大学区画単位論争

「単位が全く足りないな、お前は」

呆れた、と言うよりも心底愛想がつきた、とそのまま告げられた方がマシだった。一教師として一人の生徒を蔑んではいけないという教師論には全く頭が上がらないが、遠回しに阿呆だと言われるのは、案外落ち込む。

このままだと最悪の結果になるぞ。また暗に留年を囁いてくる教授の言葉を聞いているのか聞いていないのか、ろくに反応しない赤田レイドが一つ静かに頷く。鈍感なリアクションにレイドが受講しているセミナーの教授の口から熱い溜息が漏れた。

「とにかく、今度の試験で挽回しないとやばいぞ。同学の青井にでも教えて貰え。お前らよくつるんでるだろ」

「……あいつに頼るのだけは、嫌」

「もうそんなこと言ってる場合じゃないぞ。課題追加しておくから必ず締め切りまでに提出するように、いいな?」


「……って言われた」

「あっちゃーそれやばい奴じゃないですか」

黄村エクリュは頼んだフラペチーノのストローを口に加えながら、眉根を寄せた。真っ赤なソファに落ち着いた雰囲気のカフェで向かい側に座っているレイドのアウェイ感には慣れている様子で寛いでいる。

お洒落なカフェの一角を陣取った二人の机の上には課題と参考資料がずらりと並べられている。レイドの課題を手伝うのはいいが、如何せん量が多い。そしてレイドの手もあまり動かないので、頼んだフラペチーノが三杯目に到達しそうだった。

「レイドはやればそこそこできるんだから筋トレばっかりやってないでたまには勉強しましょうよ。ここまできて留年とか嫌でしょ?またブイルが馬鹿にされますよ」

「…想像しただけで殴りたくなってきた」

「でしょでしょ?ならさっさとペンを動かす!ボクもそう付き合ってあげられませんからね、あっラグーン先輩のインスタ更新されてるぅ〜ここら辺のいるみたいだって!?後でこっそり探しにいこっと!」

きゃー、と女子のような声をあげながら嬉々としてインスタを更新するエクリュに無言を返し、レイドは水を呷る。当然、自分は勉強に向かない性格だということは理解していた。何より一番分かっているつもりだ。

だからといって、やる気がでるわけがないし、頭が良くなるわけでもない。教授の危機迫った発言にも動じておらず、なるようにはなるだろうと何処か他人事だった。留年よりも今日の筋トレメニューと晩御飯のことばかり考えている始末である。あまりにも勉強に対する意欲が欠けていた。

「おい、何をしている」

妙な心地のまま時間だけが過ぎていこうとしていた二人の頭上に、一つの影が差す。同時に顔を上げた二人は全く似た表情を影の持ち主へと叩きつける。

ひくついた口角のままエクリュがレイドを見ると、前髪で隠れた眼差しから敵意とも殺意とも形容しがたい負のオーラが滲んでいるのを感じ取った。

「げ、ブイルじゃないですか。なんでこんな所に」

高そうなスーツに身を纏った青井の登場に、エクリュの声音が滲む。

「げ、とはなんだ。相も変わらず不躾な奴だ。俺がカフェに来てはならんのか」

不機嫌さを前面に押し出した青井はギロリと両目を釣り上げる。スーツのポケットに手を突っ込んだ態度をとるブイルのきつい口調に「うわぁ」とエクリュは唇を尖らせ、そっぽを向いた。エクリュの可愛い顔立ちもブイルのきつい言い方に萎んでしまっている。

青井ブイルは学年でも好成績を収め、名高い企業からも声がかかっているエリートだ。当然知識深く色々な教授から一目置かれている存在だった。これで性格も良ければ相当モテたに違いないのに、彼の高圧的な態度と一人を好むスタイルに女子は圧倒されてしまう。しかし、そんな彼の本性を知らない生徒からは密かに好意を寄せられている、どこの漫画の主人公だと言わんばかりのハイスペックなブイルは、嫌そうにレイドの手元の資料の大群に視線を落とす。

「なんだその課題の量は。締め切りも近いというのにペンも持たずお茶をしている呑気ぶりに呆れてしまうな」

「……ブイルには、関係ない」

「関係が無ければ良かったが、貴様の出来の悪さが俺とレスカさんの名に傷をつけているのがまだわからんのか。迷惑なんだよ、幼馴染みに馬鹿がいると」

「…兄さんは、そんなこと言わない」

「ああそうだろうとも。レスカさんはお優しく理知的な人だからな、お前と違って」

レイドの兄であるレスカの名前を出して非難するブイル。エクリュは不穏な空気に染まりつつあるこの場から逃げ出したくてたまらなくなった。いそいそと財布を取り出し中身を確認し出す始末である。逃走経路とタイミングを見計らっているとはつゆ知らず、レイドは深い息を吐いた。

「人の話を聞いているのか愚鈍が!」

全く反省しないレイドの態度に苛立ちがますますヒートアップしたブイルが強くテーブルを叩く。

「ちょっと此処お店だから……!」

静まりかえった店内と集中する視線に泡を食うエクリュの注意は二人には届かない。今の威嚇ですっかりレイドも戦闘モードに入ってしまったらしく、ゆらりとイスから立ち上がって、ブイルにぐいっと顔を寄せた。

「……うるさい。邪魔だから帰って。今すぐ帰れ」

「ほう?お前が俺にそんな口が利ける立場が落ちこぼれが。面白い久しぶりにやるか?単位もまともに取れない雑魚風情が」

「……貧弱は黙って教科書でも見てろよ」

「小学生の教科書も理解できない奴が何を言う」

「ちょっとマジでいい加減にして……!」

レイドがブイルに掴みかかった瞬間、エクリュも慌てて立ち上がる。逞しいレイドを抑えられる自信はゼロに近いが、この場で動けるのは自分しかいない。店員が出てきたら即アウトだ。気に入っているこの店から出禁を申しつけられてしまうかもしれない。冗談ではなかった。過激なこの二人のせいでお気に入りスポットが一つ減る事態は全力で避けたい。それ以前にこの騒ぎが大学の耳にでも入ったりしたら大変だ。

色々な思惑が交錯する思考を置いてけぼりにして、エクリュが二人の間に割り込んだのと同時に鳴った入店のベルがやけに響き渡る。

「お、お前らか。こんなところで出会うなんて奇遇だな」

「やっほー君達もお茶してるの?」

「ラグーン先輩とイロエ先輩!良かった−!ナイスタイミングです!」

三人の先輩であるラグーンとイロエの来店に、エクリュの顔が心の底から緩む。こんなタイミングで助けに来てくれたラグーンはやはり運命的な先輩だとずれた事を考えつつ、エクリュはラグーンの腕に飛びつく。

「なんだまた喧嘩してんのか。ブイルとレイドは。喧嘩すんのはいいが場所考えろよ、場所」

エクリュの突進をひらりと腕をあげてかわし、にらみ合う二人になれた様子で近づいていく。

「お店に迷惑かかるからここではやめようね〜前にもお兄さん達がちゃんと言った筈なんだけど、覚えてない?」

うふふ、短い笑い声をあげるイロエの笑顔に舌打ちを混じり合わせ、掴んだ胸ぐらを離す。

「此奴が馬鹿なのが悪いんだ。どれだけ俺に迷惑がかかっているのか理解しようともしないから腹が立つ」

「……直ぐ人を見下す馬鹿に言われたくない」

「はいはいとりあえずやめー。その続きは美味しくお茶とパンを食べながらにしようね〜」

距離は離れたがお互いに啖呵をきるのはやめない犬猿コンビの間にずいっとイロエが割り込む。気の抜ける笑顔に高まった感情がスーッと冷えていくのを覚えながらレイドはすとんと座り直した。どうもイロエの笑顔には逆らえない。随分と前にこんな感じでブイルと殴り合いの喧嘩寸前の状態で逆らったあと、えらい目にあってしまった記憶が既に従ってしまっている。トラウマにも近い過去を思い出し、レイドは乾いた口内を水で潤した。

「ちっ、つまらん。俺は席に戻る」

「なんでだよ。せっかくだから俺達とお茶でもしようぜ。先輩だからな、奢るぞ」

「きゃーラグーン先輩かっこいい〜!ボクの分も奢ってくれる?」

「イロエは自分で払えよ。俺は後輩にしか金はださん主義だ」

「ラグーン先輩僕には奢ってくれますよね!?ボクゥ、ショートケーキ追加注文したいですぅ〜!」

「お前の分の課題終わってから考えてやるよ。とりあえず五人座れる席に移動しようぜ。すみません、席変えても大丈夫ですか?」

「少々お待ちください」

近くを寄った店員に声をかけ、スマートに物事が進んでいく中、ブイルは顔面に不機嫌さを貼り付ける。一人でゆっくりと読書をしていたのに台無しだ、と言葉には出さないものの雰囲気が物語っている。

「まったく、教授に言われたから教えに来たって素直に言えばいいのに」

「ふん、何のことだ。レイド、俺が教えてやるんだから留年なんて無様な真似は揺るさんぞ」

「……別に、頼んでない」

ぼそりと後ろから囁かれたイロエの言葉に鼻を鳴らし、ブイルは自分のコーヒーを一気に飲み干した。読んでいた論文を閉じ、レイドが散らかした本と課題を一緒にかき集め、ラグーンが手を振る方向へと無言で移動を開始した。

イロエはやれやれと肩をすくめ、肩に提げたバッグを抱え直し、中に入っている参考書の重みを感じながら、彼らの後を追った。今日は多分、自分の勉強はできないだろうな、と予感したが、嫌ではない自分がやけに懐かしいような気がした。

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