小説 | ナノ




明確な殺意に満ちた拳を向けられたあの日、きみの中の僕は一度死んだのだと思った。
きみを怒らせ、傷つけ、苦しめた罪を、それでもきみが笑って赦したから、だから僕は今を生きることに戸惑ってなど居られない。それを生きる支えだと言うには傲慢過ぎるけれど、何より、きみをこれ以上傷つけたく無かったから。



「なあ、オーストリアにも肉まんってあんの?」

つい先程コンビニで買った肉まんを頬張りながら、大が問うてきた。まだ時刻は19時にもなっていないが、日は落ちきりすっかり冬めいた冷たい風が肌を刺す。ほかほかと湯気を立てる白いそれが、カイロ代わりに手にも胃にも重宝される季節だ。

「ああ、中華街に行けば食べられるし、オーストリアの家庭料理にも似たようなものがあるよ」
「へー。ヨーロッパでも中華街とかあんのか」
「寧ろ無い国の方が珍しいんじゃないか?日本にあって当たり前なら、他の先進国にもあると考えて然るべきだと思うが」
「それもそうだな。こんなに旨いもん、中国と日本でしか食べらんねえって方がどうかしてるぜ」

大の持論には、呆れ半分、納得半分、という印象だった。それにしても彼はいつも、本当に旨そうにものを食う。こんな風に気持ちよく平らげてくれるのなら、提供する側はさぞ作り甲斐があるだろう。(ああ、だから小百合さんの作るご飯は、あんなにも)その大を横目に、僕はカップ入りのホットコーヒーを啜る。大の肉まんと僕のコーヒーから立つ白い靄は、僕らの歩みに追いつかずその場に取り残され、そう長くない時を過ごした後大気にもまれ消える。そう言えば、大とこうして冬を歩くのは、初めてのことだ。

「つか、トーマも食えば良かったのに。うめーぞ、日本の肉まん」
「…食べ歩くのは、性に合わないんだ。大こそ、夕食前にいいのか?」
「これくらい食っても変わんねーよ。どっちにしろ家帰っても腹いっぱい食うんだ。今日はビーフシチューだし」

最後の一口を放り込んで、大はその大きな眼をきらきらと輝かせながら言った。まるで子どもみたいだ。期待と確信に満ちたその眼は、いつだって勝利と未来を真っ直ぐに見据えている。この先幾つの季節を超えても、彼を包む環境がどう変化しようとも、その眼だけは変わらずに居て欲しい。
肉まんを食べ終え手ぶらになった大が「うーん」と唸りながら軽く伸びをした。もうすぐの交差点で、僕らは別れる。いつもの迎えを呼ばなかったのは、帰り際に大が「冬の醍醐味、いこーぜ!」と屈託なく笑ったからだった。肌寒さは手に持ったコーヒーが緩和してくれるし、たまにはこうしてニットの袖を少しばかり伸ばしながら歩いてみるのも悪くない。
(思えば、)
(きみとこんな風に過ごす冬の可能性を、僕は捨てようとしていたわけで、)
(それでも僕はきみがこうして真っ直ぐな眼を持ったまま秋も冬も次の春もずっと駆け抜けてくれていることを望んだ。僕の望みにはきみ以外の影など無かった、きっと何処にも)

「さっ、む!!」

一際強い風が吹いた。瞬間、大は素直に声を上げ、ぶるりと震えた体を無遠慮に寄せてきた。危うく手に持ったままのコーヒーを落としそうになって、「こら、」と窘めようとしたところで不意にキスをされた。
事態に気付くのに数秒。大が顔を離し、にやりと口角を上げたのを見て、漸く、「なっ、やめ、!」なんとも情けない声が出た。

「もうやめてんじゃん。反応おせーよ」
「…こ、こんな場所で、何を」
「誰もいねーし、大丈夫だって。お前のその焦り方の方がよっぽど不自然」

してやったりな笑みを浮かべる大に、舌は絡まるばかりで何も言い返せない。悔し紛れにその肩を打っても、余裕気に笑うままで何も効果が無い。ただ触れた唇がだんだん熱を持つような感じがする。後を追うように肉まんの味を想起して尚、驚きと焦りと、照れ臭さに俯くしかなかった。卑怯にも程がある。

「トーマ。怒んなよ」
「…怒っているわけじゃ、ない」
「そっか。じゃ、このまま俺んち来いよ。母さんのビーフシチュー、さっきの肉まんより美味いから」

俯いた視界にすっと差し込んだ手のひら。見上げれば、大がやっぱり屈託無く笑っていた。
いつの間にか別れる予定だった交差点に居て、(きっと確信犯だ、)大の足も体も手のひらも、完全に彼の家の方へ向いている。してやられたと思いつつも、真っ直ぐに手を伸ばされていることが、純粋に嬉しかった。だから、その手を取るしか選択肢が無かった。焦りも怒りも掬い上げる手のひらはひたすらに大きく温かくて、触れるだけで望みも覚悟も全て赦されるような気がした。

(例えそれがエゴだとしても。)
その眼が見据える未来を、その手の傍で、共に生きて、その中できみがこうして自ら歩み寄ってくれるのならなるだけ素直に享受していたい。僕はきみにとっての僕をもう二度と殺させない。それはつまり、きみの中の僕の、これからを生きる支えになる。






鬼束ちひろdeマサトマA
「オーストリア 肉まん」で頑張ってググったけど結局あるのか無いのかよくわからなかった!















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