短編 | ナノ


「なぁ長次や。」
「……なんだ。」
「月が、綺麗だね。」

 ぽつり、と青年は縁側に腰掛けながら三日月でも満月でも無く、極めて月明かりの少ない新月を見て呟いた。
青年の横には頬に傷の有る仏頂面の長次と呼ばれる青年が只々静かに座っており、御猪口を口元に当て甲斐ちびちびとお酒を喉に通していた。
「なぁ、長次。」
「………。」
「私は、優秀ない組なんだがな、どうも上手くいかないのだ。」
 青年は愉快そうに喉を鳴らしながら笑う。長次はそんな青年へ視線を遣るが、どう声を掛けるべきなのか、はたまた声を掛けない方がよいのか迷い、結局声を掛ける事なる再び御猪口を口元へ遣りちびちびと酒を飲んだ。
青年は静かに空を見上げ、手元の御猪口には口を着けない。
長次は其れが面白くなかったのか、(もしかしたら他意等無かったのかもしれないが、)青年に小さく聞き取れるか聞き取れまいか程の声を掛けた。
「……飲まないのか。」
 漸く青年は長次へ視線を向けた。
青年は長次に向かって小さく笑みを繕いゆるりと首を傾げ御猪口を掲げた。御猪口の縁にお酒が揺れ、青年の指に滴が落ちた。長次をじっと其れを目で追い青年の肘から滴が落ちるのを静かに見ていた。
長次は何も言わない。青年は可笑しそうに哀しそうに笑う。
「愉快だなぁ、長次。」
「………。」
 長次は理解が出来なかった。どうしてこの男はこんなに愉快そうに哀しそうに笑うのか。感情が矛盾した笑顔を浮かべるのか。
長次には徹底この男が理解出来ないのであった。この男が、長次の同室者の様に単純な奴であれば少しは違ったのかもしれないが、何せこの男は五年ろ組の鉢屋の様に飄々とした態度でもなく、級友の様に感情的でもなく、妄想癖でも冷静沈着でも無口でも打算的でも悪戯好きでも泣き虫でも自己中心的でもなく、況しては気狂いでもなく、感情が読めないだけの男なのだ。
この男はよく飄々としていると例えられるが、其れは違っていると長次は確信している。
「なぁ、長次や。」
「………。」
 もう何度この男に名前を呼ばれたのだろうか。四度目を越えた辺りから数えるのも億劫だったため適当に相槌を打ち適当に返していたため呼ばれた回数は判らない。
気が向けば適当に相槌を打ち適当に感情を出し、適当な言葉を選び、紡いでいた。
「…なぁ、長次や。私は、間違っていたのだろうか。」
 震える声にぱちりと意識が震えた。この男がこんなに弱々しくなるのは何時振りだ?少なくともここ三年は見ていない。尤も、組も違えば長屋も違うため本当は自分が知らぬだけで弱々しい姿を晒していたのかもしれない。そう思うと長次は人知れず胸が痛んだ。
「あの子は何時もきみの親友ばかりなんだよ。」
 お猪口を持つ指先が震えるのが薄い月明かりに照らされて視界に映る。お猪口の酒は一向に減る様子も無く男の細い指先のお猪口に膜を貼るだけなのであった。
「なぁ、長次。」
「…なんだ。」
 気が向いた。故に返事をしてやった。元よりこの男のように饒舌ではない為口を開くのは面倒極まりなく、傷に響くためあまり好んではいなかった。
しかし、其れを踏まえて返事をしてやったのだ。下らない話で有ればどうしてくれようか。
なんて思考を巡らせる長次の頬は紅潮して、ほんのりと酒のつんとした香りが辺りを包んでいた。長次が部屋に戻るのも時間の問題だろう。
「私はね、あの子を愛して愛して愛していた。恋なんかじゃあないんだ。愛していたんだ。」
 男はまるで譫言のように言葉を紡ぐ。
長次は黙って相槌を打つ。男は喉を鳴らして可笑しそうに笑う。
あの子とはどの子だろうか。否、答えは判りきっていた。
「なぁ、長次。」
「………なんだ。」
男の横顔は普段見る姿よりも一層弱々しく、儚く、其れでいて美しかった。
長次はひゅう、と小さく息を呑んだ。この男はこんなにも小さな男であっただろうか。
確かに男は自分からしたら線は細く色も白いが、其処らの男と何ら変わりは無い様に長次は認識していた。
特別女性から好かれる顔付きでも、男性から好かれる顔付きでも無い様に思える。強いて挙げるならばこの時代には珍しい女性優先を掲げていたくらいである。
そして、男は弱さを見せる様な人間では無かった。忍者のたまごとして六年間過ごせば弱さは不要と云う事くらい皆理解するが、強さが有る限り弱さは消えない。強さと弱さは対極的存在にして同等の存在なのである。
だからこそ、長次は男が小さな存在に見えてならなかった。
「なぁ、長次。」
「………。」
カラン、と音を発ててお猪口が男の手から地面に落ちた。
目を凝らせば地面には黒い小さな染みが広がる。ああ、酒を無駄にしてしまった。長次は心の中で小さく呟いた。
男は肩を震わせ、片手で顔を覆う。
「なぁ、長次。」
「……なんだ。」
「…辛い、なぁ…っ。」
弱々しく告げられた言葉に、長次は只黙って頷く事しか出来なかった。



































(自分を賢いとしてえらそうにものを言うよりは酒を飲んで酔い泣きする方がかえってまさっているらしいよ。)


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