→仁王にバレンタインに食パンを与えてみた、その翌日


銀色の髪がひょこひょこと揺れる背中を視界の奥の方に小さく捉える。初めに抱いた疑問は近付くにつれて、目測二十五メートルまでの距離に縮めたとき確信に変わった。立ち漕ぎに切り替えて加速しその横に付くと、仁王はあまり驚いた様子も無くこちらを振り向いた。

「おはようさん」

仁王は授業中に寝ることもしばしばあるけど、朝起きるのは早いらしく(寝覚めが良いかどうかなど私の知ったところではないが)遅刻しているのは見たことが無い。それがうちのテニス部が朝練をほとんど毎日組むほど強かった所以かどうかもまた、知る由も確認する術も無く。

「ところで、昨日のアレはなんじゃ」
「……アレ?」

昨日、何かしたっけ。惚けるわけでもなくゆっくりと昨日を想起してみる。…怒られるようなこと、しただろうか。

「食パン」
「…ああ!」
「自分だけ忘れるとはまた都合の良い脳味噌じゃの」

そんなんじゃない、と否定できるほどマトモじゃなかったのは彼の表情から直接見て取れた。ちくりと刺すような嫌味を受け流せるほど大人でなかったので、不満を頬に詰め込んだ。

「…そんなんじゃないんだからね!勘違いしないでよね、ただ準備する時間が無かっただけなんだからね!」

「どこにも勘違いの要素が見当たらんが」
「分かってないなあ、気持ちが込められてるんだよ。大事なのはモノじゃなくて、愛なんだよ」たとえ、友達や義理で配ったものと一緒であっても。
「ほう…あの食パンのどこに彼氏への愛があったのか是非教えて欲しいのう」

そりゃあほら、全体的に!

自信満々に渾身の笑みを作ったら、無表情にグーで肩パンされた。明らかな加減の色がありありと見えたがそれでも痛いものは痛い。いつの間にかあたかもそこにあるのが自然であるかのように存在する私の自転車籠の中の仁王の鞄くらい理不尽だ。こっそり放置しておいてやろうかと魔が差したが後が怖いのでやめた。さっきのグーパンの二割増でも食らいたくない。

「あれ、マジに拗ねてます?」
「拗ねとらん」
「じゃあ、怒ってます?」
「怒っとらん」
「じゃあ、なに」
「…べっつに」

こういうとき仁王は意地になる。つん、とそっぽを向いて私と目をあわせようとしない、というかむしろ合わせまいとしているそれが何よりの状況証拠だというのに。でも、ちょっと可愛い。そんな本音を口にしようものなら、ご機嫌が倒れるか調子に乗るかの究極の二択だがどちらも御免だし、そもそも私がそんなこと言えそうに無い。赤信号を前に当たり前に二人して立ち止まる。
車線のギリギリまでで止まった彼と、自転車ごと一歩半ほどその後ろについた。彼の名前を何事も無かったように呼びかける。振り返らないまま、応える。

「なんじゃ」
「やっぱり甘いのより苦いのがいい?」
「甘いのでええ」
「やーい、子ども舌!」
「喧嘩売っとるんか」

信号が青になって、ワンテンポ先に歩き出した仁王の後ろを自転車を引いて追いかける。私の週末をよくも、と言ってやりたい気持ちとそれと真逆の気持ちが心の中でせめぎあっている。ふと通り過ぎたパン屋から、ほんのりとカカオ独特の匂いが香った、気がした。


◎バレンタインないない
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