。」
「平太が未だ心配だが…顔見たら行けなくなりそうださな。」
「左近に乱太郎に伏木蔵…、大丈夫かな?」
「…左近が心配だね、別の意味で。まあ、作法は心配ないからいいか。」
「孫兵も、早くしなきゃ可愛い可愛い四年生組が来ちゃうよ?」
「…それは、本当に大変だな。」

 ぱんぱんと手を叩きその場を落ち着かせる彼とはっと気を引き締める左門も三之助、唸る作兵衛。心配そうに眉を下げる数馬にそれを宥める藤内。孫兵を立たせる彼。

(何だかんだと場を纏めるなまえとうわああ!と喚くろ組メンバーと、不運に涙を流すは組。重たい腰を上げる僕。)

「…もうこの学園ともさよならか。」
「思い出もぜーんぶ、置いていかなきゃだね。」
「お世話になりました!!!」
「ありがとうございましたー。」
「……、」

 門を出る前に、各々の思いを伝え、一人、一人と頭を下げる。
門にはへむへむに学園長だけが立っていて、前の先輩たちもこうやって学園を去ったのかとぼんやりと上手く回らない思考でそう考える。

「…じゃあ、私は行くね。」
「元気でな!」
「毎日走れよ。」
「頑張れよ。」
「予習はしっかりね。」
「体調はしっかり気遣ってね。」
「……わかってるよ、もう。」

 くすくすと綺麗に笑いながらそう言った彼の背中をまたあの日のように何も言えないまま見送る。
 出門表にサインをする彼は、ゆっくり振り返り自身の視線を合わせれば、自身と彼、二人だけの矢羽音を使い、そして一瞬だけあの頃のように優しく笑って、門を出た。

「ま、孫兵!?」

 あたふたと慌てる数馬たちの声が聞こえるがぼたぼたと流れる涙で視界が滲んでよく見えず、矢羽音が頭に残って何回も響き、あの頃の笑顔が何度も何度も浮かぶ。
 ああ、僕は幸せ者だ。






 曰く、その少年は何処か人より思考が違っていた。
 曰く、その少年は酷く浮世離れした容姿であった。
 曰く、その少年は並み外れた記憶力を持っていた。
 曰く、その少年は決断力があまりなかった。
 曰く、その少年は根気強かった。

曰く、曰く、曰く、曰く、曰く、曰く、曰く、曰く、曰く、


『またね。』


酷く、弱い人間であった。








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