01

この世界は、案外不条理で出来ている。

少年は齢12にしてあまりにも早くそれを悟った。母親に隠れていなさいときつく言われ、閉じこもっていたタンスの中で、震える息を吐き続けていた。

外からは轟音が絶えず鳴り響いていた。鼓膜を貫く銃声や、遠くで呻く村人達の断末魔。外の世界の状況が分からないだけに、ますます少年の不安を煽っている。

確か、少年が朝目を覚まし、質素だが母親の愛情が詰まった朝食を食べ、友達のローズと遊ぶ約束をしていたことを思い出し、身支度を済ませていた筈だった。

母親に急かされながら鞄にお気に入りの玩具を入れ、ローズの笑顔が脳裏に浮かんだ瞬間、窓ガラスが微かに震えた。地震だっと少年は慌てて机の下に潜りこむ。この地域、バー・ミリオン村では小規模な地震が多い。周辺は高い山々に囲まれ、外界と連絡を取ろうとしてもなかなか容易な話ではない。そんな土地にこの村はある。

いくら揺れが小さいからと油断していると、地震は緩んだ山に土砂崩れを呼び、土砂崩れがまた災害を生む。そんな地域で生まれ育った少年だからこそ、素早い判断ができた。

「お母さん早く隠れて!」

頭を両手で押さえ、窓のほうを見開いた目で見つめている母を呼ぶ。

少年の声に振り返った母の表情で、コレが唯の自然災害による揺れではないことをなんとなく察した。地鳴りにも似た振動が床を伝い、少年は机の脚にしがみついた。母もバランスを崩し、とっさに柱に縋りつく。腹の底から殴りつけられているような地響きが続き、飾っていた花瓶が割れ、赤と青の花が床に散らばる。

少年が母をもう一度呼ぶ前に、母親は柱から弾かれるように離れ、少年を机の下から引きずり出した。何が起こっているのか理解できていない少年と違い、母は全てを察した様子だった。自らの母親の何かを決意した横顔に、少年の脳裏を言い知れぬ不安が過ぎる。

「いい?あんたは絶対此処を出ちゃダメ。お母さんが戻ってくるまで隠れていなさい」

衣装タンスの中に小さな息子を押し込み、きつく命じたのと同時に窓ガラスが破裂した。外からの日差しを浴びた破片が室内に身を落とす。少年は恐怖でたまらなくなって、離れていこうとする母親の裾を思わず掴んでしまう。

「お母さんは何処にいくの?」

母親はその問いには少し切なそうな表情を返しただけで、答えようとは思わなかった。これから何が起こるのかわからない状況において、下手にこの子の身の危険を脅かすような真実を言う必要はない。

「絶対に出ちゃダメだからね」

繰り返すように念を押し、扉が閉められていく。徐々に暗闇に染められていく視界に、少年は言葉を失いながら母の姿が黒に飲まれていくのを黙ってみていた。

そしてそれからどれだけの時がたったのだろう。遠ざかることが無い銃声に、嗅ぎなれない硝煙の香り。耳を強く塞いでも、それら全てが少年の心臓を早く打ちたてる。

膝を抱えて息を殺していた少年は恐る恐る顔をあげた。相変わらず真っ暗だ。タンスの中だから当然なのかもしれないが、それ以上にこれからどうなるのかが全く見えなくて怖い。

―――外に出てみよう。

少年がそう思い立つのに時間はかからなかった。母にきつく戒められた約束を破ることより、このまま状況を把握できぬまま終わりが来るのかすら分からない時間を過ごすことが酷く辛い。

外側から鍵はかけられていない様だ。あまりにも母親が慌てていてかけわすれたのか、それともかけては不都合な事があったのか。それは直接母に尋ねればいいことだ。

ゆっくりと慎重に押しやると、少しずつ室内の様子が露になる。無意識のうちに身を屈め、転がり落ちると、荒れ変わり果てた自身の家に呆然と口を開いてしまう。窓という窓は全て割れ、見通しの良くなった外からは煙が漂ってきている。目前に広がる異常事態に少年の思考回路は停止しそうになる。

お母さんは無事なのだろうか。ハッと少年は顔を引きつらせて外へ飛び出た。

勢いよく叩きつけられた扉の向こうは、少年が全く知らない風景が広がっていた。向かいのサンセット叔父さんの家が半壊して、中の家具が吹き荒ぶ硝煙に晒されている。ありとあらゆる所に破壊の痕跡が残されており、軒を連ねていた住宅は皆そのような有様で、見る影がない。信じたくは無いが、誰かが撒き散らした赤い血の跡も。

空しく転がっているオレンジが誰かに踏みつけられ、潰れた果汁が少年の靴をぬらした。

此処は果たして、自分が今まで走り回って過ごした村なのか。信じられない現実を飲み込まざるを得なかった少年はこみ上げてきた涙を必死に抑える。

「まだ子どもがいたのか」

荒くなってきた動悸を吐き出し、とにかく母親を探そうと周囲を見回した瞬間、頭上から声が降って来た。

「だっ誰だ!?」

吃驚しながら頭上を見上げると、家の屋根に立っている男が少年を見下ろしていた。見覚えの無いシルエットに困惑していると、男は屋根から飛び降り、少年の前に姿を現せる。
男は赤い髪をしていた。己の眼差しを隠すかのように前髪は長く、表情が伺えない。鍛え上げられた身体を隠しきれていないタンクトップの肩には刺青が彫られている。全身に全く無駄な筋肉が無いことは一目見て明らかだった。

髪色に劣らない赤い血液にぬれているナイフを握っていることに気付き、少年は声にならない悲鳴をもらす。

「ごめん」

自分の武器に怯えていると悟った男は謝りながらナイフに付着した血を自らの手で払った。少年が怖がっているのは何も血の池に落としたかのように濡れてしまった血液だけではなかったが、便宜を図ってくれたのだからあまり文句は言えなかった。

「おっお前なんなんだよ!答えろよ!」

「傭兵」

簡潔な答えに、少年は浅い知識の海の中で、傭兵という単語を必死に見つけ出そうとする。そういえば親友のローズが前に、傭兵について教えてくれたような気がする。

ローズは博識だった。いつも分厚い本を読んでいた。バーミリオン村ではちょっとだけ噂されるような本の虫だ。

世界各国から集められた書籍が沢山本棚に飾られているそうで、本には疎い少年にはちっともその魅力が理解できなかった。しかしローズはめげることなく何度も少年に読み聞かせをしてくれて。ローズ。そうだローズも無事なのか?母親の心配ばかりしていたが、ひ弱なローズがこの凄惨な光景が広がる世界で、果たして無事でいてくれているのか

「おっお前らが僕たちの村をこんな滅茶苦茶にしたのか…!?」

怒りや恐怖が混じあい、怒声を発する。親の敵を睨むような目つきを向けられ、赤髪は困ったように後頭部に手を回した。首から下げられているドックタグがチャリッと音をたてる。

「…まあ、そういう解釈は間違ってはないけど」

「馬鹿か貴様。それでは俺達がこの村を襲ったと言っているようなものではないか。真実を捻じ曲げるな不愉快だ」

赤髪をけなすような言葉が唐突に降ってきた。少年は二度目の驚愕を味わい、いつの間にか背後を取られていたことに鈍感ながらも悟った。振り返ると鋭い視線と目が合い、少年は拒否するように目を逸らした。

理知的な顔つきだった。片目は眼帯で塞がれていたが片目だけでもその眼差しの奥に潜む冷静な感情がしっかりと伝わってきた。ラフな服装の赤髪とは違い、皺一つつけることなくビッシリと着こなされている軍服が彼の威圧的な態度に拍車をかけている。

「この村の生き残りを見つけたらすぐさま報告しろと言っているだろうが。何を怯えさせている。やる気があるのか」

あからさまに怯えられた男は少し顔をしかめたが、何も言わず赤髪に向かって眦を吊り上げる。

「うっせえ黙れ変態オラァ!!!」

青髪の男の登場により、一気に感情をあらわにして怒鳴った赤髪に、少年の肩が飛び上がる。

「誰が変態だ!!!!脳漿引きずり出してやろうか!!!」

青髪も利発な顔立ちを憤怒に染め上げ、目を見開いた。どうやらこの二人は視線がぶつかり合うたびに抑えきれない感情を爆発させる仲らしい。

少年は可笑しな状況に巻き込まれてしまったと顔色を青くする。こんな二人に構っている場合じゃない。早く母とローズを探しに行かなければ!

「何処に行くつもりだ」

踵を返して走り去ろうとした少年の襟首を青髪の男が躊躇い無く掴みあげる。首が絞まり少年の顔が苦痛に歪むが、瞳のそこで燃え上がる使命感は決して掻き消されることは無い。

「離せよ!僕はお母さんとローズを探しに行かなきゃならないんだよ!」

「この戦況を見ても分からんのか。この辺りを隈なく調べたが、見張りの残党と貴様しかいなかったぞ」

「後は死体だらけだったよ」

絶望にこめかみを殴られた気分だった。男達の言うことが本当だとするなら、母とローズはどこかに連れて行かれたか。それとも、転がっている屍の山で倒れているのかもしれない。分からない。もうなにも、分からなかった。

「なんでっなんで僕達がこんな目に合わなきゃならないんだよ!」

「貴様達の国、オックスブラッドというのだったか。オックスブラッドは、隣国のザンジバールと長年にらみ合っていたそうだな。この村、バー・ミリオンは二国の国境の狭間に属している。簡単なことだ。戦争に巻きこまれたんだよ貴様たちは」

涙腺が崩壊し、涙で顔面を濡らし咽び泣く少年を引っ張り、青髪はぐいっと顔を寄せ低く呟いた。

「だったら、お母さんとローズは…もう」

「諦めるには早い。ザンジバールは先ず最初に落とした拠点の住民たちを捕虜として攫い、攻め落とす国の情報を根こそぎ剥ぎ取るそうだ。それならば屈強な男よりも、ひ弱で抵抗が少ない女子どものほうが重宝される。貴様の母とローズとやらの子どもも、そこにいるのかもしれん。バー・ミリオン村の住民が連行されているという情報も得た」

「戦争は、情報が命。捕虜達が吐く前に助けだせと俺達が派遣された」

「人が話してる最中に割り込んでくるな」

ボソッと小さな声で口を挟んだ赤髪に、青髪は鋭い視線を突き刺す。

「お兄さんたちは僕達の味方なの…?」

そのあまりにも酷い言い草に赤髪はムッと唇を尖らせ何かを言い返そうとしたが、少年の希望を抱いた声音に口を閉じた。

「時には味方にもなり、状況次第では敵になるかもしれんが、俺達は今はオックスブラッドに雇われた傭兵。この村を襲撃してオックスブラッドを潰そうとしているザンジバールの前衛を、追い返す。それが俺達の任務だ」

きっぱりと言い切った青髪に、少年は今度は目を逸らさなかった。真っ直ぐに見据え、希望の光に涙を拭った。赤く染まり濡れた頬を掌で荒く擦り、再び顔をあげた少年の顔つきに、青髪は満足げに頷いた。

「こっちの無愛想なヤツがレイド。俺がブイルだ。助けてやるからには少しは協力してもらうぞ。手始めに、貴様の名を問おうか」

「ビッビスク。僕はビスク=オーロラ。お願い。僕のお母さんとローズをっ…!バー・ミリオン村を助けて…!」


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -