小説 | ナノ




あの状況で平静を繕う彼の背中に、怒りを顕にして逃げ出したのは確かに自分だった。だって、納得いかなかった、あの態度も声も表情も。あんなに俺を熱を以って昂らせて、いとも簡単に突き放した。ゆるさない。ゆるせない。詰られたプライドとその傍らで、きゅうきゅう締め付けられるようなこの気持ちは一体何だろう。



「今回はまた、派手にやらかしてくれたわね」

淑乃はひたすらに呆れた顔で大を見下ろした。もはや生徒指導室の常連である当の本人は、反省の表情すら浮かべずむっすりと頬を膨らませている。
そうだ、喧嘩が足りねえ!色濃い苛々を毎日積み上げた結果、大は無謀にも近隣校の不良十数人に一人で挑み掛かり、圧勝した。全身から迸る鬼の気迫に怯んだ相手を、ボーリングの玉がピンを薙ぎ倒していくかの如く、それはもうあっさりと全員再起不能にまで追い込んだ。しかし倒された内の一人が大の学校へその場で半べそをかきながら通報したせいで、翌日大は絶対に勝つことの出来ない、教師との対マン勝負に逆に追い込まれてしまっていた。

「もう中学生じゃないんだから、そろそろ大人しくなりなさい。来年には受験もあるのよ?いつまで馬鹿みたいな殴り合いばっかりするつもりよ」

若くして生徒指導の担当教師に成り上がった(正確には押し付けられただけだが)淑乃の言葉に大はそっぽを向く。久々に喧嘩をして気分も晴れるかと思ったがそんな事も無かった上、こうして貴重な放課後、生徒指導室に拘束されるわ、小言の嵐を真っ向から受けることになるわで、晴れるどころか苛々は募る一方。

「しょーがねえじゃん。最近全然喧嘩してなかったし、ちょっとストレス溜まってたしよ…」
「あんたもストレスなんて感じるのねえ。最近喧嘩してなかったなら、なんでまた久々にこんな盛大なことしたの」
「だから、苛々してたんだって」
「何があったの」
「…先公には関係無えよ」

ぐ、と雪崩出しそうな言葉を飲み込み唸るように呟くとまた淑乃は大きな溜め息を一つ吐いた。「何かあるなら話してごらんなさい」と、茶を啜り内心(解決出来る気は毛頭無いけど)と呟きながら言った。
大は暫し押し黙って、それからぽつりと言った。

「なあ、4つも年下の奴にキスとかするって年上の奴からしたらどんな感じ?」
「はあ?」
「なんとなく、とか?深い意味ねーの?」

突如放り投げられたディープな、それでいてチープな質問に淑乃は目眩を覚えた。が、自ら問い掛けて問い返された以上、下手に無碍にすることも出来ないので、ひとまず一つ咳払いをする。

「そんなの、人によりけりだとは思うけど、私ならしないわよ。そんな面倒臭いこと。歳の差とか関係無く、ね」
「面倒…」
「ていうか、そんな風に悩まなきゃいけないような、チャラい女に引っ掛かるアンタが馬鹿よ。ちゃんとお付き合いしてればそんな風に悩まないでしょ?たぶん。悩んでたとしても本人に訊けば済むことだし?」
「あー…それがさ、男なんだよな、相手」

今度は飲んでいた茶を噴き出しそうになった。
湯呑を握り締めてふるふると衝撃を耐える淑乃を余所に、大は神妙な顔つきで「チャラいかは…わかんねえけど…キス以上もされたしそんなカタい奴ではねえかな…」と独り言を続ける。(待って待ってそれ以上聞きたくない、想像しちゃうじゃない!)淑乃の独り言は口の中でごもごもともたつき外に出ることは無い。

「とりあえず、そいつのこと考えるとイライラすんだよ、それからずっと。どうすりゃいいかわかんねえの」

そう言って頭を抱える大に、(どうすりゃいいかわかんないのはこっちよ!)淑乃は悲鳴をあげた。最近の若者はわからん、と常々思ってはいたが、予想の斜め上を行く目の前の生徒に衝撃と戸惑いを隠せない。
しかし教師として、或いは大人の女として、威厳は守らねばならない。ジタバタと足掻く自分を心の中に押し留め、慎重に次ぐ言葉を探した。

「…アンタは、どうしたいの」
「え?」
「そこまでされて、嫌悪感は無いの?同性同士なのに?」
「ケンオカン…?」
「生理的に無理!とか、ものすごーく嫌な気持ちになるってことよ。まあそうやって悩んでるってことは大方無かったんでしょうね。なら、その人がどう思ってるか知りたいと思うなら直接ぶつかって聞けばいいし、別に気にならないならもう放っておけばいいんじゃない?とにかくアンタがどうしたいかがわかんないとどうしようも無いわよ、相手にとってどうこう考えたって」

べらべらとまくし立てる淑乃の言葉を、大は真剣な顔つきで聞いていた。すとん、と心に鉛のように突っ掛かっていたものが落ちた気がして、途端に脚がうずいた。

「そっか。そうだな」
「そうよ。…って、何処行くつもり!?」
「決まってんだろ!聞いてくれてサンキューな、せんせー!」

叫ぶやいなや、大は出口に向かって駆け出した。予期せぬ展開とその収束に、淑乃はまた盛大な溜め息を吐く。

「あ。反省文書かせるの忘れてた…最悪なんですけど」

残された部屋で一人、冷めた茶を啜った。








突然出てきた淑乃先生(25歳独身)
担当教科は英語か政経希望。















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