屋敷の中はザンジバールの兵士達が散らかした痕跡はあったが、柱が崩れていたり、机が叩き割られていたりなんてことはなかった。
ブイル達が駆け抜けてきた村の崩壊具合に比べれば生ぬるい。やはりこの家をあえて襲撃しなかったのだろう。ブイルは先程浮かんだ考えを肯定する。
「行くぞレイド。覚悟は出来たか」
不意を付いて無力化した残党の上を跨ぎ、長い廊下の一番奥にある扉を見据えた。
「…臆病者のブイルと違って、随分と前から出来てたよ」
「減らず口が」
家主であるローズの父親はきっとこの中だろう。
「――違う!ちゃんと――するはず――」
「――から、―を探せ!」
「――ものめ!」
重い扉越しに複数人の気配と、言い争う声が微かに聞こえてきた。
呼吸を整える為に一度息を吐き出し、また吸う。土埃と硝煙の匂いが肺を満たし、二人の肩が同時に下がった瞬間、レイドは重厚な飴色の扉を力の限り蹴り付けた。
バー・ミリオン村捕虜奪還作戦
通常、蹴破るには相当難しい筈であろう扉を利き足でぶち抜き、視界が一気に開ける。
中は広い書斎だった。所狭しと背表紙が並んでおり、大きな本棚におさまり切らなかった書物が床に山となり積まれている。奥には扉の色とよく似た色合いの重厚な机が置かれてあった。
その机に背中を預け、怯えた表情をした無精ひげの冴えない男。この男がローズの父親だろう。
突然の侵入者に中に居た濁った紫色の軍服を着込んだ男達が戸惑ったように振り返った。数は4人。見張りのあの2人を合わせて総勢6人でこの家を探索していたようだ。
「動くな」
場を支配するためブイルが真っ先に口を開いた。手には愛銃が握られており、銃口は容赦なくザンジバールの兵たちに向けられている。
「なんだ貴様達は」
「なんだ、は俺達の台詞だ。貴様等ザンジバールの兵だな。こんなところで何をしている。その男を解放しろ」
ブイルの言葉に男達が纏っている空気が殺意に塗れる。ずけずけと上から目線で語るブイルの背中をビスクがはらはらしながら見守っている。何でこの人は自分も武器を持っているとはいえ、武装した敵兵相手に強気でいられるのだろう?
「おい君達!此処は危険だ早く逃げなさい!」
レイドとブイルがビスクの前に立ちふさがっているせいで室内の様子は小さい彼には見えなかったが、その声を聞いてローズの父親、オレットがいることに確信を抱けた。
「オッ」
「撃て殺せッ!」
自分達の敵だと認識した彼らは容赦はしない。一斉に肩から下げていたライフルを構えブイルに発砲した。
名前を呼ぼうしたビスクの声を掻き消すように、銃弾が降り注ぐ。前に出ようとしたレイドのタンクトップを引っ張り、後方へさがらせるブイル。撤退したとしても後ろは一直線の廊下だ。仮にどこかの部屋に逃げ込めたとしても選んでいる余裕を与えてくれるとは思わない。
二人の盾になったブイルは銃撃の嵐に顔色一つ変えない。
銃声が鼓膜を揺らし、頬とこめかみと足を掠める。赤い血が滴り落ち、ブイルの端正な顔立ちをぬらした瞬間、ライフルとは別の、異質な銃声が一発、鳴り響いた。
「おいどうした!?なにがあっ」
ずるりと一人の兵士の手からライフルが零れ落ちる。隣に居た兵士もトリガーから手を離し、地に伏した仲間に視線を奪われてしまう。
驚いたような表情で固まったまま仰向けに倒れた仲間の眉間に空いた穴から噴出す赤黒い血。「え?」と言葉を漏らした瞬間、足に熱い塊を埋め込まれたような衝撃が襲う。悲鳴をあげ、無様に転がる。
「動くなと言った筈だ」
唐突なアクシデントに残りの二人も銃撃を休め、ブイルのほうをにらみつけた。目の前の男は一体なにをした?ブイルの持つ拳銃から硝煙が上がっている。
この男はたった二発で半分もの戦力を削り取ってしまった、ということなのだろうか。そうとしか考えられないが、いつトリガーを引いたのか、自分が撃たれているというのに、的確な狙いをどうやって定めたのか?
普通なら避けて身の安全を第一にすべきなのに、まるで自分には絶対に当たらないと言いたげな堂々っぷりに蹴落とされ、対象が狂った兵士たちの一人が小さく震えた。
睨みつけてくる隻眼が、細くなる。そのとき、気付かされる。男が不釣合いなほど満面の笑みを浮かべていることに。
「照準がズレちゃって上手に脳漿撒き散らせねエェだろうがオオォオラアアァア!!!!!!!!!」
こいつ、普通じゃない。ザンジバールの兵士達が悟った瞬間、ブイルの纏っていた雰囲気がガラリと変わった。びりびりと家中を揺らすような咆哮は、とても理知的な男から放たれたものだとは思えない。
「えっ!?なに!?えっ今の誰の声!?もしかしてブイル!?でもっえ!?」
「…また始まった…」
顔を除かせようとしたビスクを腕の中におさめたレイドの溜息がもれる。まるでコレがいつものことだといわんばかりに獣のように荒い息を繰り返すブイルを冷ややかに見つめた。
「ア゛ーーーヘッタクソな射撃ご苦労さんッッ!!ダッメダメだなぁオマエラ!!クソ誤射にも程があんぞオラァ!」
単眼を見開き除かせたブルーの瞳に過激な色が露になっていた。別人のように口調も、声音も半トーン跳ね上がっている。
ガリガリと血に濡れた頬をかきむしる仕草も、繊細さが欠如していた。体の内側から湧き上がるアドレナリンを押さえきれないようで、呆然と立ち尽くしている【獲物】にニヤリと笑いかける。
「いいか射撃ってのはァ!」
彼が愛銃をくるりと華麗な手つきで回すと、パァンと小気味いい音が室内に満たされる。足を撃たれてうずくまっていた兵士が手を伸ばそうとしていたライフルが弾き飛ばされる。
「一片の慈悲もなく!」
慌てて腕を更に伸ばし弾かれたライフルを掴もうとした掌の真ん中に穴が開いた。掌から噴出す血しぶきの量といったら。ビスクが見えないようにレイドが彼の目を覆うグロテスクさだった。
「憎しみも怒りもぜんぶぜーんぶ丸め込んでェ!」
喉からあらん限りの叫びを上げて苦しむ男の喉と額と心臓を狙って三発。見事に命中した兵士はひゅーひゅーといくら吸っても洩れていく息に気付くことなく、葬られる。
「対象物を鉛玉で愛撫してヘブンに連れてってやるもんなんだよ………!」
うっとりと愛銃に舌を這わせる姿はまさしくぶっ飛んでいると表現するのにふさわしい二人目の仲間の死により硬直が解けた兵がブイルに向けて撃つ。それを素早い動きでかわし、人間離れした瞬発力を見せ付ける。
床を踏み抜く勢いでけりつけ、ステップを踏む。体の重心を整え、もう一度両足で床張りの板を靴底で押さえ込んだ。ふわりとザンジバールの兵たちの頭上よりも高く飛んだブイルは空中でなれた手つきでリロードを行った。
「アッハーー!頭ぶちまけてイこーーーーーー!!!!!!」
飛んだブイルを狙って放たれる銃弾を身体を捻ることで回避しながら、ブイルは嬌声と共にトリガーをひたすら引きまくる。間、数十秒にも満たない銃撃戦により敗北した兵士が全身に風穴を開け、無念にも鼓動をとめた。
4機ものライフルの猛省を受けながらも、正確で無慈悲な射撃の腕前を存分に披露したブイルは、最後に残った兵士に笑いかける。この状況で自身へ突き刺さる最高の笑顔に兵士の戦意は既に喪失している。
膝から力が抜けライフルを落とした兵士にこつこつと靴を鳴らしながら近づく。見下す先には恐怖に歪んだ兵士の顔がある。ブイルはぶるりと震え、脱力した。
「オレの愛人のクリスにキスしてイけるなんてさいっっこうにエクスタシーだなァ?」
焦らすように怪しく光る拳銃を兵士の口の中に無理やりねじ込み、言った。完全にこの男は狂っている。兵士が目を見開き、口内を支配する金属の味に走馬灯を見た瞬間、クリスを横から掴んだレイドが静かに割り込んでくる。
「ンだよレイドォ!?オレのSEXの邪魔ァすんならテメェから」
「…そいつは殺しちゃ駄目。上層部の人間だと思う」
比較的声を押し殺したレイドに無言で「何故だ」と問いかける。
「襟元。…他の奴らはつけてなかったバッチをつけてる」
レイドの言葉にチラリと兵士の襟元を見る。蛇のモチーフがあしらわれ、赤に濡れた紫色のバッチには小さな字で階級が書かれていた。どうやらなかなかの位置に居る兵士らしい。それを聞いたブイルは数秒間黙り込み、やがて愛銃をしまった。
「………ッハーーーー。つまらんな」
紅潮した血の気を荒い息を吐き出すことで追い出し、最高に余韻に浸った表情からいつもの無愛想面に戻すのに時間がかかりそうだ。
その間、口下手ながらもレイドが瀕死のリーダー格であろう男を問いただすことになりそうだ、と嘆息を吐いてみせた。