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「え、雪山を超えないとフリッシュに入れない?」
 ひと段落して隅のテーブルに四人で座って――勿論四人とも手にはノーム茶を持っている――フェンリルさんに事情を話すと、彼は腕組みをしながら溜息を吐いた。
「ああ。最近、山の気候も悪くなっている。恐らくバオアーの寒冷化もその影響だろう」
「でもなんで……フリッシュを守護してくださっている大精霊様は、ウンディーネ様ですよね。昔本で読んだんですけれど、優しく美しい女神さまだって」
 なのに、他国を困らせるようなことをするだろうか。少しの沈黙の後、フェンリルさんが口を開いた。
「確かにそうだ。彼女は気高く孤高の女神だが、ウンディーネ様は同時に強大な力もお持ちなんだ」
「強大な力……」
 フェンリルさんは頷いた。隣で小さくエコーさんが耳打ちする。
「フェンリルは大精霊の中でも、ウンディーネ様びいきで教会にも通ってる敬虔な信者なの。フリッシュの奴らは自国の女神さまに強い信仰心を持ってるんだよ」
 なるほど。確かに各国でも大精霊信仰はあったが、フリッシュはそれが顕著な国なのだろう。フェンリルさんは続けた。
「かの大精霊戦争でも、ウンディーネ様はフリッシュを一瞬で氷の国にしてしまった。他国との干渉を避けるためにだ」
「氷の国に……」
 そういえば、聞いたことがある。戦争を止めようとしたウンディーネ様は、他の大精霊にその申し出を断られたことで国を閉ざしてしまったと。
「あの御方は何時だって平和をお望みだ。だが力が強大で持て余していらっしゃるのかもしれない」
 彼の瞳には心配の色と、悲しみの色が写っている。まるでそれは、己の恋人に思いをはせるかの如く。
「フェンリルさんは、愛国心が強いんですね」
「俺だけではない。フリッシュの国民はみなそうだ。イリスにはないのか」
「わたし、は――」
 ハイスヴァルムへの愛国心。あるだろうか。
「……解りません。私、あの国にはあまり、いい思い出が無いから……」
「……そうか。悪い事を聞いた。すまない」
「いいえそんな! 大丈夫です、私こそごめんなさい」
「と、とりあえずさ、その豪雪の雪山ってどうやって越えるの? 陸以外に道があるわけ?」
 エコーさんが隣で言う。助けてくれたのかもしれない。
「いや、ない。雪山越えは至難を極めるだろう」
「そうか。でも、俺たちは行かなきゃならないんだ」
 フレイムさんの言葉に頷く。ハイスヴァルムの反乱分子は一体何をするつもりなのだろう、解らないけれど、止めなくてはいけない。平和を望むフリッシュに行った可能性もあるなら、なおさらだ。
「俺も同行しよう。初心者のお前たちだけでは恐らく超えるのは不可能だろうし、俺とてバオアーの現状を教会に報告しなくてはならない」
「んじゃ、今日はぱーっといこ! 明日から大変なわけだし!」
「……しょうがない奴だな、ほんとお前は」
 大きな溜息を吐いてフレイムさんが言う。フェンリルさんも頷いた。
「まあ、夜に雪山を超えるのは危険だ。明日一気に攻めた方が良いだろう」
「いやったー!! じゃあ俺ねえ――」
 エコーさんがお酒を飲み始めたのを皮切りに、今までの野営生活を吹き飛ばすかのごとくとにかく食べて飲んで、ちいさなパーティーの様になった。フレイムさんも少しではあるがエコーさんの飲み物をもらったようで、頬に赤みが差していた。私はフェンリルさんと一緒にノーム茶や果実のジュースなんかを頂いた。サラダや何かわからない生き物のから揚げなんかも食べたがどれもおいしくて、みんなの笑顔が咲いて、私も楽しく食事が出来た。
 こんなににぎやかな食卓は一体いつぶりだっただろう。
途中で眠ってしまったエコーさんを抱えたフレイムさんが申し訳なさそうに眉を下げる。
宿は取れはしたものの、女の私の泊まれる宿があまりなく――私はいいといったんだけれど、何処も少し汚いらしい――少し離れた場所にあるホテルを借りることになった。フェンリルさんがそこまで送ってくれると申し出てくれたので、フレイムさんはエコーさんを送ることになったのだ。

「こいつ、宿にぶん投げてくる。悪いなイリス、部屋まで送ってやれなくて。後から必ず行くから」
「大丈夫ですよ、風邪ひいちゃいますから布団掛けてあげてくださいね」
「ああ、解った」
「心配するな。彼女は俺が見ている」
「え、私そんな、大丈夫ですけど」
「いや、君の事だ。またどこかに行かれても困る」
「何処にもいきませんよ……」
 バオアーでのことを心配されているのだろうか。恥ずかしくて顔が赤くなるのが分かった。
「じゃ、頼んだフェンリル。お休み」
 ふにゃりと力の抜けたエコーさんを軽々抱えながら歩いて行くフレイムさんを見送り、私とフェンリルさんは顔を見合わせた。小さくほほ笑むと、彼も目を細めてくれた。
「行くか」
「はい」
 夜風が肌に冷たい。雪山仕様の服を着ているとはいえ、顔は風にさらされるのだから仕方ない。ひんやりと冷たい頬を如何にかしようとマフラーをまくり上げる。
「息が出来ないだろう」
「でも寒くって」
「君はハイスヴァルム出身だったな」
「はい、そうです」
「それにしては、肌の色が違う」
 ――そうなのだ。私はハイスヴァルム出身でありながら、白い肌に生まれてきてしまった。
「そう、なんです。両親は、ちゃんと褐色の肌でしたけど、何故だか私だけ」
「そうなのか。大変だっただろう」
 フェンリルさんぱきりとした口調で私に語り掛ける。氷のように冷たいそれは、それでも内包した熱を感じさせた。
「――両親には、虐待されていました。でも、私が10歳になる歳、ハイスヴァルムで内乱があって、みんな死んでしまいました」
 両親も、親戚も、みんな。みんなあれで死んでしまった。
 母にも父にも、疎まれて、親戚にもかわいがられず。私は家族の愛を知らなかった。
「そうか」
「はい。それから3年はハイスヴァルムの孤児院にいましたが、そこも危なくなって。ミッテツェントルムの精霊教会様が受け入れてくださいました」
「そうか。辛かっただろうな」
 フェンリルさんは立ち止まった。ホテルの明かりがちらちらとさざめいている。
 夜更けの色の瞳が、私の事を映し出している。
「だが、君は悪くない。悪いのは差別を喫する人間の方だ」
「――フェンリルさん」
 彼の白い指がすっと伸びて、私の頬に触れた。暖かい指だ。
「俺もずっと考えている。人は何故、平和でいられないのかと。君はどう思う」
「私、は――」
 どうして人は争うのだろう? どうして種族同士で分かり合えないのだろう?
 どうして、どうして。
「まだ――解りません。でもきっと、人は、生き物は。平和でありたいはずです」
 フェンリルさんは少し黙った。そしてその後、ふっと小さく微笑んだ。
「君はいい子だ。寒いだろう、頬が冷たい。ホテルに入れ。俺がここに居る」
「でも、フェンリルさんは寒くないですか」
「大丈夫だ。早くお休み、イリス。良い明日が来るだろう」
 そっと頬を撫でて指が去っていく。私は頷いて、ホテルに入った。暖かい。振り返ると、フェンリルさんの後ろ姿が見えた。
 氷の国の温かい人。
 彼もまた。きっと平和を望んでいるのだろう。私は暖かな布団に一人包まれながら、彼の言葉を復唱した。
「良い明日が来ますよう」


 
Flish Episode2
【Once in a blue moon】






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