バス・タイム・アクション・ゼロ・パスカル

フリー傭兵部隊「Intricacy MercenaryeS」の拠点ともいえる建物には大浴場が備え付けられたのは、ここ最近の話だ。レイドやブイルといった新参者が入隊する前から本部はあった。何年以上前から存在しているのかなどの詳しいことはよく分からない。

しかし一度へまをした部隊が命からがらに此処まで逃げ延びてきたことがあった。迷惑なことに大量の敵兵達を連れて、だ。任務に出ていた者以外の総員を持ってして鎮静化に成功したが、建物へのダメージは相当酷かった。にらみ合いを始めたレイドとブイルをとめようとしたラグーンがちょうど手榴弾が炸裂したであろう床を踏み抜き落下したことをきっかけに、建て直しが決定されたようである。

「タダでさえ暴れる連中が募っているのに、このままじゃ本部ごと壊されかねん!」

と半泣きで上層部に触れ回ったラグーンの訴えが見事届き、早急に本部の工事が始まった。猛スピードで行われた突貫工事だったが、業者の腕が良く予定よりも随分と余裕を持って完遂してくれたお陰で、オプションを付けてはいかがという提案が軍医のイロエから持ち出された。

「この際に皆で入れる大きな浴場とかつけたらいいんじゃない?どうせ予算より少なめに見積もってるんでしょ〜?」

「うっなぜそれを…!」

「ケチったことがばれて反感買うより、少しでも彼らのための設備を充実させた方がいいと思うな〜」

ね?と微笑むイロエにラグーンはむぐっと口を噤んでしまった。コレは提案なんて生易しいものではない。どうせまたぶっ壊されるんだろうと拗ねたラグーンは皆に公開した報告書よりも確かに安い値段で工事を進めていた。

だっていくら綺麗にしたって直に弾丸で抉られちゃうんだもん!という叫びである。イロエはちゃんとそれを理解していたし、理解したうえでニコニコしながらそんな事を言っていた。結局のところ、大浴場は必要か否かという議論は夜通し続き、ラグーンの心がへし折られる結果に落ち着いたのだが。

そういう経緯があり、この本部にも大浴場が出来上がった。風呂に浸かるという文化が無かった国の出身は戸惑いを覚えたが、疲れと血を暖かい湯でゆっくり洗い流す良さに続々と気付き始める。

今までは個々の部屋にある古いシャワールームのみを使用していた傭兵達は歓喜の声をあげた。

裸身を他人に見せるのが嫌だという連中も中にはいて、浴場を使う人間が大方決まってきた頃、任務を終えたレイド率いるDランク部隊が本部の入り口をくぐった。

「レイドたいちょー!今日は大浴場使ってみませんかー!」

キラキラとした眼差しでレイドの後をとことこ歩いていたコレールが声をあげた。無邪気な笑顔を浮かべながらの言葉に、レイドは少し立ち止まって考える仕草を見せる。

「…俺は別に。シャワーで充分」

「ええええ!折角でっかい風呂が出来たんですから一回ぐらい使ってみましょーよー!アガットも入りたいってこの前言ってましたっ!」

「言ってないし…そもそもこんな汚くてガリガリな奴が言ったら絶対白ける…」

名があがったアガットは、低い声でネガティブな発言を零し自嘲気味に視線を落とす。瞳は暗く沈んでいて、彼の性格を如実に物語っていた。続いてアガットより半歩遅れて歩いていたロザリオとアルゼルも浮かない顔だ。

「野郎ばっかりの風呂なんて色気がねーなァ」

「行きたくないな」

「なんだよどいつもこいつもさー!いいじゃんお風呂!広々とした風呂なんて入ったことないんだからちょっとぐらいいいじゃんかよー!」

ぶーぶーと消極的なメンバーに文句を叫ぶコレール。目元にこびり付いた返り血を指で拭い、かさついた赤を皆の眼前に突きつけた。

「ほら見てこれ!俺達今真っ赤を通り越して真っ黒だからねっ!お風呂じゃないと絶対落ちないよ!だから行こうぜ!」

「…そんなに行きたいんだったら、行こうか」

必死に行きたいと頼み続けたコレールの願いをレイドはあっさり受け入れる。最初は否定的だった彼だが、部下の願いを無下に断ることは出来ない。コレールの頭を軽くなでてやると、パァッと開く向日葵のような笑顔を見せてくれた。

「やったー!隊長大好きー!じゃじゃっさっそくっ」

「隊長が行くなら…行きたい…笑われたって構わないぐらいに行きたい…」

「レイド隊長の引き締まったお体が見えるなんてこりゃ行くしかねェな!」

「行く」

「ってお前らー!さっきまでいやいや言ってたのにコロコロ意見変えちゃってー!」

優しい隊長のご意向に即座に添い意見を変えるのが彼らの隊長愛だともいえよう。あからさまなエゴにコレールの頬がこれでもかというほど膨らむ。レイドは自分の服にこびり付いた泥と汗を流したいと心の底で思いながら、騒ぐ部下たちを眺めた。


大浴場は本部の1階に備え付けられている。湯を沸かすという行為にガスは不可欠だ。そのガス室が地下にあるためである。こそっと顔を覗かせたコレールは後ろに控えているメンバーにぐっと親指をたてた。

「よっしゃー!誰もいなさそう!一番風呂だー!」

「まあこんな時間から風呂入るっていう物好きも少ないだろうしねェ」

嬉々として汚れた服を脱ぎだしたコレールに続き、のろのろと籠に衣類を入れ始める。コレールはつるりとした肌を曝け出し、隣のアガットの上半身をジーッと見つめる。その視線を面倒くさそうに振り払い「なに」と無愛想に口を開いた。

「アガットマジガリガリだなー!肉食ってる!?」

「…心配されるような食生活は送ってない…これだから嫌だったんだ…」

「あっレイド隊長ォー脱いだ服は洗濯機に入れたほうがいいッスよ。結構台数あるんでェ」

「…どのボタン押せばいいの?」

レイドは前髪が長いので表情は見えない筈なのに、ロザリオは彼が洗濯機の前で困っているのを何となく感じていた。俺達の隊長これだから可愛い!とこっそり悶えていると、人間不信のアルゼルが恐る恐る二人の間に割り込みそっと赤いボタンを指差した。

「多分、コレ」

「アルゼルゥ!俺が隊長に教えようと思ったんだぜ!?美味しいトコとらないでくれよォ!」

「そんなの、知らない」

「…先にお風呂行くから」

また口喧嘩が始まりそうな気配を察したレイドは静かにそう言うと、回りだした洗濯機から離れた。傷だらけの肉体を惜しみなく披露しながら硝子戸を開ける。すると暖かい空気と脱衣場の冷気が混ざり合い、半端な温度を全身がなでていく。

広々とした浴場を湯気が覆い、外の風に晒された身体を優しく包み込んだ。素足がタイルを踏む心地よい冷たさにレイドは思わず息を吐く。噂ではなかなか広いと言っていたが、確かに広い。此処に寝床を構える全員を一度に収納するのは無理そうだが、それでも大人数が湯浴みするのには充分だろう。むしろレイド隊だけで使用するのは贅沢だと思えた。

湯船に浸かる風習が無かったレイドだったが、少し心が浮き立った。

「俺と同じ湯に浸かろうとするな。目障りだ」

暖かい湯に肩まで浸かり長い息を吐いて水面を揺らしたい。ぺたぺたと湯気を掻き分けて湯船の恐る恐るつま先をつけた瞬間、聞き覚えのある声にピタリと動きが止まった。

「…なんでブイルがいる」

誰かに出会うのが嫌だったのに、何故しかもこいつと。レイドの口角が引きつり、嫌悪にひくつかせる。Dランクのレイドと違い、Aランクのブイルがまさかここにいるなんて露にも考えてなかった。自分達の腕前を認められ、エリート道を突っ走る彼は自ら身体を曝け出し、大衆の面前に出るような性格ではない。

「それはこっちの台詞だ」

濡れた青髪をかきあげ、ギロリと片目を細くする。風呂であろうとも眼帯を取ろうとしないのはブイルのこだわりなのかもしれない。

「俺は不潔な貴様等と違って任務後は必ず風呂に来るようにしている。シャワーだけでは落ちないものもあるからな。で?貴様は何の用で此処に来た」

「…お湯に浸かりに来た意外に何があるんだ…風呂に他の用途があるなら是非教えて欲しい」

「相変わらず挑発的な口調だな。ブイル隊長。こんな下等生物の相手をしていては貴方の品が落ちてしまいます」

ブイルの傍らに居る眼鏡をかけた男がそっけなく言い放つ。済ました横顔でさらりと毒を放たれレイドが押し黙っていると、「いっちばんのりー!」と脱衣所から飛び出したきたコレールが瞳を大きく見開いた。

「あ!Aランクブイル隊の毒舌めがねって有名なインディゴだー!ついでにロン毛のヴェニットも!」

「ちょっと待ってー俺の説明超ザツじゃねー?失礼すぎー」

インディゴはコレールの姿を見かけると、曇った眼鏡を畳みながら舌打ちをかます。

「貴様らの汚い面を見ることになるとは折角の風呂も台無しだな」

「チョー貧相っていうかァーとにかく不潔だネー」

心底嫌そうにインディゴの言葉に頷く態度には敵対心が丸見えだった。ブイルとレイドの仲の不具合さを退けたとしても、双方の気が合うことは決してない。地力で踏ん張り日々泥にまみれながら戦っている彼らからすると、済ました顔で戦績を攫っていくエリートたちの態度が純粋に気に食わないのである。持っている意識から根本的に

「アー!お高く止まっている高位ランクの皆々様じゃないですかァ!こんな庶民が一緒の風呂に入っててすみませんねェ」

「貧相な体つき」

洗濯機の件の話し合いが終わり、ロザリオとアルゼルも参戦する。

「エッなになにこいつらチョー失礼っていうか腹立つー俺達はあんたらみたいに筋肉馬鹿じゃないからァ、怪我するっていうことが少ないだけなのォ。愚直に突っ込んで傷だらけとかださすぎっショー」

「馬鹿ほど負った傷跡の自慢をしてくる聞いたが本当のことだったのか。なんだ自らの未熟を誇らしげに語ってくるほど情けないものは無いぞ」

辛辣な悪意を投げつけられ、レイドを除く四人の顔つきが一気に強張る。自分達の戦闘スタイルを馬鹿にされ、戦いにおいて絶対的なプライドを傷つけられた傭兵が、そのまま黙っているわけが無い。不穏な気配を察したレイドはとにかく湯に浸かる為にブイルから離れた位置から足をつけようとした。

「レイドそのまま入ってくるんじゃない!貴様等任務後だろう!穢れたまま風呂に入ろうとするな湯が赤に染まる!」

しかしブイルの鋭い叱咤にとめられ、レイドは前髪越しに睨みつける。

「…なんでブイルに命令されないといけない」

「馬鹿か命令とかではなく最低限のマナーだろう!コレだからいつもシャワーのみで済ませている野蛮な奴は品が無い」

「うるさい人の風呂事情に首を突っ込んでくるなオラァ!」

荒げた声が風呂場に反響し、それが開幕の合図だといわんばかりに全員身構える。殺気を感じ取ったインディゴとヴェニットも立ち上がろうとしたが、ブイルがそれを手で制する。

「なんだやるのか?神聖な湯浴みの場で戦闘を吹っかけるとは。だから貴様は野蛮人なんだ」

「…デマカセだらけのブイルの口から…神聖っていう単語が出てくるなんて、不釣合いで笑いそう」

「ほう俺に喧嘩を売るのがそんなに楽しいかそうかならばお望みどおりミンチにしてやる」

ブイルの言葉が場の空気を固め、静寂が訪れる。相手の出方を伺っている双方の眼差しは無遠慮にお互いに注がれていた。言い忘れていたが、此処に居る全員が全裸である。シリアスもクソもあったものではないが、本人たちは真剣だった。緩い蛇口から一滴の水がタイルに落ち、微かな音をたてる。同時にブイルとレイドの目つきが変わった。

「オイ!なんだか騒がしい気配を察したと思って来てみればやはりお前らか!」

暴発しそうだった殺気の塊を無理やり抑えつける声に一同は振り返る。ぜえぜえと息を荒げたラグーンが顔を歪め、全裸で暴れだそうとしている男達に愛剣を突きつける。

「折角立て直した風呂場で何故身構えている!双方矛を収めろ!」

「ラグーンか。邪魔をするなこの躾のなってない野良犬の首を絞めてやる」

「…ノラのキモチは分からないエリート様を沈めるから、邪魔はしないでほしい」

「全力で邪魔するわばか者共が!貴様たちだけの湯ではないんだぞ…公共施設という言葉を知らんのか!」

反省しない言い草の二人にラグーンの雷が落ちる。ギリギリと剣を持つ手に力が入るラグーンの肩を叩き、そっとイロエが現れた。

「あっイロエ兄さん」

レイドの表情が少し和らぐ。尊敬する軍医の登場に肩の力が抜けたのだ。レイドが落ち着くとその部下である四人の戦意も自然に和らいだのだから不思議なものだ。

「やー盛り上がってるねぇ。お兄さんたちも中に入れてほしいなー」

薄く微笑みながらイロエは服のボタンに手をかけはじめる。唐突に脱ぎだした同僚にラグーンも驚いたようで「お前なにしてんだ!?」と動揺を露にした。

「風呂に浸かりに来たんじゃないんだぞ!この馬鹿共を連行する為にっ」

「まあまあ落ち着きなよ。敵対心とか気が合わないとかそんなものは一旦おいといて、とりあえず水に流すって言う意味でお湯に浸かればどうでもよくなるもんなのさ。あったかいお風呂に浸かるって言うのはリラックス効果もあるし、このまま連れて行ってもまたにらみ合うだけだろうしねぇ」

最もな事を言いながらイロエは着々と脱衣を済ませていく。ラグーンはあんぐりと口を開きこの展開に慌てた。イロエが付いてくるといってくれたものだから安心してこの場を鎮圧しようと思っていたのに、まさか湯に浸かりたいなんていいだすとは!この阿呆共に論理なんて通用しないと理解していると思っていたが、そうでもなかったのか。仲良くするという単語が崩壊するほどに気が合わない化物たちに肩を並べて仲良くしろ、だなんて野生動物と友達になろうとするぐらい無理な話だ!

イロエの予想できない動きに戸惑っていると、最後の一枚のシャツが床に落ちる。同時に暖かい風呂場なのに、凍りついた風が流れた。

ラグーンよりも、言葉を失った連中が、イロエの身体を凝視していた。傷だらけなんていうレベルじゃない。むしろ傷跡しか肉体に刻まれていなかった。歴戦の猛者を思わせる引き締まったガチガチの筋肉を覆い隠すほどに様々な痕が残った上半身が、無言で彼の過去を物語っている。

「ね?みんな、大人しく一緒にお風呂入ろうか?」

そしてこの微笑みの爆弾である。語彙に圧力は無い。なのに従わずには居られなかったレイド達は、そっと湯に浸かった。滲んでいく赤い波紋に、ブイル達は文句を垂れることなく妙に姿勢のいい体制のまま動かない。エリートたちのこめかみを湯とは違う汗が流れていく。

一瞬で空気を持っていたイロエにラグーンは何も言えなくなった。無言の主張とはコレほどまでに恐怖をもたらすものなのか。なんだか自分も入らなければいけない気分になってきて戸惑っていると、イロエが笑った。

「ほらラグーンも早く早く。あっ小さいとかそんなの気にしなくていいと思うよー」

「誰の何が小さいだって!?」

レイドはそんなやり取りを訊きながら初めての湯の温もりになんだか泣きそうになりつつ、ぶくぶくと頭まで浸かったのだった。





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