短編 | ナノ


 可哀相な人だ。
 三郎は人知れずそう呟いた。

 ふわふわとした亜麻色の髪を背中に散らばせ自身の肩に頭を乗せるのはずっと前、と言ってもつい三年程前に学園を卒業した自身が尊敬して止まなかった男だ。
 在籍当初からふわふわとした髪を揺らし色素の薄い肌をほんのりと淡く染めながら笑い、後輩をよく可愛がる、忍者に向いていないのではなかろうかと思われる程優しく暖かい男であった。

「ねぇ三郎。君も卒業したら城に仕えるのかい?」
「…まだわかりません。」
「まあ、まだ時間はある。ゆっくりと考えればよいさ。」

 透き通るような美しい声が風に乗せられ自身の鼓膜を揺らす。
 距離感等無いにも等しいが、肩から伝わる体温は冷たく寄り添ってなどいないようにも思われる。
 風が戦ぐ度に男の猫のようにふわふわとした髪が揺れ、自身の級友を模したヘアピースも小さく揺れる。

 ゆるりと視線を男に向ければ、男は唯静かに雲が浮かぶ青空を眺め、時折小さく声を洩らす。
 もう何回も、数えるのも億劫になる程聞いたので何を言っているか等興味は無い。
 唯、男の呟きを耳に入れる度に何処か息苦しく、世界がぼやけてしまうのは未だに理解に苦しむ。

「ねぇ三郎。この前立花から美味しい氷菓子を貰ったよ。三郎にも食べさせてあげようと三郎の部屋に行ったのだけれど、三郎は留守にしていたみたいで溶けてしまったんだ。立花に何処の店の物か聞いておいたから今度一緒に食べに行こう。」
「…ええ、楽しみにしています。」
「ふふ、三郎は氷菓子が好きだからきっと喜ぶよ。ああそうだ、髪紐も買わなければならないね。久しぶりにお揃いの物を買おう。何色がいいかな?私は三郎の髪には青藤色が良く映えると思うのだけれど、私の髪には似合わないかもしれない。ねえ三郎は何色がいい?」
「私は何色でも構いませんよ。お揃いで買えるだけで嬉しいです。」
「相も変わらず三郎は謙虚だね。」
「そんなことはありません。」

 くすくすと綺麗に笑う男の視線は何処か虚ろ気で、何を見ているのか、何を感じているか等皆目検討もつかない。否、考えたくないと言った方が正しいのかもしれない。
 男から視線を外し足元にある水溜まりに視線を向け、水面に映る自身を嘲笑するように小さく笑うと、さらりと高く結った髪が揺れた。

 この男と似ても似つかぬ夜空のような黒髪に男の大きな瞳とは違う少しつり目がちで涼しげな目元。
 普段顔を借りている級友とは違う、もう見ることも話すこともないであろう元級友の顔。

「三郎、暑くないかい?三郎は暑いのが得意ではないだろう?暑くなったら言っておくれよ、」
「私は大丈夫です。」

 するすると喉から出る音は言葉となり空気を揺らし、鼓膜に届く。
 きゅう、と握られた手はひんやりと冷たく自身の熱を奪う。
 ゆらりと動く視線は自身に向けられることはなく、遠い何処かを映す。

 なんて馬鹿げたことをしているのだろうか。天才と謳われる鉢屋三郎がこんなことをしていてもいいのだろうか。何故自身がこんなにも苦しい想いをしなければならないのだろうか。

 もういっそ、全てを話してしまおうか。
 そうすれば自身はもうこんな想いをしないで済むのであろう。例えこの小さな男が壊れてしまったとしても、自身はこの呪縛にも似た時間から解放されるのだろう。

 すう、と酸素を肺に送り男に向けた音を言葉にしてやろうと口を開くと、男はくしゃりと顔を歪めて泣きそうに震えた声で自身の音を遮る。

「…もう、心配かけないでおくれよ。私は三郎が居なければ生きていけないんだ。なあ三郎、もう、何処にも行かないよな?私たちは、ずうっと一緒だよな?」
「……、」

 息が、詰まる。
 初めて交わった視線は矢張り自身には向けられていないが、その瞳に浮かぶ恐怖や焦燥に胸の奥をぐさりぐさりと刃物で刺されたような感覚に陥る。

 何回も離そうとした。
 何回も離れようとした。
 何回も消そうとした。
 何回も消えようとした。

 けれど、この瞳を見ると口が縫い付けられたように動かず、結局この可哀相な男の小さな背中に手を回し、思ってもいない言葉を紡いでしまうのだ。

「…私は此所にいますよ、兄さん。」

 本当に可哀相なのは、きっと私自身なのだろう。



優しくなくていい冷たくていい、ただ側にいてくれればいい

ねえ先輩。
先輩が私に愛してるよ、と言う度に胸が苦しくなるのをご存知ですか?
先輩が『私』に向けている愛を聞く度に、どうしようもないくらいに泣きたくなるのをご存知ですか?
ねえ先輩。
もう居ない人と私を被せてみている気分はどうですか?楽しいですか?嬉しいですか?
側に居るのに、優しさを向けられているのは私ではなく彼奴。
愛されているのは私ではなく彼奴。
何時か、何時か私を見てくださると信じていました。
彼奴ではなく、私として接してくださると信じていました。
信じていなければ、私は死んでしまいそうでした。

ねえ先輩。
私は彼奴なんかじゃあないんですよ。鉢屋三郎と云う名があるのですよ。以前のように『  』と呼んでください。私は先輩の弟ではないのですよ。
ねえ先輩。
私は先輩を愛してなんかいませんよ。
私は、私は先輩に、恋しているのですよ。



(ただ名前が同じと云うだけだった。ただちょっと変装をしていただけだった。ただ慰めたいだけだった。ただ側にいたいだけだった。)














懶惰さまに提出させていただきました。



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