05

 翼の男が床を蹴ったと同時に球体も浮遊を進めた。

「ひぇ……って高過ぎだよおお!」
「喋ると舌を噛むぞ」
「……っ、遅い! もう噛んだ!」

 リディア自身も空を飛んでいることに驚いて、芋虫みたいな変な体勢になった。顔は球体の底面にぎゅむっと押し付けられた状態で硬い質感、温度は無い。
 いま下から覗けばかなりのアホ面が拝めるだろう、裏を返せばリディアはかなりの高さから景色を見下げているというわけだ。

「……!」

 眼下では早くも、赤の勢力と混色の勢力が争い始めていた。
 噛んだ舌の痛みと血の味とシンクロしたような錯覚を覚えた。
 いや、そんなんじゃ軽すぎる。
 声を上げ、砂埃を上げ、ぶつかっていく姿は紛争なんて表現では足りない。上を飛ぶ自分たちのことなど気にする者は誰も居なかった。
 彼らは、正真正銘の殺し合いを繰り広げていたから。

(うわ、むごい……)

 どうかあの山賊達が無事でいればいいと、ふと、そんな考えが湧いてきて。
 でも、それは隻眼の男が語った守りたい家族っていうのを知りたいという知的好奇心からの利害関係ってだけなんだって、今はそう思っておこうと思った。

(だって半裸だし、いきなり攫うし、バカだし)

 あの男のしたことは許せない。
 だけど、何故か憎むことができなくて胸がもやもやした。


☆★☆★☆★☆


 まるで天然石みたいな結晶に包まれた小道に入ると辺りは暮れて緋色に染まってきた。

「ねえ、どこまで行くの」
「記憶の無いお前には関係ない」

 カツカツと無機質な音で踏みしめる。
 どうやらここからは徒歩らしい。

「運ばれてるんだから関係あるし
 ……庵まで帰るの?」

 ターバンから覗く金糸は海を祀る種族の象徴だと理解したのは、冷静になったつい先ほどのこと。
 リディアは意を決して訊いた。
 男の、マントと暗闇で見えない肩が心なしが怒った気がした。

「この脳天気、庵とは反対方向だろう」
「って言われても、連れ去られてるから方向わかんないんですけど……」
「追っ手を撒いたら身の安全は保障する」
「あ、そっか
お兄ちゃん一行」

 はあ、と溜息が漏れる。
 リディア達にとっても危機だけど、男にとっても危機は迫っているらしい。

「大変だね?」
「他人事だな」
「だって記憶ないから」

 至極どうでもよく言ったつもりだった。記憶が無くとも知り合いだから心配しろ、だなんてリディアには無理な話だと自分で分かっていた。
 男が多少怒るだろうことは、想定して。

「それでいい、知識の無いまま干渉されては迷惑だ」
「…………」

 どうやら、男はリディアが思ったよりリディアのことをわかっているらしい。
 水晶の床を踏んで歩を進める男と二つの球体は、それから暫く無言を貫き通した。

「ここで良いだろう。」

 丁度開けた場所に差し掛かるところに辿り着いた。
 男がリディアの想像よりも丁寧に、リディア達を球体から降ろした。

「野宿?」
「ああ」

 男は、荷物からランプを取り出し、コトリと開けた場所の真ん中に置いた。
 リディアの隣にいる未だ眠っているシャーリィに自分のマントを掛けてやるとランプを挟んで反対側に腰をかけた。

「忘れ物だ。」
「わっ……ぷ!」

 不意に大きな柔らかい物を投げられてリディアは手で受け切れず顔で受けとめた。
 それは、リディアが輝きの泉で落とした自分のリュックサックだった。

「これ、わたしの……」

 驚いて男の顔を見返せば、中身を確認しろと言わんばかりにこくりと一回頷かれたので鞄の口を開けてみた。
 取られていたと思っていた武器のメイス、くたくたなノートともう一冊新しいノートにペン、新調された地図、グミ袋や着替えなど全てが乾いた状態で入っていた。

「拾ってくれたの…?ありがとう!
 それに、これ……」

 荷物の下の方を漁ると薄桃色のタオルケットが出てきた。おかしいな?リディアが持っていたのは小さいサイズのタオルだったはず。
 端っこに小さく黄色いタコエッグの刺繍がされているタオルケットは膝掛けくらいのハーフサイズになっていた。

「タオルだけは見当たらなかったので新調した。今、掛けて寝るといい。」

 強引で、何を考えているかわからないのに優しい。それはリディアが男に近しい存在だからか、男が皆に優しいのか(そう考えると攫うのはどうかと思うが)測りかねるが、今は素直にこの好意をありがたいと思った。

(この人のことを知っているわたしに戻れたらいいのに)

 そう素直に思えるくらいに、男の印象は変わっていた。そして、それは暫くして叶った。

 彼方から気配がした。それはリディアの鳥型の気配で、鳥型の藍色が宵の口を告げるようにリディアの元に降りてきた。
 鳥型はそのままリディアの背に身体を収めると。去り際に翼を広げた姿がリディアと重なって天使を思わせた。

「…うん、本当にありがとう。嬉しいや。
 ただいま、"兄さん"。」

 鳥型が完全にリディアの元へ帰ってくると、逢魔時は過ぎていてランプの光が夜を彩っていた。

(だいたいお前は注意力が足りない、どうやったら泉に落ちることができるんだ)
(う、大きな鳥の魔物が飛んできて驚いちゃって……)
(術に加え何の為の格闘術だと思ってる、鍛錬が足りない)
(訂正、兄さんが優しいはずない)


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