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船員らの掛け声が遠くで聞こえる。私は体を起こした。
 ああ、いつの間にか眠ってしまっていた。服がしわになっている。私は仕方なしにスカートのすそを引っ張りながら――勿論そんなことに意味はないとわかっているが――立ち上がった。ポケットでくしゃりと潰れている花飾りを取り出し、申し訳程度に備え付けてある鏡の前に立つ。後ろで縛っていた髪を解き、後ろに流した。
ああ、シャワーでも浴びられたら。そんな贅沢な事を思いながら、二つの白い髪飾りを耳の上に添えてみる。いいかもしれない。
 伸びてしまった銀の髪をそっと取り、両サイドで纏める。ツインテールなんて歳でもないし、背に掛る髪は残して、結い上げた。やはり、気恥ずかしい。
 船室の外に出ると、フレイムさんが扉の横に立っていた。私は驚いて飛び上がる。
「きゃ! 何でいるんですか!」
「いや、遅いから心配になって……」
「……生きてますよ」
 まるでボディーガードのようだ。フレイムさんは私の方を見ると、少し驚いた様に目を丸くして、その後すぐに破顔した。
「やっぱり似合うな、その髪飾り。かわいいよ」
「え、あ、ありがとうございます」
 頬が熱くなるのを感じる。ほめられると恥ずかしい。
「どうした?」
「なんでもありません!」
 不思議そうなフレイムさんの後ろに、砂漠が見えた。
「もうハイアンに着いてる。降りるぞ」
「はい」
 子供の様にまた手を引かれ、船を降りる。懐かしいような、そうでないような故郷の空気。乗船時と同じように、船を降りる手続きもフレイムさんがしてくれる。私は本当に何も知らないのだと、思い知る。
 戻ってきたフレイムさんと連れ立って、ハイアンの町の中に入る。港町の賑わいは何処の国も変わらない。マディスと同じように、人でごった返していた。少し歩くと、趣きのある宿屋が見えた。
「イリス、船旅で疲れただろ。俺は師匠に連絡を取ってくる。この宿で休んでてくれ」
「あ、はい。いってらっしゃい」
 フレイムさんのかぶっていたマントを着せられて、宿に一人残された。ハイスヴァルムはあまり文化の発達した国ではないが、流石は交易のハイアン。この宿は随分設備がしっかりしているようだ。外の熱風が嘘の様に涼しいし、観葉植物まで置いてある。行き交う人は商人のようだ。
 ロビーの椅子に腰かけ、辺りを見回していると不意に視界が陰った。見上げるとそこには男の人が立っていた。ハイスヴァルムらしいガタイの良い男性。もしかしてこの人が師匠さんだろうか。
「お嬢ちゃん、こんなとこで何してるんだ?」
「人を待っています」
「へえ〜。じゃあ、その人の所に連れて行ってやろっか」
「え。師匠さんを知ってるんですか! もしかしてフレイムさんの兄弟子の方……?」
「そうそう。師匠は外で見たぜ。さあさあ」
 男の人に促され、私は立ち上がった。立ち上がった、つもりだった。
「あれ、」
 私の方には誰かの手が乗っている。子供の、手だ。
「これこれ。そういった古典的なやり方は感心せんぞ?」
 私の隣から聞こえたのも、やはり子供の声。見上げると、そこには案の定少年が立っていた。
 年の頃は15くらいだろうか。フレイムさんと同じ褐色の肌に、彼よりももっと燃えるような赤の髪。火の色だ。その髪を右耳の横で一本三つ編みでたらし、金色の石で止めてある。目の色は金色。きれいな子供だ。そう思った。
「何だガキ。すっこんでな」
「ほほー。これは面白い。ガキにガキ呼ばわりとは。くくく」
「あぁ?!」
 私は相変わらず少年の手に抑えられ、立ち上がれない。この子の何処から、こんな力が出ているのだろう。
正直、とっても逃げ出したい。
「よしよし解った。わしが相手になってやろう」
「わし?!」
 思わず突っ込んでしまう。15歳の一人称が「わし」の子になんて、未だ嘗て逢ったことが無い。いきり立って外に出て行く男の人の後に付いて、少年が扉に向かう。ふっと顔だけ振り向いて、彼は笑った。
「お前は見ているがいいよ、女」
 言葉を無くす私を尻目に、彼は扉を開けて出て行った。
 固まった体を必死に動かし、私もその後に続く。外では2人を囲んで人だかりができていた。できれば無関係を装いって逃げたかったが、少年は私に手を振るし観客は盛り上がるしでどうしようもない。
 少年は腰に差した、身の丈に全く合わない大剣を軽々と振って見せた。
「あ、れ――この人……」
 胸にふわりと広がる熱、懐かしい。そう、懐かしいという感情だ。勿論初対面の少年に、何故。
「死ね!」
 汚い言葉が砂塵を切る。少年は動かなかった。ただ、ひゅ、と手首を返しただけ。
 勝負はついていた。男の人の喉元には、大剣の切っ先が食い込み、彼の剣は根元から折れている。その場にへたり込む男の人を見下ろし、にいっと少年は笑った。
「修行が100万年足りんのう」
 尻餅をつきながら逃げて行く男の人。私はもとより、観客もひたすら呆気にとられていた。少年は私に近づいてくる。
「まったく危なっかしい女じゃの。わしが来なければどうなっていたか」
「あ、はい、あの、ありがとうございます」
「ふふん、まあよい、おっ?!」
 腰に手を当てて威張っている少年の体がふっと宙に浮かんだ。摘み上げられているのだ。
「おいサラマンダー、降ろせ!」
「師匠。勝手に出歩くなと、何度も申しあげたでしょう」
「すまんすまん、だから降ろせ!」
 後ろに立っていた人はぱっと手を離した。少年は地面に器用に着地して、後ろを振り向く。そこには、臙脂色の髪に、顔の半分を口布で隠した青年が立っていた。髪の感じが、どこかフレイムさんに似ている。
「え、師匠……?」
 ちょっとどいてくれ、と耳に慣れた声が聞こえる。人垣をかきわけて、フレイムさんが戻ってきた。ああ、よかった。本当に良かった。
「この騒ぎは……って、師匠?!」
「おおフレイム、久しいのう」
「兄者まで……どういうことですか?!」
 予感は的中。矢張りこの人たちがフレイムさんの師匠と兄なのだ。背の高い青年の方が、ふうと溜息を零す。
「師匠、此処では何ですから、中で。部屋を取ります故」
 先程までいた宿を指さす。明らかに、周囲からの注目を浴びていることに今気が付いたような少年は、ギャラリーに手を振りながら我先にと宿へ入った。その後に、兄弟子の青年。フレイムさんは私と目を見合わせて肩をすくめてから、私の背を押した。
 部屋はまた綺麗な様相で、特産の模様の入った綿織物の布団やタペストリーが目を引く。ソファにふんぞり返る少年の横に青年――サラマンダーさんというらしい――が立ち、私とフレイムさんはベッドに腰かけた。
「フレイム、この少女と知り合いか? 任務中に女と密会とは、あまり芳しくないな」
 サラマンダーさんがフレイムさんを見つめる。慌てたようにフレイムさんが手をぶんぶんと振った。
「違うんだって、そういうんじゃ……」
「そうですあの、私……!」
「まあまあ、事情が有ったんじゃろ。どうしたんじゃ」
 師匠さんの言葉にほっと肩を落としてフレイムさんは私に頷いて見せた。
「彼女はイリス・ルイ。ミッテツェントルムの例の教会にいた孤児で、唯一の生き残りです」
「ほう」
 師匠さんは興味深そうに大きなアーモンドアイを細める。
「イリス。師匠と、兄弟子のサラマンダーだ。二人とも俺の信頼する先輩だよ」
「あの、イリス・ルイです。よろしくお願いします」
 頭を下げると、師匠さんは人懐っこい笑顔を浮かべる。フレイムさんと似ている気がした。サラマンダーさんは表情を崩さず、ずっと私を見ている。いたたまれなさを感じながら目を伏せた。
「師匠さん、こんな子供なのに、すごいですね」
「ははっ、子供とは。わしは、お前よりずいぶん年上じゃ」
「え、あ、すみません」
「非礼な」
「ご、ごめんなさい」
 訝しげに潜められた眉にびくりと肩が強張る。師匠さんはサラマンダーさんをちらりと見た。こくりと一度、彼が頷いて外へ出る。重荷が下りたように肩が軽くなった。私はげんきんだ。
「気にせんでよい。奴は少々頭が固くてな。良い奴なんじゃがの」
「いいえ、私が失礼なことを申し上げたから」
 それにしても、どう見ても15やそこらにしか見えないこの少年が一体いくつなのだろうか。師匠さんはソファから勢いよく立ち上がり、私の目の前に立った。視線がかち合う。金の光がすっと煌いた。
「運命とは、かくも面白い物か」
「え?」
「いいや、こちらの話じゃ。フレイム」
「は」
「イリスに着いて行け」
「えっ」
 私とフレイムさん、二人の声が被った。
「イリスも一人で旅では心細かろう。フレイムが付いて行けば万事解決じゃ」
「え、いや、でも……申し訳ないですし」
「いいんじゃいいんじゃ。フレイムにも仕事があるからの。その同行と思ってくれ。いいな、フレイム」
「……は」
 そう言って師匠さんは私たちに背を向けた。
「ああ、詳しくはサラマンダーから話させる。達者でな」
夕暮れの蜜色が、ふっと金の飾りを煌かせた。


Highthvalm Episode1 
【The view where we had were not changed】






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