※〇〇消失設定


窓の外はどんよりと曇り、見るだけで気が滅入るような天気だった。なら見なければ良い話なのだが、ココにはそれ以外に見るものも特に無く、それに今の俺に動かせるのは自分の両目ぐらいだったからそれぐらいしか暇を潰すようなものは無かった。


「音無さん…」


不意に名を呼ばれた。のろのろと見上げるとすぐ目の前には直井が立っていた。いつ入ってきたのだろうか。もしかしたらもっとずっと前からこの部屋にいたのかもしれない。それなら悪い事をした。でも仕方ない。出迎えようにも動けないんだ。


「…直井、」

久しぶりに口を開いた。何故か声が枯れている。どうしてだろう。分からない。どうして俺はここに居るのだろう。どうして動けないのだろう。

そういえば、何かが足りない気がする。何か、というより、誰かと言った方が正しい気もするが。


(…ああ、ああそうだ)



「直井、直井、……日向は?」



そう聞くと、直井は顔をくしゃくしゃにして抱きついてきた。抱きしめ返したいけど、手が、腕が動かない。無理矢理動かそうとするとガチャガチャと激しい金属音。手錠だった。どうやら何処かに繋がれているらしい。それでも構わず強くなるぬくもり。


(…あれ?)


こんなやり取り、前にもしなかったか?








「なぁ直井。これ外してくれよ。これ、邪魔で動けないんだ。なぁ、直井?」


耳元で嗚咽が聞こえる。
直井は泣いていた。なんで泣いてるのかは俺には分からなかった。

「直井?泣いてるのか、直井?なぁ、日向は?何処に居るんだ?俺行かないと。アイツのとこ、行かないと」
「音無さん…!!!」


そうやって直井は真っ赤に充血した眼で、俺の肩を掴んで真っ直ぐと俺の瞳を見つめてきた。そして少し躊躇う素振りを見せた後、ゆっくりと、だけど確実にその言葉を紡ごうと、紡ごうと、紡ごうと、




(…あ、駄目だ。これ、聞いちゃ駄目だ)




直感だった。だけどこれを聞いたら、俺はまた、確実に壊れるような気がした。



…また?…また、か。



(そっか、"また"、なんだ。"また"、なのか)



「直、井。やっぱ、やっぱいい。何も言うな。言うな、言うな」
「…駄目です。音無さん。ちゃんと聞いてください…!」
「いや、だ。イヤだ嫌だっ…。直井、やめてくれ…!」
「…っ!音無さん…!」


手首が擦りきれて痛い。頭にはでっかい警報みたいのが鳴り響いて俺の思考の邪魔をする。そのままぐちゃぐちゃにしてくれたら良いのに。目の前は充血だけじゃなく、黒目いっぱいに広がった直井の真っ赤な瞳。瞳。瞳。


瞳。瞳、―――真っ赤な瞳?



違う、違う。



いつも俺を真っ直ぐと見つめる瞳は、


あおい、青い、蒼い、


(空の色、だったのに)








「…アイツはっ…!…日向は、一週間前に…、消えたでしょうっ…?」



****




「直井くん。音無くんの様子は?」


この戦線のリーダーであるらしい女は、僕がこの部屋から出てくるたびに同じ質問を繰り返し問うてくる。


「…何も、変わっていない」


数を数えるのも億劫になる程投げ掛けられるこの問いは、いつも同じ答えで終わる。もしもこの問いにもっと違う答えを返せたなら、こんなモヤモヤした陰鬱な思いなんてしなくて済んだのだろうか。

(…いや、違うな)



「じゃあ…、」
「また、僕の催眠術で治したし、手錠もかけてあるから前のような自傷行為にも至っていない。だが、それだけだ」
「…また、壊れてしまったのね」
あの人は、僕が催眠術で思い出させたアイツの最期の瞬間を、"また"受け止める事は無かった。


ああ、"また"壊れたんだ。

僕が"また"、壊したんだ。



「……貴方のせいじゃない。本当はこんなことしたくなかったし、させたくなかったわ。だけど、」
「分かっている。これは僕にしか出来ない事だ」


(僕だけが、あの人の為に)


だから僕は止めない。
そして、誰にも止めさせない。


「今私たちが音無くんにしている事は、彼にとって最も辛く、えげつない選択ね」


本当は、僕だって忘れさせてあげたい。だけど、それじゃ駄目なんだ。



それだけじゃ、駄目なんだ。



「…困るんですよ」
「え?」
「なんでもない。今貴様がここに居ても無駄なだけだ」
「…そうね、本部に戻るわ」

そう言いつつも本部に向かおうとする女の足は少し止まり、僕の方を振り向かないままこう言った。

「…本当に、ごめんなさい」

あの人にか、はたまた、僕に向けたのか。分からないまま女はそれきり何も言葉を発する事もなく、そのままこの場をあとにした。


女が去っていった方向に背を向け、模範生の証である学生帽を深く深く被り赤く充血した目を隠すようにする。廊下の電灯は点いておらず窓からの曇り空の薄暗い明かりだけが頼りのその廊下には、僕一人だけとなった。




「困るん、ですよ…。催眠術なんて小細工じゃなくて、」


ちゃんと自分で、アイツの事を受け止めてもらわないと。


確かに、毎回のごとく貴方はアイツが消えた事を忘れていて、アイツだけを頼って、アイツだけを捜して、そして僕も毎回のごとく、その事実に絶望する。時には涙を流すときだってある。だけど、


「…それが続く限り、僕が、僕だけが、貴方に…!」




そしてそして、そのまま壊れてしまえばいい。


そうしたら、僕が治してあげるから。


僕だけが、直してあげるから。














静かに佇む少年の口元は醜く歪んでいて。

学生帽から僅かに覗くその瞳は、赤く赤く、爛々と光を灯していた。




少年は笑っていた。





少年は嗤っていた。






きみがため



(ああ、滑稽)
(それでもまた、明日会いましょう)
(明日も明後日も明明後日も、)
(僕には貴方だけで、貴方にも僕だけなんだから)
(空なんて、忘れてしまえ)



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