人生の分岐点というのはいつも唐突だ。
「唯。言いたいことがある」
学校から恐喝まがいに出された面倒くさい課題をアルに恫喝まがいの無言のプレッシャーによりちみちみと片付けていた。いや本当に怖いんだって。
ぎゃーぎゃーと宿題しろー宿題しろーって口うるさい世間のお母さん方よりアルのほうが何百倍も怖い。答えを丸写ししてところどころわざと間違えて提出したときの拳骨はもう食らいたくない。頭蓋骨が陥没してもおかしくない威力の拳骨なんて聞いたことがない。人を殺せそうなほどの破壊力。そんなもの何度も食らってたら脳細胞が本格的に死んでしまいそうだ。
しぶしぶシャーペンを握り、好きなアイスを口に加えながら頁をめくったのと同時にアルがそう呟いた。
私の向かい側で終わらせた英語の課題のチェックをしていたアルが顔をあげる。私もつられて視線を上にあげた。端正で無気力そうな相貌が視界に入る。
「どしたのアル」
加えていたアイスを手に持ち直し尋ねる。溶けてきたアイスが唇の端をつたったのでぺろりと舌で舐めとった。ひんやりとした感覚が舌に伝わってくる。
どうせここが間違えてるとかそういう報告なんだろ。変に覚悟を決めどこが間違っていたかなーとさっき解いたばかりの英文を思い返した。あっあのスペル間違えてたかな。そう考え始めると全部ミスをこぼしてきたような不安感に襲われるから不思議だ。
とまあ呑気に考えていた。平凡な日常に当然落ちているかのような当たり前の一言。平和な昼下がりにお似合いな普通の会話。
劇的な変化なんて訪れるはずがない。可能性の一つにも入れていなかった爆弾が、今破裂した。
「結婚するか」
「はい?」
反射的に目を細めてそう返していた。なんていったんだこの男は。探るような視線をめぐらせてみるがアルは動じない。彫刻のように微動だにしないので生きてるのか一瞬心配になったほどだ。あ、今瞬きしてた。睫長いな。
「結婚しよう」
「んっとちょっと待ってね私も一言言わせて」
「なんだ」
「笑えないジョークはやめてくださいませんか」
「ジョーク…?」
アルは真顔で首を傾げる。あ、これ本気な奴だ。私は残念ながら悟ってしまった。そもそもこんな状況でこんな格好でこんな場所でプロポーズされるだなんて露にも思っていなかった私はやっとこさ現状を受け入れる。
同時に何とも言えない感情が胸を支配した。とりあえずアホか。笑って誤魔化せたらどれだけいいだろう。実際そうしてやろうとも思った。だけど、アルの目がさせてくれない。真剣に満ち溢れたまなざしにうっと喉が詰まる。アイスの残り汁が喉の奥でべたりと張り付いた。
「えっとねアルベルトさん。結婚だなんて本気でしゃれにならないことはこういう所で言うべきもんじゃないと思うの。分かる?しかるべき雰囲気でしかるべき格好でしかるべきシチュエーションでもっと感情豊かに告白するべきだと思うんだ。それじゃ本気にされないよ」
「本気にしろ」
「そんな無茶苦茶な!」
「なら本気にさせてやるよ」
そんなアルの一言に胸が大きく高鳴った。え、本気にさせるってどういうこと。私の中で踊り狂ったのは少女マンガでありがちなハートフルなシチュエーションばかりで慌てて頭の中から振り払った。何だか期待してるみたいで恥ずかしくなった。
アルは表情を変えぬまま胡坐を崩し立ち上がってタンスのほうに向かう。ドキドキしながら見守っているとタンスを開けて中から黒光りした銃身がにゅっと姿を現す。持っていたアイスがべちゃりと床に落ちてしまった。
無表情でそれを構え銃口を私に向ける。真っ黒で底知れない銃口に冷や汗が一つ、こめかみを滑っていく。どうやらショットガンらしい。ショットガンかーむかつくけどアルに似合うなって冷静に分析してる場合じゃなかった!
「ちょっと待って!?そんなのいつ隠してた!?銃刀法違反もいいところだけど!?」
「結婚するよな」
「いや結婚するよなじゃなくてそのショットガンらしき物体について詳しく教え」
「結婚、するよな?」
再確認を迫ると同時に銃口を額に突きつけてくる時まで表情を崩さないアルが本気で怖い。反射的に両腕を高くあげ全身を硬直させる。あ、これオッケーしないと死ぬ奴だ。本能的に察した私はやけくそのように叫んだ。
「ああああ!もう!分かった分かった!分かったから!」
何が分かったのかは分からないが、まぁ何かが分かったのだろう。別にストレートに肯定はしていないがアルはこれを肯定を受け取ったらしい。満足げに一つ頷きショットガンを下ろす。タンスの中に押し戻し何事もなかったかのように私の前に座って英語のテキストに手を伸ばした。
まだ心臓がバクバクいっている私にアルはとどめの一言を突きつけてきた。
「子どもは何人欲しい」
あ、もうこれは。
これはもう駄目だわ。私は平凡な日常が床に落ちたアイスのように溶けて跡形もなくなっていくのを感じた。
ショットガン・マリッジ!!
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