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「あら。思ったより普通の子ね」

晴れて恋人という関係になった、それから暫く後のこと。
例によってトーマの部屋を訪れる日々を幾度か通り過ぎて、今日もそんな温かくも何処かむず痒い放課後を、過ごす予定だった。のが、突然鳴り出したトーマの携帯と「すまない、教授から今すぐ研究室に来てくれと…」その着信を受けた本人の言により、事態は一時休戦。「そんなに掛からないと思うから、待っててくれ」鞄を引っ掴み慌ただしく出て行く背中を見送って、ドアを閉めて。
トーマの部屋には大にとり暇潰しの役目を全う出来る物は見当たらず、手持ち無沙汰からごろんとリビングのソファに転がった。その視界に突如、入り込んできた金髪、白い肌、赤い瞳。「ああっ!?」そして今に至る。

「誰だ、お前!」
「…高校生とは言え、もっと聡明な顔付きの方かと思ってましたのに。トーマも物好きね」
「聞けよ人の話!…っつーか、なんて格好してやがんだ!」

動揺する大を無視し溜め息を吐く女は、丈の短いワンピース風のランジェリーを身に纏うだけの姿で、剥き出しの白い手脚とさらさらと揺れる金髪はまるで人形のそれだった。(トーマといい、人形屋敷かよ、ここは。)大は心の中で愚痴る、と同時、「あ、お前、まさか…」思い当たる節を口にすると、女はにっこりと笑んで見せた。

「トーマからは、何て聞いてらっしゃる?」
「あー…ただの同居人、って、ずっと言ってる」
「ふふ。相変わらずね」

意味深なことを口にするその人形みたいな顔を凝視し大は眉根を寄せる。(にしても、すげー、)剥き出しの肌を眺めてしまうのは不可抗力で、そこに責められる要因があるとすればそんなあられもない格好で部屋を彷徨く当人だと思うのだが、それを言ってしまうといろいろと面倒臭いことになると思い黙っていた。胸元に見える谷間の線が気になったが、相手も飲み物を片手にじっと自分を見て来ているのに気付いて居た堪れなくなり顔を伏せた。女は理解したようで悪びれもせずくすくすと笑う。
困惑する大の目の前に、つかつかと女は歩み寄る。ソファに腰掛けたままの大の目線を態と誘導するかのように、目の前で背を屈めて手を膝につけて、ずい、と近寄る彼女の顔を大は恐恐見上げた。不敵な笑みは、出逢った頃に見たトーマのそれによく似ていると思った。

「本当に、普通の男ね、あなた」
「…はあ」
「あまり賢くなさそうだから一応忠告しておきますけど。トーマを泣かせたりしたら、容赦しませんわよ?」
「なっ…んだよ、いきなり」

思わず手が出そうになるのを、堪えた。圧倒的な静けさと気迫。凛として艶めかしく、嫌味のない高貴なうつくしさ。しかしその唇から零される宣言と言い草はあまりに物騒で、本来もっと物騒な生き甲斐を持つ筈の大が冷や汗を浮かべるほどのものだった。いまいち状況を呑み込めないせいで尚更。女は笑みを浮かべたまま、すたすたと歩いて奥の部屋に引っ込んだ。初めて大とトーマが顔を合わせた、あの寝室に。

「…っつーか、容赦しないって、何をだよ」

大の独り言は誰にも何処にも拾われることなく宙に浮いた。







「ただいま。遅くなってすまない…どうしたんだ、大」

玄関の扉が開く音と足音と、待ち侘びた愛しい恋人の困惑した声。大はソファに座ったまま、文字通り頭を抱えていた。大の心情からすれば困惑も無理は無いのだが、話の要になっているトーマ自身はもちろん知る由もない。

「おかえり…あー、いや、べつに」
「別に何も無いままそんな風に思い悩むタチには見えないがな、きみは」
「悩んでるわけじゃねえけど。さっき逢ったぜ、あの、」
「…ナナミか?」
「あーそう、たぶん。ビックリした」

今度はトーマが頭を抱える番だった。このところ姿を見ていないことと、今朝は早くに起きて大学内を奔走するはめになっていたため彼女が帰宅している可能性を失念していた。よりにも寄って自分の居ないところで鉢合わせさせることになるとは。しかも。

「アイツいつもああなの?服着てなかったけど」

やっぱり。「部屋の中でくらい、開放的で居たいもの」とは大分昔に聞いたナナミの言い分で、幸か不幸かトーマ自身は女の肉体にさして関心を持たない類の人間だったので好きにさせていたが、冷静に考えなくても年頃の高校生男児の目の前に放り出すのは些か酷だ。ひっそり心の中で同情する。

「いつも、だな。さすがに下着は身に付けていただろう?」
「いや、そんなギリギリセーフみたいな言い方すんなよ」

はあ、と大きな溜め息と共に大は体をソファに横たえた。衝撃に驚いたソファが軋んで音を立てる。とりあえず傍へ寄って、僅かに空いたスペースに腰掛けた。

「まだ居るのか」
「や、ちょっと前に電話しながら出てったぜ。いかつい服着て」
「そうか…すまないな、配慮を怠った」
「や。別にいいんだけど、よ」

歯切れ悪く言いながら大は改めて体を起こし、それからまじまじと隣のトーマの顔を眺めた。「…なんだい?」問われて返事をする素振りもなく、暫くそのまま微動だに動かない大をトーマもまた見つめ返して、やがて何故か大の方が痺れを切らしたようにがばりとトーマを掻き抱いた。

「ッ!…どうしたんだ、急に」

冷静な顔で狼狽えるトーマの言葉に、何と返事をすれば良いのかわからなかった。大なりに、それは思案というものをしていたのだが、トーマの眼にはそれが不可解な行動としか映らず、一先ず状況整理からだと思い直して密着する体を引き剥がし大の顔を確りと掴んだ。対峙して見れば、叱られた子どものような幼い顔がそこにあった。

「どうしたんだ、大」

幼い顔はそれでも強情で、どうしたものかと考えた数秒の末、トーマはそっと掴んだ両手を離さないまま唇を重ねた。ふわりと触るだけの口付けの後、遠ざかる瞳を、大は今度は多少の驚きを乗せた顔で見つめる。

「紅茶を淹れてくるよ」

両手を離し、トーマはいつものようにそっと微笑んであっさりと立ち上がった。それは逃げでなく単なる対応である。大は面白くなさそうに唇を尖らせた。(もう少しくらい慌ててくれてもいいだろ、)そうごちる大の頭に、トーマが冷静な対応をしつつも心の内では動揺し、同時に少し寂しさを感じている事実が放り投げられることはない。とにかく次に彼女が帰ってきた時には、何かしら釘を刺しておかなければと思っていた。その釘がどれだけの効力を発揮するのか、あまり期待は出来そうに無かったが。

「おれは」

背後からぽつり、聞こえた声にトーマは振り向いた。大の表情や声はいつもまっすぐで曇りの無い、澄んだ色をしている。

「泣かさねえから。安心しろよ」

そう言って直後、大はぷいと顔を逸らした。(なるほどね、)直後にトーマが納得したのはナナミのことについてで、大が珍しく自分の発言に照れて不機嫌そうにしていることには貴重なものを見たと内心心を踊らせた。「それはプロポーズの練習かい?」そう茶化すと、「うるせー」と悪態ついて返ってきた。アールグレイの香りが、夕刻を彩るべく部屋にゆったりと漂い始めていた。
















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