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「シンタロー、助けて……!」
「わっ! な、なんだよ急に……」


買い物を終え、相も変わらず狭い通路を歩いて107と書かれたドアの前で立ち止まる。
本当に日あたりの悪い土地だ。まあ、立地条件を合わせると秘密基地にするには持ってこいと言ったところだろうか。
ひと呼吸おいてドアを開けると、目の前に現れた赤いジャージ姿の青年……シンタローだ。
私は手にしていたスーパーの袋をぞんざいに床へと落とすと、すがるようにその体へと抱きついた。思いがけない行動だったのか、シンタローはたじろぎながらもそっと片手を背中へと回して抱きとめてくれている。


「……課題」
「課題?」
「夏休みの課題、教えてくれない……?」


シンタローは私より1つ年上だ。年上だからを理由にするわけではないが、見た目や生活態度にそぐわず、意外と頭がいい。学校へ普通に通っていた頃は100点のテストなんて見飽きるほどにあったという話。
以前にも何度か勉強を教えてもらったことがあるが、たしかにそれは事実と言っても過言ではなさそうだった。
夏の暑さに負け先延ばしを繰り返していたところ、終わる見込みがないほどに溜まってしまった課題。もはや自分ひとりで片付けるなんて無謀とも言えるくらいだ。


「……だからあれだけやれって言っただろ」
「だ、だって! シンタローだって教えてくれなかったじゃない!」
「いや、だから課題は自力で……はあ、もういいや」


落とされたスーパーの袋を拾い上げ、奥の部屋へと足を進めるシンタロー。頭上に疑問符でも浮かべるようにシンタローの背を見つめていると、無愛想な顔だけをこちらに向けた。
「課題、やるんだろ?」そう言い残してさっさと歩いて行ってしまう彼の後を追いかけ「ありがとう」と満面の笑みでお礼を言う。もっとも、笑顔を向けたところで見てくれるというわけでもないことは分かっていたけれど。


* * * * *


「違う、それはこっち」
「こ、ここ?」


私の一番苦手な教科は数学だ。教科書を開くことすら抵抗があるくらい。高校生にもなって少数や分数の計算が苦手だなんて我ながら笑えてくる。
そうは言ってもこの小数点というやつがどこにつくのか……未だに理解ができない。


「点の後ろに数が3つあるだろ? この数字分、点をここから動かすと……」
「……あ、ほんとだ!」


私が分かりやすいようにと解説を書き加えながら進めてくれるシンタロー。
どうして今までわからなかったのかと思ってしまう程、簡単な問題ばかりで改めてシンタローはすごいと感心してしまう。


「すごいね、シンタロー」
「い、いや……このくらい簡単というか、できて当然というか」


褒められるという行為に慣れていないのか、視線をキョロキョロと落ち着きなく泳がせながら、わずかに頬を赤く染めているようにも見える。その姿を見ているとなんだかこっちまで和やかな気持ちになる。
勉強しているということですら忘れてしまえそうなくらい、穏やかでゆったりとした時間。いつもこんな気持ちでいられるのなら私はもっと、数学とかいうやつが好きになれたのかもしれないけれど、今更なにも変わらない。


「えー、もっと自信持っていいんじゃないかな? 人に教えるのって難しいって言うし、それに……」
「なまえ」


ふいに呼ばれた名前に反応するように声のする方へ顔を向ける。いつのまに現れたのか、そこには少しだけ機嫌の悪そうなカノがニコニコと貼り付けたような笑みを浮かべて立っていた。
おそらくお得意の“目を欺く”能力を行使しているのだろう。付き合いが短いとも言い切ることのできない私には少し注視すればある程度は見抜くことができるのは確かだが、こうも簡単に見破れることから推測するに、おそらくカノは今、相当機嫌が悪いとみた。


「んー? あ、カノも一緒にやる? 勉強」
「いや、僕は遠慮しておくよ。それより……シンタローくん」
「はい?」
「なまえ、返してもらうよ」


着座姿勢からものすごい力でカノに腕を引かれ半強制的に立ち上がる。それとほぼ同時、腰に添えられた手がぐっと身を引き寄せるように抱くと軽いリップ音とともに訪れる、額に温かくて柔らかな感触。
これがキスだという事実に気づくまで思いのほか時間がかかった。


「は、はあ……」


唐突なカノの行動に思考がついていかないのか、呆気に取られたような表情でこちらを見つめたまま、完全に動かなくなるシンタロー。そんなシンタローの間抜けな形相を見つめながら可笑しそうに喉を鳴らして笑うカノ。その間にいる私はどう返していいのかも分からず、ただ2人の顔を交互に見つめていた。
しばらくしてカノが私の手をぎゅっと握り締める。ふと顔を上げその手を握り返すと、少しだけカノの表情が和らいだ気がした。そのまま歩き始めるカノを追いかけるように足を運びながらじっと彼の心情を読み取るように注視する。当然、こんなことをしたところで理解できるはずもないのだけれど。


「……仲、良さそうだね」
「シンタローと? そんなの当たり前じゃない。だって同じ仲間なんだもん」
「ふーん。仲間、ねぇ……」


考え込むような仕草で顎に手を添える。そうしてしばらく間を空けてから何か吹っ切れたかのようにけろりとした表情でぐっと顔を寄せてくる。


「知ってた? 男って意外と単純な生き物なんだよ」
「えっ、た……たんじゅ……?」
「こっちにその気はなくても向こうはってことはよくあるし、ましてシンタローくんは女の子に疎いから……」
「も、もしかしてカノ……嫉妬?」


図星をつかれたせいか うっと一瞬喉元を詰まらせたような声を洩らす。カノにしては珍しい。いつもならあの能力で簡単に偽りの表情を見せるのに、今はそんな様子は見受けられない。
加えて照れ隠しでもするようにフードをいつもより深くかぶってしまう。まさしく余裕がないとでも言うような、そんな感じだ。


「そりゃあ誰だって自分の彼女があれだけ他の男と密着してたらやくでしょ、嫌でも」
「あれ、私そんなに密着してたっけ?」
「僕から見たらしてたの! はい、もうこの話はおしまい!」


パンパンと手を叩き合わせ、バツが悪そうに顔を背けるカノ。そんなカノがなんだか可愛らしく思えて思わず頬を緩めると、少し不貞腐れたように完全に反対側を向いてしまった。怒らせてしまっただろうか。嫉妬するなんて思わなかった私には嬉しい報告だったのに。


「私が好きなのはカノだけだよ」


喜びを分け与えるようにカノの服地を引っ張り引き寄せる。彼の頬に短いキスを落としてにこりと微笑むと、カノは何故だか再び頬を赤くして、口元を手で覆いながら辺の誰にも聞こえない程に小さな声で呟いた。




しい怪獣のおまじない
(無自覚って罪だよねぇ、いろいろと)




スタイリッシュ誘拐
2012.08.18 title:花畑心中





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