天気が良くて、空から淡い色の花弁が舞ってきてもおかしくない日だった。あの日確か僕は周囲に咲き乱れた花々を見ながら古く趣のある街路をゆっくり歩いていた。降り注ぐ陽光が高く上へと成長していく木々が遮ってくれていたが、微かにもれでている眩しさに目を細める。心地よい微風が頬を撫でていった。

知人の結婚式の帰りだった。数年ぶりにあった腐れ縁とも言える彼女の晴れ姿はとても美しかった。いつも僕の後頭部を鞄で殴っていた少女とは違う。すっかり見ないうちに大人の女性になっていた。

「私、変わったでしょ」

得意げにウェディングドレスの裾をふわりとはためかせてみせる顔は少女から女性、女性から人生の幸福をかみ締めているレディのそれへと変貌している。あのツツジの花の蜜を吸っていた少女はもういない。何だか悲しいような眩しいような複雑な感情が胸を占める。とりあえず最高の幸せを掴んだ彼女のことが、羨ましかった。心からの祝福を贈り式は無事終わった。

「今度はあんたが幸せになりなさいよ」

帰り際、悪戯げにニターと笑う彼女に苦笑を返す。煽るような物言いは、あまり変わっていなかった。幸せになりなさいよとはつまり早く結婚して私に並んでみろという挑発だ。競争して結婚するものでもないだろうに。しかし世間の風潮は結婚している者のほうへと有利に傾いている。実際、彼女は身を固めて僕は独り身。返す言葉もなかった。

一つ、息をこぼす。

麗らかな春の温もりに足をとめて大きく息を吸った。

ああ、春だ。この香りが、僕はとても好きだ。

もう一度吸った呼吸を吐き出す。うん、立ち直った。

「ちょっと待ちなさい」

再び歩き出そうとした僕の背後から甲高くまだ幼い声が飛んできた。ぎくりと肩を強張らせる。この声は。振り向きたくないけど後々面倒なことになる。生唾を飲み込み意を決して振り返った。

ピンクの妖精がそこにいた。勿論ただの少女なのだが一瞬そう錯覚しそうになるぐらい愛らしさを凝縮したような顔立ちだった。口元のホクロがチャームポイントだろうか。ピンクと白を貴重としたワンピースドレスから除く白い四肢。釣りあがった大きな瞳さえキュートさを倍増させるポイントとすらなりえるだろう。だけど僕はこの幼女が少しばかり苦手だった。

「もう帰るの」

ぶすっとつきさせば萎んでしまいそうになるぐらい頬が膨らんでいる。自分には何も言わず帰ろうとしている僕を詰っているかのようなまなざしに喉が詰まった。

「ああ。迎えを待たせてるから」

そう答えると少女はますますふて腐れたような表情になる。僕はほとほと困った。こうなったら長い。少女はぶつぶつと小言をもらしはじめ慌てて口を挟んだ。

「あ、ああそうだ。君に渡したいものがあったんだ車まで付いてきてくれる?」

「別にいいけど。しょうもないものなら承知しないわよ」

少しばかり少女の表情が和らいだ。ほっと胸をなでおろす。プレゼントがあったのは本当だ。今日渡す気ではなかったけれど、まあいいだろう。この親戚の家の少女はこういったプレゼントの類に弱い。別に怒っていたからとかそんなんじゃない。言い出すタイミングがちょうど良かっただけだ。

リズム感の少し狂ったスキップをする少女を先頭に僕は車まで辿り着いた。律儀に礼をする運転手を車に戻らせる。そしてドアを開けて乗せていた箱に触れた。それを胸の高さまで持ち上げ少女の前で膝を折る。

「どうぞお嬢様」

やや大げさな仕草で手渡すと少女の瞳に歓喜の色がこもる。怒りはどこへやら。この年頃の女の子は感情の移り変わりが激しい。慣れつつあるがたまに吃驚してしまうこともあった。

「何が入ってるの。あけなさいよ」

「仰せのままに」

丁寧に包装されたリボンをしゅるりと解く。解いたリボンを少女の掌の中にそっと握りこませる。確かこういう装飾の類のものが好きだったはずだ。

箱をそっとあけ中に入っていたものを少女に見せる。黒くて落ち着いたデザインのドレス。オレンジ色のフリルに胸に咲き誇る深紅の薔薇が映える。誰から見ても目の前の少女にはまだ早い大人なデザイン。だが貰った本人は宝石のように双眸を瞬かせた。

「君が大きくなったとき、これが似合うと思って」

「素敵。これを着てデートに行きたいわ」

「そういうことはもう少し大きくなってから言ったほうがいいよ」

微笑ましさを顔に滲ませたのがばれたのか。少女はきりりっと目を吊り上げて、きっとにらみつけてくる。

「わたしはもう立派なレディよ」

「ああうんごめん。君は素敵な女性だよ」

「口先ばっかり。ねえ、いつになったら私とデートしてくれるの」

「そうだね。このドレスを君が美しく着こなせれるようになったらかな」

先延ばしにするような答えしかでてこない。今の彼女はとても愛らしいと思うが愛おしいとは思えなかった。なつかれている親戚の可愛い女の子。それだけだ。彼女が僕に向けるのは恋慕じゃない。幼い頃にありがちな理想だ。自分よりも年齢の高い大人な男性に惹かれる時期なのだろう。だったら偽りの好意が冷めるのを待てばいい。だましているみたいで申し訳ないけど、結局行き着く先は同じ未来だ。

「ふん。夢中にさせてあげるんだから。まってなさい」

僕の心境を知らずに、少女は赤くなってツンとそっぽを向いた。

「楽しみにしてるよ」

何年後の話だろうか。君にはその頃きっと素敵な男性とめぐり合えて僕のことなんて忘れているだろう。叶わない宣言に僕は微笑むことしかできなかった。



「何してるの。早くしなさいよ」

「もう少し待ってよ」

慌てて靴を履いて既に玄関を出た君の後を追った。行動が人よりワンテンポ速い君は僕に若干イライラしているようだった。形の整った唇が黒子と共に歪んでいる。

「パーティーに遅れちゃうじゃない」

「ごめん。支度に時間がかかっちゃって」

ふんっと鼻を鳴らしてそれっきり興味を失ってしまったようだ。全く気まぐれにも程度がある。惚れた弱みだろうか。可愛いなぁなんて思ってしまうのは。綺麗に編みこまれた髪の毛を着飾る少し古びたリボンの存在に肩をすくめた。

「もっといいリボンがあるだろ。何もそんな安そうなリボンじゃなくても」

「いいの。私が好きなんだから。人の勝手じゃない」

前を行く君のちょっと足取りがおかしいスキップに思わず言葉がもれでる。

「綺麗になったね」

足をとめてこちらを振り向く君。目を細めながら過去の幻想と重なり合わせ眩しさに目が眩んだ。

あの日交わした約束がまさか現実になるとは誰が思うだろうか。

でも

「当然。私、変わったでしょ」

黒くシックなドレスを完璧に着こなした君が言う。

照れたらそっぽを向く癖はまだ直っていないんだね。



もう子どもじゃないの




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