06

そもそもにおいてこの作戦に失敗という言葉はない。

オックスブラッドの上官である、プラムは気楽な気持ちでこの任務に挑んでいた。

葉巻を加え、紫色の帽子を深く被っている姿は完全にリラックスしている。腰にかけた銃は椅子に立てかけていて、戦場にいるという緊張感まで吐き出してしまったかのようだった。

プラムたちはバー・ミリオン村から少し遠ざかった崖の下に陣を張っていた。

この周辺の地形的に此処が一番周囲を見回しやすく、見つかりにくい。彼らがどのような非道な行為をしようとも、木々が覆い隠してくれるだろう。

プラムは近くに聳え立つ山を見上げた。この高い山を越えた先には、彼らの国がある。わざわざ一山を超えねばならない面倒くさい地形にある村だ。プラムは軍服に染みこんだ汗に首を静かに横に振った。

オックスブラッドの目的はタダ一つ。

この村の住民であるオレット=ライラックが所持する本を奪い去るだけだ。何も聞かされていない部下達が雇った傭兵部隊達に殲滅されようが、それは知ったこっちゃない。

オックスブラッドはザンジバールの名を語り、ここにいる。つまるところ、オレットにザンジバールは敵だというイメージを強く受け付けさせ、誰も信じられなくなったところで、こちらから甘い言葉を囁きかける。

雇った傭兵達はさらに印象をつけるためのギミックである。

自分たちが雇った傭兵を、あえて放つことで激戦のイメージを深める。傭兵達には村人を守るようにと命令してある。必死に村人を保護しようとする傭兵達を雇ったのは、オックスブラッドだ。これによってオレットのオックスブラッドへの敵意は薄れるはず。その隙に付け入る。

「馬鹿な男だなァ。素直に我が国に本を渡しとけばよかったのにィ」

ふぅと紫の煙を口から零し、まだ長さが残っている葉巻を掌で弄ぶ。薄藤色の前髪が土埃を孕んだ風に揺れ、下から除いた鋭い目つきが後方を振り返る。

プラムの視線の先には、バー・ミリオン村から連れ去ってきた女子供達の捕虜を尋問しているテントがある。

情報は戦場での一番価値のある宝だとプラムは考えていた。抵抗されても大して痛くも痒くもない女子供を陣地に連れ込み、精神が擦り切るまで質問攻めにするのが日常だった。勿論用が終わったら廃棄する。

そのテントの一角の隙間からこっそりと小さな身体が這い出てくるのをしっかりと見たプラムは腰に差していたリボルバーを発砲した。

乾いた二発の音を放った銃声は空に消え、弾丸は脱走者の眼前の地面にめり込み、威圧的に咎める。

「なんだこの餓鬼。おい、ちゃんと見張っとけっつったろォ」

リボルバーを戻し、代わりにロングソードを鞘から引き抜いた。

もう少し行動を速めていれば自身の後頭部に二つの穴が空いていたというのに、脱走者、フリルがあしらわれている服を着込んだ少女は好戦的な眼差しで迫ってくるプラムを見上げている。

くそ生意気な目つきだな。プラムの眉が少しつりあがった。

「うるさいこの人殺し!良くも村をむちゃくちゃにしてくれたわね…!」

「生かしてやってるだけ有難く思えよォ?本来ならてめえらまとめて焼き払ってやっても良かったんだぜェ?慈悲のあるオレに感謝して欲しいぐらいだねェ」

「早く私たちをおうちに帰してよ!なんにもしらないんだから、此処にいても一緒でしょ!?」

「そんなことねェだろローズ=ライラット。お前はあのオレットの子どもだろォ。てめぇの家のパパがコソコソと何やってたかってぐらい知ってんだろうが。さっさと吐いてくれれば家に帰してやるからとっとと知ってること洗いざらいぶちまけろ」

オレットの子どもであるローズ=ライラットはきつく歯を食いしばった。

「あんたたちの質問全然意味分からないんだから、ぶちまけるもんもなにもないんだけど」

友達であるビスクと遊ぶ約束を思い出し、彼がやってくるまで本を読んでいようとページを開いた瞬間、外から耐え難い悲鳴や怒声、銃声が相次いでローズの鼓膜を不安定に突き落とした。何がなんだか分からず混乱している間に、玄関の扉が乱暴に開き、突然押し入ってきた紫色の軍服の男達に殴りつけられ意識を失っている間に―――こんなところで軟禁されていた。

何がなんだか分からぬままに問いに対する答えを求められているうちに、何となくコレは自分の父親が絡んでいる事態だということを察する。

知らない知らないと押し通しているが、実はローズは何となく心当たりがあった。

父の書斎に書物を借りに行こうと不在のときにこっそり部屋に押し入ったことがある。

室内は相変わらず散らかっていたが、何度もこの部屋に訪れているローズにとって、何処にどのような本があるのかはしっかりと記憶に染み付いていた。

あまり父は自分がいないときに部屋に入られるのを好まないが、ローズは読んでいた本がちょうどいいところで終わり、続きが気になっていた。父は此処最近外に出るとしばらく帰ってこない。いつ帰ってくるのかも分からないオレットを待つほど、ローズは気が永くはなかった。

床に散らばっている分厚い本を積み上げ、足の踏み場を作りあげる。

本を愛するオレットが見たら卒倒するような杜撰な扱い方だ。

そして読んでいた本を棚に戻し、隣に並んでいる続刊を引っ張り出そうとするが、適当に積み上げた本の脚立はぐらりとバランスを崩し、載っていたローズはあっけなく転がり落ちてしまう。

「いったぁ!」

腰を強くうったが、本に押しつぶされなかっただけマシだ。打ち付けた部分を擦りながら立ち上がると、見覚えのない本が続刊の下に落ちていた。どうやら別の本も一緒に転がり落ちてしまったらしい。

その本はローズが見たことのない装丁だった。

シンプルでところどころ変色している無地のカバーがかけられている。背表紙を見るがタイトルも刻まれていない。書物というより、メモ帳と言った方がいいのではないかという無難具合だ。

面白そうなものではないとローズは思った。しかし言いようのない好奇心が何故か胸にこみ上げてくる。まだ幼いローズは欲求を押さえ込むような殊勝な真似をするわけもなく、興味本位でページを開いたのだった。

面白くなければ直にもとの場所に戻せばいい。そんな軽い気持ちで。

表紙に触れた瞬間、突如目の前がぐにゃりと歪んだ。

激しい眩暈と意味のない吐き気。脳が左右に振られているかのような不快感が喉元に熱いものとなって侵略してくる。視界がかすんで、文字が見えない。焦点のあっていない視界はやがて白くから赤へと色を変え、やがて耳鳴りが止むと同時に、黒に突き落とされた。

音も色も手先の感覚も無に戻ったかのような気持ち悪さ。そして暗闇の底から形容しがたい闇の魔手がローズの右腕に絡みついた瞬間、絶叫と共に本を思いっきり投げつけた。

壁に当たり床に落ちた本を呆然と見つめ、ローズは動悸が治まらない胸を必死に落ち着かせようと息を荒く吐いた。駄目だ。なんだかよくわからないけど、アレは見てはいけない本だ。

本能がそう嘯く。余韻する狂気に抗いながらなんとかばれない様に暴れた後を片付け、ローズはよろめきながら書斎を後にしたが、多分、アレが絡んでいる。

その証拠に、やたらとこいつたちは本について言及してきていた。なにか可笑しな本を持っていなかったか。持っていたとするならそれはどこに置いてあった?などほぼそれについてしか尋ねてこない。

言えば解放してやると目の前の男は言っているが、そんなわけない。ローズが読んできた物語たちに、そんな都合のいい展開は待ち受けていなかった。


「とにかくしらないったらしらない!ここにいるみんなも!パパも早く解放してよ!」

「ア〜、躾のなってないガキは嫌いだぜェ。なんで俺がてめぇみたいなガキのお願い事にはいそうですかって言うと思ってんだよ。思いあがりも甚だしいぜェ」

苛立ったプラムの舌打ちにビクリとローズが怯む。プラムはロングソードをゆっくり振り上げた。ローズは左手で右腕を握り締めながら後ろへ下がる。

「コレで脳漿ぶちまけるのと、拳銃で内臓ぶちまけるのと、どっちがいい?」

人の悪い笑顔の形に口角がつりあがる。子どもに向ける笑顔ではないことをローズは悟り、そして、この男は子どもだからと言って容赦するような正確の持ち主ではないことにも気付いてしまった。

「………じゃあ、アンタが汚い血反吐ぶちまけるのに一票で」

「残念だなァ。人生は基本二択。三つも選択肢は、存在しねェ」

プラムにはもう目の前のガキ一人に対する慈悲などありはしない。脱走者は死を持って晒しあげるだけだ。それに、絶対的な弱者に対する高圧的な振る舞いをするのは、大好きだ。

「じゃあなクソガキィ。来世はその可愛いフリルが似合うような殊勝な性格に産まれな」

挑発的な態度のプラムに、ローズは最後に皮肉な笑みを向けることしかできなかった。

ビスク、アンタだけは無事に逃げてよ。




ロングソードを握る手に力が入ったのと同時に、地面が割れたのではないかという程の地鳴りが突如襲い掛かってくる。

「なんだ!?」

バランスを崩したプラムのロングソードが地面に突き刺さる。ローズも衝撃に耐え切れずその場に座り込んだ。

ドンッドン!体内の芯から響き渡ってくるような重厚な音はやがて擬音を変える。ザザザッと何かが滑り落ちてくるような、そんな音に。

プラムはハッを顔をあげて顔色を変える。見上げた先には、崖の上に立ちすくむ一人の青い髪の男が不敵に笑っていた。見覚えがある。アイツは確か。傭兵部隊を雇う時に、一緒にいた、眼帯の傭兵。

「この地形はよく地震や地鳴りが起こるため、地盤が緩んでいるらしいな。それを逆手にとらせてもらった」

そう大声で話す傭兵に気を取られている最中にも、音は続いている。

先程よりも、大きく、うねりを伴い、何かを巻き込んで、此方に確かに近づいてきている…!

数分前まで呑気に鑑賞を見てきた、国境とも言えるプラム達の故郷であり、使える国でもある、オックスブラッドとの境目の山を恐る恐る振り返る。予感は盛大に的中していた。

「土砂崩れだッ!!!!総員、注意ッ!!」

プラムは喉が裂けるほどに声を張り上げ、崖の上で此方を見下ろしてくる傭兵を睨みつける。

「貴様、ブイル=アウタースペース!良くもやってくれたな!」

「なんのことだ。俺はただ返しに貰いにきただけだ。オレ達の任務対象である、捕虜たちをな」

ブイルは言い放ち、愛銃を引き抜く。彼の鋭い虹彩が光を浴び、強い意思を灯した色に染まり再び大きく息を吸って、そして叫んだ。

「これより任務を遂行するっ!総員、心してかかれっ!」


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