――――――ガシャンッ


いつもはお茶を入れるくらいしか使わないキッチンで俺は持っていたボールをシンクに乱雑に置いた。

「くそっ!」

一体何がどうしてこんなありさまになっているのか。目の前には茶色い物質の入ったボールに手にはゴムべらが握られている。どうやらチョコレートを湯せんして溶かして
いたらしい。ご丁寧にエプロンもつけている。自分は先ほどまで、仕事をしていたはずだ。集中してキーボードを打っていたはずなのに気づいたらこの状態だった。おまけに、顔を横にそらすとキッチンのカウンターの上には黒い小さめの空箱やゴールドのリボン、それらをいれるのにちょうどいい紙袋がたたまれていた。

(なにこの、ラッピングの準備…)
 
さらに目をやればプリントされた一枚の紙が目に入った。”今年の本命チョコはこれできまり! 甘党な彼を落とすフォンダンショコラの作り方”かわいらしい文字ででかでかと書かれたそれを見て大きなため息をついた。


とろけてバレンタイン


つけていたエプロンをはずし、無造作に投げてパソコンの前に座る。急ぐ仕事はないものの、まとめるべき情報がこの中にぎっしりと詰まっている。今日はずっとこの調子だ。キーボードを打っていたかと思うと、気づけば手には包丁を持ってチョコを刻んでいたり。我に返って、仕事の続きをし始めたはずなのにふとまた気づくと砂糖を計量していた。何これ?俺どっかおかしいの?仕事のし過ぎでおかしくなっちゃったとか?波江がいたらいつも以上に冷ややかな目で見られていたことだろう。休みをとってくれていてよかった。意外とイベントごとはきちんとやりたい派であるらしく、今日は弟の誠二と一緒だろう。たぶん、あの彼女を含めた三人で。そう、今日は2月14日、バレンタイン。今日がその日だっていうのはわかっている。数日前にそんな話をしたし、欧米での歴史あるバレンタインの意味とは大きくズレた日本のお菓子業界の策略でお祭りごとと化したチョコの日に浮かれた人々を観察することは、人ラブ!な俺にとって結構たのしめるイベントだ。最近では本命・義理以外に友達と贈り合う友チョコや自分へご褒美として高級チョコを買うことも習慣化してきているらしい。お正月を過ぎればデパートのディスプレイはピンクや赤いハートを意識したものに変わるし、チョコのCMも増える。十分すぎるほど、自分はわかっている。でもだからって、何で俺が仕事より優先してチョコ菓子づくりなんか…先ほど見たフォンダンショコラなるものを思い浮かべて、頭を振る。あんな甘そうなもの作ってだれにあげるつもりだ。甘党な彼とか…本命カレを落とすって…え?俺が?どうして!?意味不明だ。認めないから。認めていいわけがない。そこで導き出されそうになった答えを無視してパソコンに再度向かうと仕事を再開した。


* * *

 
ちょこんと置かれた黒い小さな紙袋をじーっと見つめる。確かさっきまで俺はパソコンの前に座って仕事をしていたはずだ。だから…だからこれが完成してるなんてありえない。さらにありえないことはシンクにある洗い物の数々やところどころにチョコレートで汚れた白いエプロンがソファにかかっていること。この部屋にいるのはずっと自分ひとりだけで。自分が無意識にそれを作ったのだと理解すると本日5度目になる、大きなため息がでた。



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かなり遅れたバレンタイン話



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