※音無消失設定
音無が、消えた。
突然、だったんだ。
アイツが記憶を取り戻して、そのとき、何か呟いたのは分かった。
そしたら、こちらを振り向いて、今までに見せたことのない、優しさと慈愛に満ちた表情で、俺達に…俺に笑いかけてきて、それから、それから、
――――消え、ちまったんだ。
周りにいた戦線メンバー達も、何があったのか理解出来ないといった顔で、しばらくの間、呆然と立ち尽くしていた。勿論それは俺も同じで、理解出来ないというより、理解したくないという気持ちの方が、強かったというのは覚えている。
「そう…。音無くんは、納得したのね…」
どれほどの時間が経っただろうか。ゆりが、ポツリと呟いた。目をやると、ゆりは、アイツが、音無が消えた跡を見据え、納得のいった、それでいて何処か諦めの入った、そんな顔をしていた。
(そっか…アイツ、納得しちゃったのか)
俺達が残されるってぇのに、納得するなんて、酷いやつだな、全く。
心では、こんな軽口叩けるのに。
なぁ、どうしてだ。
喉がひきつって、何も話せないんだ。
****
朝。
あれからもう5日が過ぎた。
それからの俺達はというと、表面上ゆっくりと日常を取り戻していった。とはいっても、岩沢の時とは違い、もろに消失の現場に居合わせちまった俺達は、皆一様にどこかしら調子を取り戻せないでいた。
(にしても、暇だな)
ブラブラと校舎内を歩き回るが、いかんせん、今は授業中。NPCどころか気まぐれで授業に出ている奴も含め、俺が歩く廊下には人っ子一人居なかった。
(暇、すぎる)
それからも俺は、本当にやることがないようで、意味もなく校舎内や食堂、更にはグラウンドなどといった室外にまでブラブラ訪れていた。
(…しゃあない、ひさ子んとこの麻雀にでも混ぜてもらうか)
何故最初から思い付かなかったのだろうか、自分でもおかしく思っていた頃、キーンと、グラウンドにいてもハッキリと聴こえるチャイムを認識すると、今までとは違いハッキリと行き先を定め校舎へと戻ろうと踵を返した。そして、
「…え」
そして、振り向いた時、俺の目が確かにあの橙を、捕らえた気がした。
「音っ…!!」
追いかけて追いかけて、必死になって、
(音無…音無っ音無音無っ…!!)
そうやって掴んだ手の持ち主は、
「え…あの」
見たことのない、きっと今俺が追いかけなかったら、一生逢うことのなかったであろう、しがないNPCの、一人だったのだけれど。
どうして、捜そうなどと、してしまったのだろうか。
どうして、追いかけなど、してしまったのだろうか。
俺の剣幕にビビったNPCは、そそくさと逃げて行ってしまった。勿論、その時の俺にはそんな事に気づく余裕も無く、ましてや間違えた事を謝るなんて思考すら浮かんでこなかった。
気づくと、俺は全力で走っていた。纏まらない頭の中で、微かにチャイムの音が聞こえた。どうやらまた授業が始まったらしい。そんな事を考えてる内に、俺の足は、先程決めた目的地とは全く反対の方向に進んで行く。自分でも何をしてるのか分からない。何がしたいのかも、何処に向かっているのかも。そうやって、息を切らせて辿り着いた先は、見覚えのある、自動販売機が連なって置かれている場所だった。販売されているのはどれも、学生用に安くなっている。種類は、ミネラルウォーター、烏龍茶、炭酸類、そして、―――缶コーヒー。
(このコーヒー…)
少し深呼吸し自販機に近づいて、そっと、プラスチック越しにコーヒーの文字をなぞる。
(ああ、そうだ、)
アイツが、よく飲んでたヤツだ。
『なんだよ、またソレかよ』
『…ん、なんだよ、悪いか』
『いや、悪いとは言ってないけど、お前いっつもソレ飲んでるよなぁと思って』
『…そうか?』
『そうだよ。そんなに美味いのか?どれどれ、俺にも一口飲ませろっ』
『うわっ。ちょ、お前いきなり掴むなよ…溢れるだろ』
『はいはいごめんごめん…と、んー味は普通だな。むしろちょっと甘過ぎねぇ?』
『いいんだよ。俺にはコレが丁度なんだよ』
『音無ってもしかして、甘党?』
『…そうだけど』
『やっぱか!…じゃあさ俺、デザート食べ放題の良いとこ知ってんだけどさ、今度一緒に行ってみねぇ?』
『食べ放題って…、学校内でか?』
『ちげぇよ。外だよ』
『外ってお前、俺達もう…』
『分かってるよ。だから、来世に生まれ変わったらって話。今のうちに約束だ』
『約束って、来世にどうなるのかも、まだ俺達にはわからないじゃないか』
『あ、そっか』
『あほ日向』
『あ、あほって言うなよ!』
『……まぁ、覚えててやるよ』
『え、なんか言ったか?』
『なんも言ってねぇよ。ついに耳までアホになったのか、お前』
『だからアホって言うなよ!』
たわいもない会話だった。
随分前に交わしたものだったと思うが、不思議な事に俺の脳は、一字一句、間違えることなく再生することが出来た。
俺自身、そんなに甘い物が好きかと聞かれればそうでもなかった。でも、そんなこと忘れるくらいに、アイツと外に出られることを夢見たんだ。
(あ、)
あの時、呟いてたの、何なのか分かった。
「約束」だ。
アイツ、そう言ったんだ。
俺との約束、守るつもりなんだ、アイツ。
「…めん…ごめん…ごめん音無…!」
自販機にすがりつき、ズルズルと崩れ落ちる。
そして俺は、懺悔するかのように、何度も何度も、許しを乞う言葉を吐き出した。
「俺、俺…!忘れようとしてたっ!そのままお前の事、消そうとしてた……!」
最低だ。
お前が消えてもまわる日常の中で、それにかまけて、お前を、お前がいた跡も、なにもかもそのまま、無かった事にしようとしてた。
今日やけに暇だったのは、隣にお前が居なかったから。
ひさこ達との麻雀を思い付かなかったのは、お前がいたときは、そんなこと考えたこともなかったから。
橙を見つけて思わず走り寄ったのは、
あれからいつも、頭の何処かで、お前の事を捜していたから。
(あの、笑顔は、)
あの、優しさや慈愛に満ちた、あの微笑みは。
『待ってるから』
(だから、あの笑顔、なのか)
何が酷いやつ、だ。
俺の方がよっぽどか酷いじゃねぇか。自分から誘っておいて。
今更気付いた。
でも、ちゃんと気付いた。
「…待ってろ、音無」
膝に力を入れ、立ち上がる。
(忘れないさ。俺の隣は、今までも、これからも、お前だけだよ)
思わず買ったコーヒーは、相変わらず、甘ったるくて。
その甘ったるさが、確かに君はココに居たんだと、証明してくれている気がした。
きみがいないとだめなのです
(俺がいないと、どこの店行くのかわっかんねぇだろ)
(あほ音無)
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