「オレット叔父さん大丈夫!?怪我してない!?」
銃弾と奇声が鳴り止み、安全を確かめたビスクが書斎の中に飛び込んできた。散乱した書物や倒れている敵兵士の上を跨ぎ、足場を確保しながらだったので、かなり危ういバランスだ。
ぴょんぴょん足元に視線を落としながら駆け寄ってくるビスクの姿に、オレットは眼鏡越しの葡萄酒にも似た瞳を丸くさせる。
「ビスク君かい!?」
驚きで腰が抜けていたことも忘れ、オレットが立ち上がる。多少ふらついているが、上手く机の影に隠れられていたのか、大きな怪我はない。
友人の父親の無事だったという事実が、何も分からない状況に置かれていたビスクの心に光を灯す。ぴょんっと軽く飛んで抱きついてきたビスクを抱きしめ再開の喜びを交わした。
「叔父さん無事でよかったよ!って本当に大丈夫?なんか顔色真っ青だけど…」
「な、なんとか大丈夫…ちょっと被弾したけどコレぐらいなら大丈夫さ…ハハッ自分でも生きてるのが不思議だと思うよ…」
力なく表情筋を緩ませたオレットだったが、すぐさま顔を引きつらせ歯をきつく食いしばる。
「くそっザンジバールに裏切られたか…!」
悔しさを滲ませた台詞に、ビスクの疑問が引っかかる。
「え?どういうことオレット叔父さん?ザンジバールは僕達の村を襲ってきていたじゃないか!裏切るも何も、あいつらは僕達の敵だったんだよ!」
「違うんだビスクくん。ザンジバールは私達の敵じゃない。オックスブラッドが私達、というより私のことを狙っていて…ザンジバールが味方なのかどうかも、怪しいところだがね…」
「どういうことだ貴様」
今まで黙っていたブイルが口を挟む。まだ瞳からぎらりとした光が抜けていないが、聞き捨てならない台詞に反応してしまった。
オレットはブイルの方を怯えながら見ると、びくりと肩を震わせビスクを後ろに下がらせる。
どうやら先程のトリガーハッピーっぷりを存分に発揮してくれたお陰で重要参考人の恐怖を買ってしまったらしい。じろりとレイドは長い前髪越しに無言の非難を送る。チッと高らかに舌を鳴らし、ブイルは苛立ったようにこつこつとブーツを鳴らす。
「いいからさっさと答えろ愚民が」
「たっ助けてくれたのは感謝をするが君たちは一体なんだ?ザンジバールの兵士達とはまた違うみたいだが」
「俺達はオックスブラッドに雇われた傭兵だ。この村を奇襲するザンジバールの前衛を追い返し、捕虜を奪還する。それが任務なんだが、貴様、ザンジバールに裏切られたとはどういうことだ?密かに裏で敵国と繋がりがあるというのか?」
「オックスブラッドに雇われた傭兵だって!?やはり君たちも本を狙っているのか!」
一気にオレットの顔が強張る。ビスクを抱きしめて少しでも彼らから距離をとろうと部屋の隅に移動した。警戒に滲んだ瞳に見据えられ、ブイルは困惑に表情をゆがめた。
「本?何を言っている」
「もう本ならいくらでもやるから放っておいてくれ!今すぐ持って帰ってくれ!家族と私の身の保証だけはしてくれ約束してくれないとあの本の在り処は教えないぞ」
「落ち着け!本だかなんだか知らんが今の状況がさっぱり掴めていない。オックスブラッドは、貴様たちの国だろう。何故自国に怯える?」
「オックスブラッドが私達の国だって!?冗談はやめて欲しい。オックスブラッドのせいでわたしの家族がどのような危険な目に合ったと思っているんだ?」
「しかし俺達はそのオックスブラッドから貴様たちを守るように言われた。実際、そこのチビを保護し、捕虜を奪還しようとしている最中だ。なんだこの矛盾は…オレットはオックスブラッドに狙われていた?しかし狙っていた対象を守れといわれた?…くそ」
現状とかみ合わないオレットの証言にますます眉間の皺が濃くなる。こんがらがってきた思考をまとめようと必死になるが、ほぐそうとした糸がまた絡まりあい矛盾を生む。頭が痛くなりそうだ。
「叔父さん。この人たちは僕を守ってくれたんだよ」
震えながら自分を守ってくれているオレットへビスクは言った。その言葉に歯を食いしばりオレットは腕の中に居るビスクを見下ろした。
「駄目だビスク君騙されては。オックスブラッドは私達の敵だ。こいつらもきっと嘘をついているに決まっている」
「でも、僕死んでないよ叔父さん」
部屋にやけに響いたビスクの一言に身体が固まった。静かな笑顔でにこりと微笑んでいる少年には確かに傷一つない。残滅されたあの村からこの家に来るまでの間、ほぼ無傷で駆け抜けてこれたというなら、本当にこの二人がビスクを守ってくれたということなのだろうか。
「大丈夫だよ。この二人結構強いし、僕を此処まで連れてきてくれたんだ。
「だがしかしオックスブラッドに雇われているとなるとやはり…」
「じゃあ悪いのはそのオックスブラッドだよ!オックスブラッドがこの事件の犯人なんだ!」
「いやしかしそれは流石に…悪いのはオックスブラッド…?なるほど、そういうことか!」
真相に辿り着いたであろうオレットが声をあげた。邂逅された真実にぶつぶつと口の中で何かを反芻するオレットに痺れを切らしたブイルが拳銃を構えた。
「何をヒソヒソやっているのかは知らんが、オレット。貴様は敵国、ザンジバールに通じている密告者だという俺の判断で処断しても構わないか?」
「違う!君たちは騙されているんだ!というより、多分だけど、オックスブラッドの対敵国壊滅軍隊、通称【暗紫のヴァイパー】に利用されてるって言った方が正しいのかもしれない」
「…オックスブラッドが【紫の毒蛇】?」
今まで黙っていたレイドがぼそりと呟いた。あまり聞き覚えのない組織名だ。傭兵をやっていると嫌でも敵国の有名な組織だとかは聞こえてくるはずなのに。
「貴様を此処まで連れてきて今俺が倒したこいつらこそが、この村を守れといってきたオックスブラッドの、兵士だというのか?」
ビスクは思わず倒れている兵士達を見つめてしまう。黄昏が過ぎ、やがて訪れる夜を縁取るような濃い紫が目に焼きついた。
オレットはビスクをそっと離し、しっかりと自身の足で立った。部屋の隅にまで移動すると倒れている本棚から飛び出し、散乱している本を漁り始める。見守っているブイルとレイドの視線に急かされたように慌てて一冊の本を持ち上げた。
本に聡いブイルは、その本が何処にでも売っている古ぼけた表紙に包まれていることに気付く。だがオレットは本の背表紙に爪をたて、一気に引き裂いてしまう。薄い表紙はぴりぴりと紙のように破かれ、中から奇妙な色合いをした本が出てきた。
「別の背表紙を被せて偽装していたか。しゃれたことをするな」
「本を隠すならやはり本の中だと思ってね」
本はなんとも形容しがたい色合いをしていた。例えるなら深い森に潜む得体の知れない果実のように、毒々しい深緑色だろうか。頁数は辞書並みに多そうで、とても重そうだった。背表紙には何も書いておらず、オレットは本を畳み、ブイルたちにも表紙が見えるように突き出す。
「…うろ…ぼろ…す。か?」
読みづらく書体が崩れ非常に解読しづらい文字だったが、ブイルは何とか目を細めて答えた。小さく顎を引いて頷いたオレットのバイオレットの瞳が瞬く。敗れたカーテン越しに露になったカーテンから光が除き、彼の背中を照らしていた。
「いま誰を信じれば良いか分からない今だからこそ。突拍子もない話だが、君たちを信じてみようと思う。一から説明をしてあげたいが、君達を得体の知れない闇に引きずり込んでしまうかもしれないのだが」
「そんな前ふりどうでもいい。既に俺達を巻き込んでおいて良く言えたもんだ。危険?闇?そんなもの、今更過ぎて反吐が出る」
辛辣なブイルの一言にオレットはまた気が怯んだようだが、いまは怯えている余裕はないと判断してコホンを咳を零した。レイドは散らばっている本をぺらぺらと捲っているが、小さな字で小難しく書かれた専門書のようで、あまり意味は分からない。
「話に入る前に一つ聞いておきたいことがあるんだけど。君たちは魔術を信じるか?」
「ハァ?何を急に」
成人した男に向かってサンタはいると信じているのか?と真顔で問いただされたような気分だった。話の流れを切るようなふざけた質問にブイルの眉が跳ね上がる。
「大切な質問なんだ…まあ、普通の人は君のような反応をするか、馬鹿にするかどっちかなんだけどね」
「オレット叔父さんがそういうなら、僕は信じるよ」
悲しそうに微笑んだオレットの服の裾をビスクが摘む。
魔術。ローズが語り聞かせてくれた御伽噺にも出て来た用語。
カボチャを馬車に変え、大嫌いなお姫様をねずみに変えたりできる。書物の中でのお約束な奇跡がこの世界にあるというのだろうか?ビスクの好奇心に満たされた心が疼いた。
「ありがとうビスク君」
「…俺も信じる」
「レイド貴様本気で言っているのか」
正気を疑うような眼差しに、レイドの肩から力が抜ける。
「…信じなきゃ始まらないよ」
「ふん。ならば、魔術の一つや二つ使ってみろ」
「すまないけど私もまだ命が惜しい」
オレットの苦笑いにブイルの眦がますますつりあがっていく。そしてこの場の自分以外の人間が皆オレットの言葉を馬鹿正直に信じていることに気付き、肩身が狭い思いをする羽目になる。
舌打ちを一つ零して、ブイルは見覚えのある背表紙に視線を彷徨わせ、少しだけ不機嫌そうな面が歓喜に染まる。
「ほう、パレット公爵の戯曲まであるのか。興味深い」
「パレット公爵は僕と「うろぼろす」について書いてくれた人なんだ。才能の鬼だねあの人は」
「…誰」
ぼそりと囁いたレイドの眼前に拾い上げたパレット公爵の戯曲を突きつける。豪華な装飾が為された表紙には小難しい文字が並んでいる。王冠を象徴するようなロゴマークに、スカーレットの色合いをした謎のシルエットが被せられていた。
「馬鹿の貴様でも分かるように説明してやろう。パレット公爵は世界中に名を知らしめる戯曲家だ。パレット公爵にしか描けない独特の世界観に読者たちは引きずりこまれ、その文字の並びの美しさに酔いしれ、表現の一つ一つに心を奪われ、飽きさせない舞台展開。俺はこの人異常の文学者を見たことがない」
ブイルの熱い語り口調にレイドは「ハァ」と曖昧な返事しか出来ない。滅多に人を褒めたり認めたりしないブイルが此処まで言うのだから、きっと本当に凄い人なのだろう。それぐらいの認識だった。
「話はパレット公爵と出会ってこの本の手に入れたところから始まるんだ」
オレットはポツリポツリと語り始める。ゆっくりとした丁寧な口調に的確な言葉選び。まるで舞台を見にきているかのような見事な構成力に、戯曲を見ているかのような心地に包まれた。
まとめると、つまり、こういうことだ。
オレットは「うろぼろす」という宗教団体の魔術本を手に入れる。それを参考にし、パレット公爵という戯曲家と共に一冊の本を書き上げようとしていた。
しかし、オックスブラッド、紫の軍服を着込んだ彼らが魔術本を欲していた。オックスブラッドは悪名高い国だと噂されており、また異様なほど「うろぼろす」の魔術本を求めていた。金に制限は設けない程のものなのかとオレットは所持している本の価値と重さを知り生唾を飲んだ。
奴らに渡してはいけない。使者をどうにか言いくるめて追い返したが、このまま魔術本を持っていると家族まで巻き込んでしまうかもしれない。何よりの恐怖に怯えたオレットはどうにかしてこの魔術本を他者の手に譲ってもらえないものだろうか。
しかしこんな危険なものを見知らぬ他人に押し付けるわけにも行かず、悩み続けたオレットの前に現れたのが、橙色の国旗を掲げるザンジバールだった。
彼らは一人重圧と戦っているオレットに変わり、魔術本を受け入れるといってくれた。ザンジバールの王は民にモ愛され、悪い印象は聞かない。ここならば。とオレットは彼らの手をとろうと思っていたのだ。
「…焼き払ってしまえばよかったのに」
「本は世界共通の遺産であり、宝だ。私にはそんなまねはできない」
とんでもないと言いたげに首を横に振られ、レイドはオレットの価値観を理解するのに相当苦しんだ。この世にあるだけで狙われる危険物なら少し松明に近づければ灰に出来るというのに。
ビスクの友人のローズは本の虫だとからかわれていたそうだが、この父にして子あり、といったところか。
この村、バー・ミリオン村は二国の狭間の独特な地形にある。小規模な地震や土砂崩れが多いというのはそのためだ。山に囲まれ他の国政から隔離された珍しい集落。だから彼らは対立する二国のどちらにも属さない。属さないからこそ、味方がどちらなのかも曖昧だった。
「つまり、俺達はコケにされたというわけだな」
ブイルは理解の早すぎる脳味噌を回転させ、一つの結論へ辿り着いた瞬間、形容しがたい怒りに襲われた。
「…むかつく」
言葉を乱さないレイドの静かな怒りは、ブイルにまで移り、二人の全身から殺意が一斉に沸き起こる。ブイルは硝煙と砂埃が舞う部屋に倒れているザンジバール、オックスブラッドの兵士の背中を踏みつけ、挑戦的でかつ嘲るような笑顔を浮かべた。
「敵国の名を語り、オレのような誇り高き傭兵をくだらん茶番に付き合わせた罪は、必ず払って貰おうか」
「さあ、反撃の始まりだ」
バー・ミリオン村捕虜奪還作戦